日記

"現場..."

刑事ドラマで「現場へ臨場!」と聞く。ドラマ『臨場』もあった。この"現場"は事件現場だが、職場でも"現場"と聞く。こちらは支援の場。支援現場があるとは、支援しない場があるということ。支援しない場は"現場"ではない...?支援は現場、それ以外は現場ではないとすみわけたいのかと職員が"現場が好き"と話す姿を見る。"すみわけ"で違いを明確にする。その言葉の裏に強調したい「何か」があるようだ。そこから"現場"は"大変..."の想いが見え隠れ。さらに自分自身の存在感を強調する様子を感じる。

つまり、支援現場が一番でそれ以外は...。そこまで言わずとも、現場がやらなきゃ仕事は成り立たない...。"現場"という言葉で自分とそれ以外の"すみわけ"が始まる。すみわけると"現場"が生き生きするかと言えばそんなことはない。

"場"が違うだけで多くの人は"現場"で働く。調理職の"現場"は厨房。では、栄養士は"厨房"か、それとも事務を執るデスクか...。両方含めて"現場"だから厨房の横に机を置く。栄養士がカロリー計算し献立表を作る。さらに衛生管理などを行うことで調理師は毎日3食の支度、始末が出来る。つまり、栄養士と調理師は一体的に"現場に臨場"しないと出来ない。それは職種に関わらず"現場"があるということ。

 若い頃、転勤で県内を渡り歩いた。三浦半島だったり小田原だったり。秦野転勤と聞き行くと平塚の隣接地。だが転勤は苦じゃなかった。苦労は時々に"役割"が変ること。最初は児童指導員、次は相談員、児童福祉司。施設勤務なのに管理課事務員。初の事務職は事業計画、入所調整、支援に必要な備品、事務用品の調整等、実に多様だ。初めての予算関係は四苦八苦。単位が判らない、慣れない計算に焦り繰り返し失敗した。そんな時自分はどうしようもない...と、極端に自己肯定感が低くなり自暴自棄に。

皮肉にも逃げたくなる場から"転勤"に救われた。新規一転できた。立場が変わり視点や思考回路が変化すると予算執行と支援が連動し、次の事業展開の質を考え、経済効率から事業の将来を見据えるようになった。

その間決して"現場"をないがしろにしたつもりはない。原点はいつも初仕事=児童指導員の時。そして支援の場を離れた時は書物や多様な資料、当事者の声が"現場"を忘れないようにしてくれた。ある時、精神障害者団体から"着やすい服にしてくださいね"と言われた。これからはパッケージではなくパッチワーク型のサービス、既製服でもバリエーションを持ち選択できると説明した時。直前に中西氏×上野氏の『当事者主権(岩波新書)』を読んでいた。当事者主権と着やすい服が一致した。それは事務職員などそれぞれの職種に現場があるということ。

"現場"とは特別な場ではなく"仕事場"。それぞれの役割、立場があるから自分の存在を特定したいと"現場"を使うようだ。それは職域の壁を作るだけ。必要なのはお互いの"現場"を自由に行き来できる関係性。相互理解はケアの本質。相互性が職域を生かす原点だと思う。(2020.7)