日記

そうか!リモートは街場か

街を歩くと人々の暮らしが見える。一つ一つの暮らしに"社会福祉の種"があると考え、ず~っと街場の光景を切り取って考える素材にしてきた。だから、コロナ禍で街歩きをはばかり素材が減ったと思ったが、人々の暮らしは減っていないのだから「新しい生活様式」に変化しただけだった。そうだ、パソコン等の中で変化が起きているのだと気が付いた。

 例えば買い物。カード払いが嫌でポイントもほとんど使わないが、緊急事態宣言で本が枯渇しネット購入。○○ゾンを開くと希望図書はすぐ見つかった。新刊も古本も一緒に並び分かり易い。古本は傷み具合も説明してあった。購入をクリックするとメールで領収書が送られ届く日があった。宅配便だが程よい大きさなので郵便受けにあった。ネット購入デビュー。だが、棚に並ぶ大量の書籍を手にして眺める時間はなく書店購入と比べると味気ない。書店では予定した本より面白そうなものを見つけることも...。また、我が家では○○システムなる買い物が定番に。配送付きだから確実で重いものを運ばずに済み便利だが、陳列棚から探す楽しみや物色時の会話はない。人と人の関係がない。子どもの頃、買い物は小売店だったから店主との会話があった。スーパーになり会話は消え人間関係は希薄になった。でも、○○システムやネット購入はもっと、もっと人との関係がない...。

 職場でも日常的にリモートが使われる。例えば、メールで意見交換やペーパーレスもその一環。コロナ禍でいっそう拍車がかかっただけ。法人内でもリモート会議がある。集まらなくても出来るが、どこまで伝わったか、どう理解されたかが見えにくく、直接会った方が判りやすいと思うのは年齢...?パソコン内で仕事をすることが多いので在宅勤務のイメージは付きやすかったが、諸設定が整えば簡単に自宅で仕事ができる環境は新たな発見だった。職種によっては困難だろうが、この先の働き方改革の要素がふんだんにあった

 大学の講義も様変わり。リモート講義では、画面に学生の顔が映るが、顔が見えても1対1の関係にしかならない。もちろんチャットなどを使い意見交換をするが、どうしても1対1から抜け出せない。新聞等でも孤独感を覚える学生が多いとあった。そう、教室がどんなに大きく学生数が100人を超えても教室内の感情交流を共有したが、リモートでは全くない。つまり教師と学生、学生同士など人と人の共感を生み出しにくいのがリモート講座。知識を蓄えるだけなら十分だろうが、共感を呼ばないと人の姿が見えないため空疎感がぬぐえない。人間関係が希薄になって感じる空疎感は孤独感を生むようで、今年入学した学生には退学や休学を考える人が増えたそうだ。それもこれも人間関係...。

 子どもの頃見たマンガに印象的な宇宙人がいた。頭が妙に大きく手足が紐のように細いのに指の先端だけが太く大きかった。すべて機械化され人工知能が働く世界でスイッチを押すだけの暮らしの中、孤独感にさいなまれる様子が奇怪な印象だった。ITの中で暮らす...と、その時の感情がよみがえった。この感情がコロナ禍でリアルな輝きを見せている...。やっぱり、どろどろした葛藤も含めて人の住む社会なのだ...と。(2021‐2月②)