日記

"わかりやすいは、わかりにくい"

日曜日夕方6時過ぎのゴールデンタイムにNHKは「これでわかった世界の今」。世界情勢を教室仕立で解説する。受講者は2人のタレント。時に質問に答えられなくなると判らない点を凝った道具で解説。民放では池上彰の"わかりやすさ"が売りの番組。池上はNHK時代「週刊子どもニュース」の父親役だ。お母さん(タレント)や子どもの質問を判りやすく説明していた。だが、今は同時刻に大人が対象になった。最近は新聞もデジタル化されスマホでニュースを読む人が増えた。だから新聞は紙面の作りを変え1ページぶち抜きの特集記事が増えた。新聞で大切なのは速報ではなく深読みだと判る。このような記事は有料だから多くの人は読まずに表層の記事だけ見る。一方、朝日新聞では"いちから わかる!"というコーナーが出来た。基礎が判りにくい等のニュースを解説する記事。内容は子どもの頃に読んだ「小学生新聞」のようだ。十分な知識がなく読み込めない記事を解説し、事情を説明し、自分の考えに至るように書かれている。テレビも新聞も判りやすさが購買力の重要な要素のようだ。

世論調査の回答傾向がとても気になる。それは「どちらとも言えない...」の増加。過半数程度が"どちらとも言えない..."の回答もある。そこから考えあぐねている様子が透ける。短絡的に結論を出せと言っているのではない。答えをひとつにする自信が無い...、知識が足りない...、自分の考えがまとまらない...大人が増えた印象だ。それを日本独特の"甘え"や"あいまい"な状態を心地よく思う慣習が後押しする。自分で自分の答えを作れない自信のなさは"マニュアル時代"を育て、二者択一でしか答えを考えない風潮を助長する。判りやすくすることで答えを"見える化"したくてもそう簡単に見えるようにならないものがある。例えば人の心は簡単に割り切れないから答えが一つになれない。支援場面で言語化できない人たちが何を求めているかを推し量る難しさと同じ。だから、簡単にしてわかりやすさを求めると一層わかりにくくなってしまう。答えという"点"がいくつか重なると立体になって複雑な形を見せる。哲学者・鷲田誠一に『わかりやすさはわかりにくい?(ちくま新書)』がある。そこに「出来ないことを「できる」ことの埋め合わせるべき欠如と考えるのではなく、そこからあえて言えば、「できなくなることで出来るようになること」というか、必ずしも「できる」ことをめざせない、そういう生のあり方こそ考えなければならないであろう。ノーマライゼーション(ノーマル化)ではなく、ノーマル(普通・正常)という規範的な概念そのものを、限られた概念として相対化していくときに、批判的にも働く視点としてである。(P134)」と。単純なことを単純にしないで考えると奥深いものを見る。単純にして判りやすくし見えなくなると、表層が見えても本質を見落とす。"わかりやすさ"は日本人が真実を見極める力をそぎ落としているようだ。難しくても真実を見極められる人でいたい。(2019.12)


令和元年が過ぎゆく師走。今年も無事に健康で過ごせたことに感謝です。年と共にささやかなことに感謝できる日々を送れるようになりたい。そう思いつつまだ煩悩がうごめきます。15日の配信前ですが、今年もお付き合いいただき有難うございました。