日記
黒崎ホームの施設長・課長日記
「気遣い」(黒崎ホーム 課長 髙橋克之)
我が家には酒屋さんからもらった日めくりカレンダーがあります。ついめくり忘れて気づけばかなり前の日付のまま、なんて事もざらにありますが、その日のうんちくなども書いてあり家族で楽しくめくっています。
去る5月1日のカレンダーに"八十八夜"と書かれてありました。八十八夜と聞くと♪夏が近づく♪と脳内で再生される方も多いのではないでしょうか。もうすぐ暑い夏がやってきますね。冬好きの私としてはこれからしばらくは忍耐の日々です。
話は、がらっと変わりますが、先日、"日本人とその他のアジアの人を見分ける方法"という記事をネットで読みました。これはドイツの方が書いた記事みたいでした。我々からすると話す言葉や顔つきなどで分かりそうですが、その記事にはスクランブル交差点を渡る姿で分かるとありました。なんでも、日本人は基本的に相手にぶつからない様に歩き、どんなに混雑していても人がぶつかる事は少ないとの事です。
むろん、日本人以外は気遣いがない、なんて事はありえませんが、日本には"江戸しぐさ"などに代表される気遣いの文化が浸透している事も大きいのかもしれません。
新年度を迎えて早1か月。環境も変わり自分の事で精一杯な状態が続いているかもしれません。そんな時、ふとした気遣いを受けると嬉しいものです。
お互いに少しずつ気遣いをする事で、今の場所がより素敵な場所になるかもしれませんね。
写真は内容とは関係ありませんが、先日出した子供の日の飾り物です。すっかり景色の一部となっていたお雛様と交換で飾りました...。
「異動あるある」(サービスセンターぱる・黒崎ホーム 施設長 三嶌悟)
4月より、「黒崎ホーム」と「サービスセンターぱる」の所長として着任しました。これで法人内事業所は、約2/3の事業所に所属したことになります。近い将来、法人内の事業所コンプリートもない話ではなくなってきたかもしれません。
さて、異動の度に起こるのが「異動あるある」です。事業所内の物の位置はもちろんのこと、利用者さんや職員の名前と顔の一致など、この時期ならではの「あるある」があります。私にとって苦労する大きなポイントは2つです。1つ目はパソコンの各種設定の切り替え、2つ目は愛想よく接することです。1つ目は周囲の助けもあり2日でできました。(毎回1週間程度かかっていましたが)2つ目は自分ではそうしているつもりはないのですが、「仏頂面」とよく言われます。人見知りもあり、どうしても最初はどんな人なのかなと様子を見てしまいます。それが「仏頂面」と言われる所以かもしれません。今回は、前回よりもさらに意識して接していますが・・・。
皆様、2025年度もよろしくお願いいたします。
*写真は、「サービスセンターぱる」の事務所内です。4月から少しレイアウトを変更しました。
「多様性」(黒崎ホーム 課長 髙橋克之)
「うちのクラスのA君は自分の誕生日を知らないんだって」
ある日の食事中、娘が言い出しました。何か複雑な事情でもあるのかと警戒しつつも理由を聞いてみると、A君は外国の子でその国(宗教?)では誕生日を祝う習慣がないとの事。まさに場所が変われば普通も変わる、な話だなと感じました。ちなみに、子供の学校では各クラスでその月の誕生者を祝うプチ企画があるのですが、A君は去年は5月、今年は11月生まれと言って祝ってもらっていたそうです。「なんかずるいよね」と娘は言っていました。外国籍のA君は日本の風習の中でうまい事立ちまわっている様です。
子ども達が話してくれる学校での話は、実に様々な人物が登場します。 "納豆は必ず100回混ぜるマン""一人称が俺な女の子"などなど。子供たちが日々暮らしている世界は色々な個性で溢れています。その中で世間体というフィルターをつける事なく自然と相手の個性と捉え付き合っている様子でした。
これは、子供の世界だけの話しではないとも言えます。私の友人も(自分を棚に上げさせてもらうと)かなり個性的な人もいますが、だからと言って接し方が変わるわけでもありません。「多様性」というのは私たちの生活に普通にあるものの様な気がします。
昔から自然と存在している多様性。その事を殊更に強調し注目を集める事。これは逆に多様性という名のレッテルを貼り、どんどん個別化する事になりギスギスとした世の中になるんじゃないか。そんな事を考えながら子供の話しを聞いていた冬の夜でした。
写真はこの間飾り付けたクリスマスツリーです。家は神道ですが、クリスマスも初詣もお盆祭りも楽しみます。多様性!
