日記

理事長日記

「気概」

 「気概」を辞書で引くと、「困難に屈しない強い意志」とあります。

先日、今ではあまり聞かれなくなったこの言葉に、下記のような解釈をしている文章を見つけました。

 気概とは「尊厳を認めてほしいという切なる願いをあらわす人間の状態のこと」(フランシス・フクヤマ)

 困難な時だけでなく、自己の尊厳が貶められた時に発揮されるという意味でこの言葉の意味を考え直してみるといろいろな思いが湧き上がって来ます。

 なぜ、この解釈に惹かれたかというと、能登半島地震で被災した人々のためにボランティア活動をおこなっている方の姿を報道で見たからだと言うことに気づきました。こう言う人々は何に突き動かされて自ら進んで、決して楽とは言えない困難な行動をとるのだろうかと言う思いです。お金のためでないことは確かです。感謝の言葉が欲しいためでもないでしょう。

 さらには国際的には国境のない医師団や国際NGOの活動などで自分の命をも顧みないで活動をしている人々を見ると、この人たちをこう言う行動に駆っているものは何なのか深く考えざるを得ませんでした。

 こう言う行動を意味する言葉として思いつくのに「高邁な精神」というのがあります。ただ、多分翻訳語なのでしょう、古くからある日本の言葉ではないような気がします。古くから使われてきた日本語としては慈悲や奉仕がそうなのかも知れません。

 こうした「自己の尊厳」ではなく「他人の尊厳」のために果敢に行動を起こす人々を表現するのには現代に通じる何か良い日本語の表現はないものでしょうか。

以上

「福祉の仕事」

 職員から聞いた話ですが、横浜市では「障害福祉魅力発見パンフレット」を作成し、「障害福祉人材プロモーションムービー」を横浜市営地下鉄の液晶パネルで流しているそうです。

 以前から、特に津久井やまゆり園事件以来、障害者に関するニュースで虐待事件や、不正請求などが取り上げられることが目立って多くなり、これでは福祉の仕事に進みたいと思う人はいないだろうなと危機感を抱いていました。このことについては同じことを思っている人も多かったと見えて、良い取り組みをしているのに悪いことしか報道されないなどとぼやいている声を良く聴きました。

そんな時、市営地下鉄で流されていると言うプロモーションムービーを見て、驚きと共に心地よい気分が静かに流れていくのを感じました。何か失っていたものを見つけた感じです。

横浜市のホームページを見ると障害施策推進課が担当していて、「障害福祉の仕事の魅力をお伝えします!(パンフレット・PR動画)」と銘打ってパンフレットと共にいくつかのプロモーションムービーが掲載されています。さらにページを遡るとどうも横浜デジタル専門学校生がこのプロモーションムービーを作成したようです。画面の構成も一緒に流れる音楽も軽快でこんな仕事をやってみたいと思わせるものでした。

横浜市の担当の方に問い合わせると市営地下鉄だけでなく市営バスやそごう横浜でも放映しているとのことでした。

行政が市のホームページで障害者施設での採用活動を広報し、さらにまた市営地下鉄の画面で流すと言うアイデアはどこから出てきたのでしょうか。それにしてもこれを制作し実行に移した人は素晴らしい仕事をしたと思います。そしてこれを許可した人の判断も英断だと思います。久しぶりに明るい未来を見た気がしました。

以上

 追伸 今は行政もJRやその他パブリックビューイングなどを使って様々な広報をおこなうのが主流になってきているようです。こちらの不明を恥じるばかりですが、あえてこれを知った時の感動をそのまま載せました。

「パニックコントロール」

 今年は元旦の能登半島地震、2日の羽田空港の航空機事故と大災害と大事故が重なりました。

能登半島地震は未だに被災者支援が続いていて復興まで長い道のりが残されています。また、航空機事故ではJALの乗客・乗務員は全員避難できたものの海上保安庁の職員5名が亡くなると言う痛ましい事故でした。

