書に魅せられて (よし介工芸館・梅田久仁夫)

個性化された筆跡はDNA鑑定のように人物を特定する。欧米ではサインが本人の証明であることが頷ける。ハンコは他人に使われる可能性があるから注意が必要だ。

文字は上手な字を書く人、美しい字を書く人、整った字を書く人・・・といるが、自分はそのどれにも当てはまらない。「これ、あなたの字でしょ?」と、すぐに分かってしまっても「いい字、書くね。」とは、一度も言われた事がない。伝達可能で日常生活に障りなし程度の筆跡だからだろう。もっとも自分にとっては、誤字・脱字に注意を払う事が肝心だ。だから、オトナの字にはコンプレックスを感じるが、とりわけ味わいのある、いい字を書く人が身近にいると"とっておきの言葉や名文句"を代書してもらう事がある。

 

さて、文字の話ということになれば、「書」の事に触れたくなる。書家と言えば、若手の武田双雲が"言霊を墨や筆で表現するアーティスト"として一世風靡している。そして、ダウン症の書道家、小欄こと金澤翔子が、舞い降りた天使のように今を時めいている。そのせいか、もはや現代アートとなった書に関心を寄せ始め、魅せられてしまった。

 書となれば、文字の持つ伝達・記録の機能を超え、真理を説く強いメッセージ性に「宇宙」を見る。宇宙は、精緻な数学と物理で成り立っているが、巨大な生命体のように哲学を帯びた意志なるものが渾沌としている。そして、空間には慈愛に満ちた生命力(エネルギー)が遍満しているに違いない・・・などと想いに耽る。書家はそれらの実相(法則)を一言一句切り取って一気呵成に書き上げているように映る。力強いが無理がなく、奇をてらうこともなく宇宙と渾然一体化した流麗な筆運び。強い意志に後押しされているようだ。

書でも絵画でも、高い芸術性を有するものは人の心を揺らし虜にさせるものと思う。今まで、全国各地の史跡や寺巡りの際に、書らしき物と出会った事はある。だが、その時は、それほど心に留まることもなかった。今に至る境涯が感性を高めたのか、もともと貪欲な美意識が書によって目覚めたのかは分からないが、いずれにしても、秘められしものを直感し、物の本質が分かるようになった自分が幸せと思う・・・・ホントの話。

 

 

 

 

 

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▲種・武田双雲

 

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▲花舞・金澤翔子

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