青い鳥を探して(28) (事務局・増田 達也)

福島 智さんの「ぼくの命は言葉とともにある」という著書を読みました。

 

「盲ろう」(現在日本に2万人近くおられるそうです)の福島さんのことは、四半世紀以上前のテレビで初めて知りました。福島さんは9歳で失明された時、「まあ、しゃあないか」と思われたそうですが、さすがに18歳で聴力も失われた時は、「どうして自分はこんな苦悩を経験しなければならないのか」と自問されたそうです。でも、その後、ご友人との会話(指点字)で、「現状をまず受け止めて、どう生きていくか・・・、盲ろう者として、自分にしか出来ない、自分だからこそ出来ることがあるはず・・・」、「見える人、聞こえる人と、自分を比較することに何の意味もない・・・」と答えられ、見えず聞こえずという状況の中で、何と前向きに生きておられるのか・・・と驚愕しました。

 

「命」は一方的に授かったもの、「才能」「財産」は努力によって獲得するもの・・・かもしれません。でも、「才能」「財産」も、タイミングやいろんな要素によって授かったものでもあると思うので、基本的に、人に誇ったり、人と比較するものではないと思います。なので、若い頃の私は、人と優劣を競って落ち込んだり、ライバル意識をむき出しにしたり、人からの評価を気にしたり・・・していましたが、今は、「一番になりたい」とか「負けて悔しい」「人の才能が羨ましい」という思いはほとんどありません(下らない例ですが、好きな麻雀も2番くらいが心地良いです。逆に言えば、向上心に欠けているのだと思いますが・・・)。でも、これは、私が健康で、あまり不自由なく生きているから言えることであって、(失礼な言い方だったらお許しいただきたいのですが)、もし福島さんと同じ境遇に置かれたら、人を羨み、自暴自棄になるだろうと思います。だから、「人と比較することに意味はない」という私の思いは、福島さんの思いとは、重み、深みのレベルがまるで違う、と痛感し、いろんな葛藤がおありだったことと思いますが、福島さんの生き方に、自分の置かれた境遇を嘆いたり、人のせいにしないで、理不尽さや損得を乗り越えて生きておられる究極の強さを感じました。

 

活字離れしている私もその後、福島さんの著書は拝読してきましたが、今回も胸に迫る内容でした。

以下、特に心に留まった個所を転記させて頂きます。

障害者という立場になって痛感することですが、私は生きるうえで大切なことは、まさに命を大事にする視点だと思っています。例えば、体があまり動かないなら生きている意味がないとか、何々ができないから死んだ方がマシだという発想は、その時々の社会状況や文化によって植え付けられた発想です。戦時中は「戦争に行けない人間は役に立たないごくつぶし」と言われて、障害者は自己肯定感を持つことが難しく、とても苦しんだという話をよく聞きます。現代でも「何々ができなければ、生きる意味がない」ともし考えれば、生きていけない人がたくさん出てきてしまうでしょう。まず、生きていることが理屈抜きに大事だと思うのです。なぜなら、私たちが生きているのは自分勝手に生きているのではなく、命を与えられて、生かされて生きているからです。これには理由も何もありません。もし生きていることに意味がないのであれば、そもそも私たちはこの地球上に出現していないはずです。

いかに生きるか、どう生きるかということも、もちろん重要だと思います。しかし、それは命の一割ぐらいにかかわる話であって、残りの九割ぐらいは生きることそのものだと言っていいのではないでしょうか。

ところが私たちは、この一割をめぐってクヨクヨと悩んだり後悔したりしています。その一割が重要だとも言えますが、その一割がなくても生きているだけでいいじゃないか、という見方もできると思うのです。

 

自分のしんどさには意味があるし、果たすべき使命があると考えなければ、自己崩壊してしまう・・・。

生きる意味を自分の味方にできるかどうかは自分次第・・・、究極の敵は自分です・・・。

 

軽々しいコメントは失礼で憚られますが、福島さんの言葉から、私なりに、

福祉、医療、政治、宗教の原点であるべき命の讃歌

過度に人と比較することによって生じる束縛や争いからの解放

人の尊厳、幸せ、自由、平和を踏みにじることに対して、声を上げつづける勇気

We are not afraid today.  We are not alone..

というメッセージを受け取りました。

 

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