日記

「施設機能の外注化」

 明治、大正、昭和、平成、令和と移ろう中"家族形態"の変化はすさまじい。"家族"と共に社会福祉事業も変化する。例えば、保育園の始まりは野口幽香が貧民街の子どもに幼児教育=保育の必要性を感じ始めた。だから保育園利用は"保育に欠ける子"。長崎では岩永マキが教会の片隅で子どもたちを集め食事をさせ面倒を見た。今は児童養護施設「浦上養育院」。つまり、子どもが育つ環境を家族が創れない状態を補った。しかし、保育園は大きく変わった。授業参観日が設定され、英語や体操教室がある。だから"保育に欠ける子って、何?"と思うが、現代家族が求める幼児教育へのニーズが反映されている。貧しさゆえの両親共の就労ではなく女性の社会進出、母親ではなく1人の人間としての自己実現などが理由となった。それは"子育て"と言う家族内機能が社会的役割となったことを現す。家族の変化で高齢者介護も家族から外部へ移行し、介護保険等様々なサービス提供がある。つまり、社会福祉サービスは家族形態によって変化する。"専業主婦"がもてはやされた戦後の昭和では考えられない家族像と社会福祉サービスがある。家族像が人気漫画の変遷でも見える。『さざえさん』では"ちゃぶ台"が描かれ食事を囲む家族があるが、『ちびまる子ちゃん』では見られない。『クレヨンしんちゃん』に至っては"食卓"を見ない。同様に我が家も、当初は座卓だったが、DK時代にテーブルが必須となり、子どもが巣立った今は食卓を囲むことはまれ。食事場面が多くの家族像を描いたが、今や個別化の時代、同じものを食する食卓は化石のよう。"家族機能の外注(部)化"だ。

 家族機能の外注化が当たり前になった時代とともに、社会福祉施設も同様の現象がある。以前の社会福祉施設はすべて自前の職員だった。支援職員はもちろん、調理師や運転員等も正規職員だった。現在は、多くの施設が外注化をしているのが厨房関係。奥さんが"私作る人、貴方食べる人"と言い、家族内人間関係の希薄さを表している言葉がはやったことがあったが、現在の施設はまさに"厨房作る人、私食べる人"だ。専門性を発揮して分業すると合理性が増すが、暮らし向きは合理性だけでは"情"が薄くなる。相互乗り入れをしようにも厨房に入ることを法律が禁じている。合理性だけで片付けて良いのか...。また、運転業務の外注化では、事故処理等も含まれ、業務委託でリスク管理をしている。これらは家族機能の外注化と同様で「施設機能の外注化」だろう。時代の流れにさおさすつもりはないが、それがどのような変化をもたらすかは確認したい。"支援"の専門性を伸ばすためとの考えもあるが、"専門性"の前に施設には欠かせない"日常"がある。その日常を担保するために"施設機能の外注化"をしっかり検証しないと、何が専門なのか判らなくなる。(2019‐2)

この記事を書いた人

理事長似顔絵
理事長
石川 修

1974年神奈川県庁入庁が福祉人生のスタート!35年間を勤めあげて定年退職を迎えた。その後2016年度までは鎌倉女子大学の教授(愛称「じいじ」)として社会福祉を教え、福祉職の卵たちを育てた。読書、音楽をこよなく愛する熱血リーダー。