第21回 「驚愕」 (湘南あおぞら・倉重 達也)

少々、大げさな題をつけてしまったが、先日、梅雨の晴れ間に、駐車場で車を出そうとすると木の葉らしきものが目についた。どけようと思って手をのばすと、なにやらピクリと動く。

第21回写真①.jpg

 朝の出勤時だったので寝ぼけているのかと良く見てみると、木の葉だと思ったものはなんと蛙だった。一瞬目をみはった。

第21回写真②.jpg

この写真はインターネットで借用したものなのでひょっとしたらその時見たものとは違うかも知れないが確かにこんな蛙だった。

 しばらくすると、蛙君は悠々とその姿を消したが、近くに池や沼があるわけでもないのにどこから来てどこへいったのやら狐につままれた気がした。

 

 こんなところに蛙がいる筈はないという予見が驚きの大きな原因だったのだが、そしてまた、ここで大きく話は飛躍をしてしまうのだが、丁度、吉川幸次郎の本を読み返していたら「詩に(たつ)()無し」という文章の中で、「詩経の詩に一定の読み方はなく、したがって無限に新しい解釈をゆるす・・・」また、その例として、「我が心は(かがみ)にあらず、もって(じょ)すべからず」の「茹」の字の旧訓は、はかる、計測するであり、わたしの心は鏡でないから、鏡のように相手を計測できない、とするのが、普通の説であるのに、ある女子学生の卒業論文の読み方がちがっていた。わたしの心は、鏡のように、すべてをのみこむことはできない、著者は「はっと」し、そういえば茹の字には食うという訓もあると思い当たり、それを君の創見かと尋ねると、ペキン大学で出た参考書にありましたとの返答だった由。後生畏るべし。そんな文章だった。 

中国文学の碩学も女子学生から驚きをもって学ぶことがある。自然のことにしろ、人事のことにしろ、世の中のことは計り知れない。                         

 

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