以前、2人の友人からもらったメール、本人の掲載許可を得て、ご紹介します。
私は、家族を守るために必死で生きて来ました。
私は、「苦労をした」と公言します。
私には、「謙遜」と言う言葉がありません。
でもその苦労のおかげで、些細なことに幸せを感じ、喜ぶことが出来るんですね。
息子が4歳で「お母さん」と言葉を発した時は、
健常児のお母さんが当たり前に呼ばれた時の喜びの数十倍の喜びでした。
だから、幸せは自分の心が決めることなんでしょう。
50歳も過ぎると、多くの人との出会いがありました。
積み重ねた関わりによって、いつも賑やかに、人の中に囲まれて暮らしています。
私の心は、今は幸せでいっぱいです。
「幸せは自分の心が決めることなんでしょう」・・・名言だと思います。
この友人は、このメールの後も、次々と苦労を負うのですが、
「何故自分ばかり・・・と嘆きましたが、心は穏やかな日々を過ごしています。
つくづく、私は不幸を幸せに変換する辞書を持っているらしく、
生き方上手だと思っています・・・」とのことで、
何事からも逃げ、必死で生きていない私と比べ、女性の強さ、母の強さを感じます。
幸せを感じられるのは、十分「謙遜」だからだと思います。
若い時は、苦しみを心の底から感じることなく、また若さ故、跳ね返すバネもあり、
怖いもの知らずだったかもしれません。
苦しみは人によっても違うし、重さもちがう。
同じ苦しみでも、心の状態でうまくかわせる時もあるし、助けてもらえることもある。
苦しい時に正面からぶつかるには、すごいエネルギーがいるよね。
でもね、苦しくて出口なんてどこにもないともがいている時に、
この苦しみの意味なんて知りたくもない・・・、
時間がたって癒やされてから気づく・・・、
ちょっとした優しさや心遣いに救われて、勇気もらってるんだってことにね。
苦しみの中から生き甲斐を見つけられる強さが、今の私にはないな。
苦しみから逃げることも技の一つだし、そんな技、身につければ百人力!
私も、青い鳥を探してみたいと思います。
神様は、私達に耐えられない試練はお与えにならない・・・、
でも、私を選んで試練を与えられているとは思いたくない!
一山乗り越えた時、辛かったこと忘れるぐらい宝物に出会ってるんだけど、
またですか・・・とめげてしまいます・・・。
そして、
なぜですか?
まだまだ私には試練が必要ですか?
もっともっと痛みをわかる人にならなくてはいけませんか?
と問い合わせしたくなります・・・、私はちっちゃいね~!
ちっちゃくなんて全然ない、
ちっちゃいのは、人の悲しみに寄り添いたいと思いながらも、
「何きれいごと言うてんねん!」というような事しか言えない自分です。
人の悲しみ・苦しみに寄り添うことは難しいことですが、
被災地の方々が希望に満ちた新年を迎えられる事を心よりお祈りし、
ウサギ年最後の筆をおきます。
※2月から開始した施設長日記、8人の施設長職が毎週火曜日に順番に執筆していますが、
次週は正月休みを頂いて、1月10日より、再開いたします。

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