波多江式インディアン的福祉論㉗ ~~(黒崎ホーム 施設長 波多江努)
先日、ある方の仕事に対する姿勢に想いを馳せていた時に、ふと、インディアンの格言風に表現したら、どうなるだろうと思い、考えてみた。
- 頭で考えるのではなく、心で感じる人になりなさい。そして相手を知ろうとしなさい。
- あなたは誰かを救える特別な人ではありません。しかし、隣にいてくれる。
- イヤと言わない人間は、労う心を持っている。
この3つは、自分の中でも納得いくイメージであり、私自身が目指したい支援者像でもあります。
その方は、共感する力に優れ、時には利用者自身の問題を自分の問題と捉えすぎて本人の気持ちを置き去りにしそうな時もあります。しかし、ただ純粋に利用者の気持ちを理解したいと思っている少し不器用な方なのです。
私が困難に直面している時は見守ってくれていて、乗り越えた後に「大変そうでしたね」と声をかけてくれる方です。
利用者に対しても仲間に対しても尊厳を守る方です。
自分もそんな風になるにはもっと修業が必要だ...。
夏の夜の出来事(黒崎ホーム 課長 髙橋克之)
世の中色々な派閥があります。有名なところではタケノコの形をしたお菓子ときのこの形をしたおかしや赤いカップ麺と緑のカップ麺など。動物界では「犬派?猫派?」等という話も良く聞くところですね。我が家には、そんな有名派閥の一角である猫がいます。
さて、それはある夜の出来事です。リビングでのんびりしていると2階から勢いよく猫が駆け下りてきました。その事自体は珍しい事でもないので、特に注目していなかったのですが、こっちを見ながら妙に短く「にゃっ、にゃっ」と鳴きだしました。どうしたことか、と目を向けてまず目に飛び込んで来たのはピチピチと跳ねている細長い物体でした。そして、猫を見ると前足でトカゲを押さえつけてどや顔をしていたのです。その時脳裏に浮かんだのは「こんな漫画みたいな事があるんだな」でした。
まだ小学生の頃、トカゲハンターと称してトカゲの切れた尻尾をポリ袋に入れて友人と成果を競い合った事もある私ですが、年月を重ねた今となってはぞっとしました。恐る恐るトカゲを救出し、外へと逃がしてやりました。
昔の感覚と今の感覚が違う、という事は皆さんも思い当たる事が1つや2つはあるのではないでしょうか。人の心は変化をするものですね。そしてそれは今支援をしている利用者も同じではないでしょうか。過去を知る事はとても大切ですが、その過去に縛られない事も大切です。利用者の心に変化はないか、今一度確認をしてみてはいかがでしょうか。
表紙の写真は娘の描いたトカゲです。あっかんべーをしているとの事です。
波多江式インディアン的福祉論㉖(黒崎ホーム 施設長 波多江努)
部族は不明ですが、「こころからの言葉は 書物よりも尊い。」という言葉があるようです。
飽きもせず福祉的解釈をすると「個別性と権利擁護、学ぶ姿勢」ではないかと思います。
「こころからの言葉」は、支援者がどこまで利用者の想いや気持ちに近づこうとするか。そのためにどのようにかかわっていくかが問われている気がします。現在、支援をしている中にも藁をもつかむ思いで、利用者のこころからの言葉に近づこうとしている人たちも多いのではないでしょうか。 そのようなかかわり方が巡り巡って権利擁護的な支援につながっていくのだろうと信じています。
「書物よりも尊い」は書物が尊くないというわけではなく、支援の現場を通じ、迷う、調べる、工夫するなどのプロセスが重要であり、そのプロセスを整理してくれるのが、書物や第三者からのアドバイスであったりするのだろうと思います。
そのようなことを積み重ねながら、「師は教えることでまた学んでいる。」というソーク族の言葉につながるのだろうと思います。この場合の「師」は利用者も支援者も該当しますね。
「(将来の夢)インディアンになる」にはもっと修業が必要だ...。
自分で作ったものはオリジナルロゴマークを刻印しています。