「愛と寛容(2)」 (湘南あおぞら・倉重 達也)

 前回は、孫引きでフォースタの文章を引いたが、改めてフォースタの「寛容」という文章を読みなおして見た。まず驚いたのが、それが書かれた年であった。1941年、ドイツがソ連に侵攻した年である。その2年前の1939年にドイツはイギリス、フランスに宣戦布告している。また、1942年にはアウシュビッツでの大量虐殺が行われる。そんな年に、戦後復興のことを視野に入れながら寛容の必要性を説いているわけだが、イギリス人であるフォースタは自分の経験から、ささやかな我が家の窓ガラスを割った憎きドイツ人と講和条約後に会ったらどう対応したら良いかと思い悩む。愛することはできそうもないが、許すようには努力しよう。そうでなければユダヤ人を撲滅しようとしたドイツ人と同じ過ちを犯してしまう。

 フォースタのこの考えには、世界が人類であふれ(1941年の時点でも!)、民族同士が混じりあい、都市と都市が有機的につながってきたという時代背景がある。そういう時代には、いばらず、怒らず、苛立たず、恨みを抱かないという消極的な美徳にも見える寛容というものが必要だというのである。寛容という如何にも冴えない、人気のない徳でなければ世界は再建できないということを主張している。それには、たえず他人の立場に身を置くという想像力が必要となる。

 こうした状況は70年経った今でもあまり変わっていない。変わっていないばかりか、不特定多数との接触はますます増え、人間関係に疲れ、ストレスが蔓延する社会となって来ている。こんな時代だからこそ、もう一度、寛容という徳を思い起こすのも無駄なことではない。

 しかし、フォースタはこれも一時的なもので「愛」と言う私生活で最大な力が公生活にもその支配が及ぶかも知れないと慎重だがやや楽観的に付言している。果たしてそうなる日が来るのは何時のことだろうか。 

2010年秋に記念植樹の「しだれ桜」.JPGのサムネール画像のサムネール画像2010年秋に記念植樹の「しだれ桜」 

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