世紀の一戦がもたらしたもの(湘南あおぞら・伏見康一)

▲先日、ボクシングの「世紀の一戦」が行われた。伝えられるファイトマネーの額には只々驚くが、事態の大きさや価値を分かりやすく報道しているとも思える。何より兎角大味な試合を求めがちな格闘技の一戦において、ウェルター級(-66,6㌔)の試合に全世界からの熱視線が向けられた事に大きな意義を見出したい。


  ▲ボクシングの醍醐味とは?誠に勝手な私見ながら、野球のピッチィングのそれと似ていると感じている。自分の伝家の宝刀を武器として、いかにそれを生かすかが勝負。
  例えばストレートが武器の場合。左右にジャブ(野球でいえばイン、アウトコース)を散らし、時には横からのフック(カーブ、スライダー)で流れを組み立てる。さらには目先を変えるべく上下の動き。差し詰めアッパー(インハイ)とボディー(フォーク)といったあたり。これらの「ストーリー性」を軸とし、間合い、強弱、インターバルを巧みに活用しその物語を紡いでいく。決着は得意のストレート!最大の見せ場は最後に用意されている。
 野球との違い、1点は「ゲーム性」。野球はボールを放るので、時に意に反したコントロールになる事がある。対し、ボクシングは拳。己の意のまま相手に届けていく。ボクシングの方が意思に沿ったストーリーが描きやすいと考える。
 もう1点は「判定決着」。試合結果も重要であるが、ファン心理としてやはり内容も問いたい。劣勢からの大逆転もいいが、その試合を通じ内容で勝っているという事はとても素晴らしいことだ。まだ違いはあるがこれ以上は文意を逸脱するため割愛。いづれにせよ競い合う相手と正対している時点で賛辞されるべき勇敢者である。


  ▲はて、我々の仕事へのヒントはないか。我々は職業柄コミュニケーションを重要視している。ボクシングに例えるのは少々野蛮だが、「拳」を 「想い」と置き換えるといかがだろうか。どんなに素晴らしい「想い」でも、相手に届かなければ意味がない。またその「想い」を只々単調に届けてても効果はない。また、「想い」なき発言や伝家の宝刀のごり押しは美徳に反するだけでなく、内容そのものを壊しかねない。
 「想い」を届ける時。肩の力を抜き、前を向く姿勢を保つ。自分の伝家の宝刀を熟知し、それを最大限に生かしたストーリーを描き、演出していく事が重要なのではないか。


  ▲「想い」の出し手と受け手が揃うと「礼儀」「尊敬」といった価値が生まれる。伝家の宝刀は一つあればいいし、抜けない事があってもいいのではないか。大切なのはそこまでの「物語」。自然と判定決着に流れるように。昔から物語のクライマックスとスナック菓子は定番が一番納まりがいい、と相場が決まっている。世紀の一戦がもたらしたものはいろいろと意義深いものである。

 

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                       ▲あおぞら中庭の桜(本年4月撮影)

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