日記

「初夢」

 2020年の幕開けです。あけまして おめでとう ございます

 今年は東京オリンピック・パラリンピックの年。地元ではセーリングが予定されている。思ったほど盛り上がらないのは忙しさか、人気に陰りがあるかは判らない。かつてマラソンでエチオピアの選手が金メダル、ロシアの選手が銀メダル、そして日本の有森裕子選手が銅メダルに輝いた時、金メダル選手は"国家のために!"、銀の選手は"家族のために!"、有森選手はかの名言"自分で自分をほめてあげたい!"と"自らのために"と話した。お国事情がオリンピックへの想いを変える様子をまざまざと見せたインタヴューだった。

1964東京オリンピックからパラリンピックが同じ会場で開催と決まったが、その"パラ"は"パラプレジア=麻痺"の意味。その後ソウルオリンピックで"パラレル=平行"となって"もう一つのオリンピック"と言われた。日本では前回を契機に障害者スポーツが普及し、障害者イメージが変わった。また"バリア"が次第に減り変化の兆しを見せた。世界のイベント開催は世界基準を受け入れるチャンス。パラスポーツは、走り幅跳びのように既にオリンピック記録を超える種目が出た。車いすラクビーや車いすバスケの当たりの激しさは、まさにアスリートの世界。鍛え上げなければその場に立てるはずもない。一方で、障害者スポーツとして発展し一般化しつつあるボッチャやゴールボール。しかし、これだけのアスリートの戦いになると、障害者が楽しむものではなくなった。

元々パラリンピックは、英国ストーク・マンデビル病院で始まり、車イス競技"スラローム"などリハビリの一環。その後、障害者の生きる力がよみがえるツールとして様々に発展した。つまり、障害者が障害を克服し人生を謳歌することが障害者スポーツの意義だ。それがパラレルになって障害者からアスリートのものとなり、もう一つのオリンピックとなった。それは考えようによっては、障害者が人として人生を謳歌できる環境がすぐそこまで来ているということ。今年、オリンピックと共に、もう一つのオリンピックが東京で開催される。サッカー日本代表の監督を2度務めた岡田武史氏が新聞に今大会を「日本人が自立できる大会にしよう!」と訴えていた。岡田氏は昨年のラクビーWカップ日本代表は自立しやすかったという。試合が始まると監督=ヘッドコーチはスタンドにいなければいけない。しかも外国出身選手が多かった。だから自立せざるを得ない環境だったという。スポーツ選手はどちらかと言えば自立精神は高いと思っていた。何故なら1球1球間がある野球でもバットを振るかどうかは選手次第。だが、高校野球では"待て"や"振るな"のサインがあるそうだ。つまり、自分の考えではなく指示を待つ。日本社会は指示待ちが多い。マニュアル通りにするように育てられている。うれしくもないが岡田氏の言うことに説得力がある。今年、2つ夢見ている。始めに障害者が人として楽しむ時間、場を作るスタートとすること。次に自らの意思が表現できる自立度の高い暮らしを模索すること。(2020.1)

この記事を書いた人

理事長
石川 修

1974年神奈川県庁入庁が福祉人生のスタート!35年間を勤めあげて定年退職を迎えた。その後2016年度までは鎌倉女子大学の教授(愛称「じいじ」)として社会福祉を教え、福祉職の卵たちを育てた。読書、音楽をこよなく愛する熱血リーダー。