日記

たまごかけご飯

 小学校5年の冬、突然父が倒れた。心筋梗塞だった。往診した医師は"もって、3日!"。兄と薬局に走り酸素ボンベを運んだ。鉄製のボンベはとても重かった。走り続けたどり着いた我が家では必死の治療が行われていた。その後、持ち直して3年の療養生活。

 スポーツマンの父は、サウスポーで投げる姿がかっこよかった。"キャッチボールだ!"と声がかかるのが待ち遠しかったが、グローブに入る球が速く手がしびれ痛かった。だが、療養中は痛みがなかった。それより"大丈夫かな..."と...ひやひやしていた。

 ある日、布団から"卵かけご飯をつくれ!"と。"僕が?!"と思いつつ卵を米にからめ丁寧に作ったが"こんなの、食えるか"と返され母が作り直した。おいしそうに食べ、落ち着いた様子で眠った。何が悪かったか判らないまま、まずい卵かけご飯を食べた。今なら混ぜすぎは泡立ちおいしくないと判るが、当時は何が何だか分からないまま悶々とした。

 父が他界した直後、母が糖尿病を患った。ジャムをひと瓶なめるなど、おかしいと思いながら見ていた。疲労感が強く、何事も休み休みだったが、それ以上のことを考える知識はなかった。

 その後、好きで上手だった書道を習いだし、小学生と同じ教室で初歩から一緒にやり始め、師範の免状までいただき毎日楽しんでいた。今でも一遍の掛け軸が手元にある。コツコツと努力する母は、療養生活でも自重し医師からお褒めをいただく自己管理だった。カロリーが表示される秤で毎食測り、記録し、データを見て暮らす姿が焼き付く。ここまでしなければ...の印象があったので、わが身が罹患した時は重い気分になった。

 そんな母がおちゃめな顔で"今日くらい、いいね!"と。卵はカロリーが高く普段は避けるが、大好物の卵かけご飯をつくった。見て見ぬふりをしろということだが"食べれば..."と内心思っていた。おいしそうに食べ満足した母はしばらく座っていた。そこまで我慢しなくても...と思ったが言葉には出来なかった。古い時代ゆえ説明すると、父の話しは昭和30年代で生卵は貴重品、母の話は昭和60年代で安価な優良食品だった。

 長い時間が経ち病を得たわが身の食生活が難しい。カロリー控えめでも良質な栄養を摂らないと体力が持たない。脂身や塩分を控えると味気ない。そんな暮らしが既に17~8年、当初のストイックな管理をやめ、一定の幅で考えるようになった。

 寛容な医師の診察、一見アバウトだが暮らしに溶け込む栄養管理、適度なストレッチや運動指導など、良き医療機関との付き合いのおかげで落ち着いている。これは"一病息災"。

 それでも時折悪さをしたくなる。お酒もだが、先日"卵かけご飯"を食べた。なぜか食べたいのだ。朝食はパンと決め、野菜中心の生活ゆえ遠のいていたが、つれあいが不在の食事で"卵かけご飯"を食べながら、両親の"卵かけご飯"を思い出した。

 当事者の願いや考えを理解するのが難しいのは、当事者の様々な状況や条件、暮らしの背景があり、その場だけでは判りにくいことがたくさんあるから。今ならおいしい卵かけご飯を父にも、母にも作れる気がした。(2021.2)