 

 以前から、災害時などにおける日本人の冷静な対応には海外から驚きと共に賞賛の声が上がっていました。

 これについては国民性を言う人がいます。JALの事故の際に客室乗務員が乗客を落ち着かせる訓練を行っていたと言うこともありますが、乗客の方で訓練を経験した人はいなかったと思いますし、当然、当事者は事態の深刻さにパニック状態に陥った人が大半だったと思います。死を覚悟したと言っていた人もいました。しかし、乗務員の指示に従い無事全員脱出することが出来たと言うその事実を見ると日頃からそう言う冷静さを保つ習慣があったのではないかと思います。

 少し、極論を言えば、日本の文化そのものがパニックコントロールを目指していたと言えるかも知れません。

外国の思想家で、確かイヴァン・イリイチだったと思いますが、「平和」を意識するのに先ず言葉の使い方から問いかけているのを読んでびっくりしたことがあります。例えば「戦略」は「戦う」と言う語彙が入っているので使わないなどでしたが、私も「戦略」と言う言葉が日本で盛んに言われだした頃に違和感があったことを思い出してしまいました。

そんなことから「やまとことば」そのものが、和を尊び、いかなる事態が生じようと動じない心を目指していたのではないかと思うようになりました。和楽は抑揚の少ない節回しだし、歌会始の歌い様もまた平板でつまらないし、そして母音ばかりの日本語も退屈と感じていたものが、すべてその底にはパニックコントロールの意図があったのではないかと想像の翼が羽ばたくばかりです。

以上

「新年のご挨拶」

 新年あけましておめでとうございます。

 今年は「おめでとうございます」の挨拶を交わすことが憚られるくらいに、現在の世界情勢は混沌としています。ウクライナ・ロシアの戦争やイスラエル・ハマスの戦闘状態、また、その影に隠れて詳しい情報が伝わって来ませんがアフリカやアジアの一部の国でも武力衝突などの混乱が続いているようです。

 昨年の12月は20℃を超える日が続いて異常気象を肌で実感しました。また、大規模な洪水が世界中で起こっているニュースも多く目にしました。こうした気候温暖化の問題が深刻化しているにも関わらず、国連の会議では先進国と発展途上国の間の軋轢で有効な手立てが打てないようです。

 国内に目を向ければ政治資金問題で国会内は揺れ動き、政治不信が相変わらず騒がしくマスコミを賑わしているのに国民の目は冷ややかで、とても手放しで新年を祝うような気分とは言えません。

 それでも私たちの日々の暮らしは続いて行きます。福祉の世界でも人材不足が深刻化しており必要なサービスが提供できるように四苦八苦しているのが現状です。利用者の生活や活動を守るため職員一人ひとりが自覚を持って日々努力している姿を見ると自然と頭が下がる思いになります。

 もちろん職員だけでなく利用者も活動を通して社会に貢献できるように自分の持てる力をいろいろな場面で発揮しています。それはパン作りであったり、お掃除であったり、部品の組み立てや創作活動と様々ですが自分の持てる力を精一杯に活用しています。その活動を通して人の役に立ち、また、直接役に立つようなことがなくても、その真摯な"すがた"が世の光となり一隅を照らしていることは間違いありません。

 こうした地道な私たちの活動が世界の人々に困難な時に出合っても平和で平等な社会を思い起こさせるようになることを願って新年のご挨拶とさせていただきます。

以上

「イベント」

 先月はイベントが多い月でした。

 それぞれの地区の公民館のお祭りや秋の防災訓練、ショッピングモールなどでのコンサートやイベントなどで盛りだくさんでした。

 4年ぶりの開催のところもありましたし、マスクを外して感染症対策などの制限がないイベントも多く、コロナ禍前の日常が戻ってきた感じがしました。それぞれ工夫を凝らした内容でしたが、「実りの秋」と言うように、果物や野菜、花などの直売が賑わっていましたし、屋台や今どきのキッチンカーに大勢の人が集まっていました。

