青い鳥を探して(16) (事務局・増田 達也)

前理事長の西田さんは、2002年6月に理事長に就任、200611月に逝去されるまで、4年半の在職でした。

 

西田さんは「即断即決」の方でしたが、判断が早すぎるため朝令暮改も何度かありました。また、いい加減なことを許さない白黒はっきりした方でしたが、ストレートで歯に衣を着せない言い方のため、何度かバトルをしました。「結論を先に言え!」というせっかちさに対して、最初は物言えぬ威圧感も感じましたが、どうしても納得いかないことを意を決して初めて詰め寄った翌日、「昨日は言いすぎました」と謝った時、「イエスマンは嫌いだから、言いたいことはどんどん言ってくれて良いし、済んだことは気にしなくていいんだよ」と言われました。そして、二度目にバトルをした時は、直後に飲み会があり西田さんが隣席に座られて、気まずいな~と思ったのですが、失礼ながら「さっきのことは忘れたのですか?」と感じる位、何事もなかったかのようにニコニコと話しかけてこられました。このことを通して、「物言えぬ」から「物は言えるし、言った後はリセットされる」にイメージが変わり、以降、気の弱い私?も、安心してバトルが出来たのだと思います。

実際、「済んだことにはこだわらないで、常に前向き」でしたし、亡くなられる直前、病院にお見舞いに行った時、「僕は、生きることに執着はないんだよ」と淡々と言われ、思い残すことはない・・・、十分幸せに生きられた・・・と、死を前にしてすら、動ぜず、後ろを向かない姿に衝撃を受けました。

 

葬儀後、西田夫人より多額のご寄付を頂いたのでお礼にお伺いしたら、西田夫人から開口一番、「あなたは、西田のことを嫌いだったでしょ?」と言われ、大変驚きました。西田夫人とは葬儀でご挨拶はしましたが、お話しするのは初めてでしたし、私のことなどご存じないと思っていたからです。「西田さんは、私のことを何か仰っていたのですか?」とお尋ねしたら、「家では仕事の話しは一切しなかったけれど、湘南セシリアから本部への異動の件で、さぞ西田のことを恨んでいるでしょうね?」と仰り、またしても驚きました。本音で話せる雰囲気だったので、「セシリア大規模改修工事とそれに伴う仮住まい生活には全力を注いだので、完成直後の異動は非情な人事だと思い、激しく詰め寄り、恨みもしました。でも、私には施設長としてのビジョンが欠けていて、まだしも数字を扱う仕事の方が性に合っているので、本部への異動を、今はむしろ感謝しています」とお答えしたら、「ずっと気になっていたので、ホッとしました」と言って頂きました。このことを通して、周りの方々の見えない所でのお気遣いや支えによって「今の自分が在るのだ」と実感し、独りよがりな自分を恥ずかしく思いました。

 

ちなみに異動の理由について西田さんに詰め寄った時、「話せない!」と言われたのですが、私は命じられる立場であると共に異動を決める立場でもあるので、人事異動に関しては、毅然として(でも出来れば誠実に)結果だけを伝えるべきことを学びました。ただ、「話せない!」の後に「その内わかる」と言われ、その通りに後で理由がわかったのですが、このことを通して、人事に関しては、事前に職員に相談したり、情報を漏らしたりすることは当然ご法度ではありますが、「その内わかる」というプラスαの一言はありかも、とも感じさせられました。

 

「即断即決」「済んだことにはこだわらないで常に前向き」「毅然とした」西田さん・・・、ご存命なら今月15日で76歳でした。

急逝からまもなく7年、時の流れの早さを感じています。

 

                                ▼あおぞらまつりで挨拶される西田さん

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