 裃(かみしも)を脱いだ、と言う表現が今の若い人たちに通じるかどうかわかりませんが、皆、どこか寛いでにこやかな笑顔がイベント会場に満ち溢れていました。気さくな会話や少し羽目を外した冗談なども飛び交っていました。

 このようなイベントに参加すると自然な自分に戻れるような気がして、思わずはしゃぎ過ぎてしまいます。後で反省すること仕切りですが、これだけ人が集まると言うことは人々が何かを求めている証です。求めているものの一つは人と人との繋がりであったり、日常では味わえない偶然の機会がもたらすちょっとした驚きであったりします。

 こうしたイベントが来年も再来年も続くことを心より願います。

 藤沢育成会では11日に湘南ゆうき村の収穫祭をおこない、18日には秋葉台公園で法人を挙げていんくるフェスティバルを開催しました。どちらも職員が早くから準備をして大きな事故もなく大盛況で集まった皆様に大変喜んでもらえることができました。

 こうしたイベントの別の良い面は、日頃の仕事振りとは違った職員の思いがけない一面を見ることができたり、想定外の問題が起こっても皆で知恵や力を出し合ってそれを解決することで和が生まれたりすることです。今回も随所で職員のそんな場面を見ることができました。

 風が強くて少し寒かったにもかかわらず会場に来てくださった皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

以上

「実践報告会」

 先月の21日(土)に今年で5回目になる法人内事業所の実践報告会を「意思決定支援~当事者目線の支援とは~」と題し、多摩大学の校舎を借りておこないました。

その時に冒頭でお話したことを今回は掲載したいと思います。

「意思決定支援~当事者目線の支援とは~」

 今年で藤沢育成会は法人設立35年になります。

今回、この実践報告会を迎えるに当たって、高山先生の事前研修や今日の実践報告の事前の資料を読み返してみて、今、痛切に反省していることが一つあります。

 それは、藤沢育成会の歩みを説明するときに、藤沢育成会は「親の会」が母体になって出来た法人なので、そうした「親の思い」がたくさん詰まった法人です、そのことを忘れずにいてください、と言うのを強調しすぎて来たのではないかと言うことです。

 「親の会」が資金面でも実際の申請書類においても大変苦労して法人の設立に尽力されたことは間違いのない事実であり、その「親の思い」は大切にしなければいけませんが、今日の実践報告会のテーマにもあるように今の時代は違います。「親の思い」から「本人の思い」へ変わらなければいけません。

 そのことは、また、「職員の思い」から「本人の思い」でもあります。

 さらに、それに付け加えて「本人の思い」と言った時に、「個人の尊厳」と言うことが、その根底にあると言うことも同時に考えなくてはいけません。

「一人の人間の命は地球より重い」と言った政治家がいましたが、最近のウクライナとロシアの戦争やイスラエルとハマスの紛争などを考えると人の命が軽んじられていると思わざるを得ません。

個人の尊厳と言うことは「一人ひとりがかけがえのない存在」であると言うことです。今は地球自体が軽くなったのか、「個人主義」や「個性」と言うことは言われても「個人の尊厳」が叫ばれることが少なくなりました。

 「利用者一人ひとりが何者にも代え難いかけがえのない存在」と言う「個人の尊厳」を認めてこそ意思決定支援がますます生きてくると思います。

本日の実践報告会が、「当事者目線の支援」と合わせて「個人の尊厳」と言うことも皆さんと一緒に考えることができる機縁になれば良いと思います。

以上

追記 当日は東洋大学教授高山直樹先生に報告に対する講評を頂きました。「アンコンシャス・バイアス」や「弱い紐帯」、「主体性」から「社会性」へなど大変有意義なお話を伺うことができました。この場を借りてお礼申し上げます。