日記

街を歩く 歩いて考える 考えて問う

2年間、街並みを歩き社会福祉の"種"を見た。元々"社会"から"福祉"を見る傾向が強い。課題のある人が社会適応する方法を考える時はその人から見る。例えば、心理学や医学は、個の"幸せ"を考える。でも、社会構造や社会問題を取り上げ考える角度がないと、本当に社会が手助けすべきかが判らない。だから社会学的思考で"幸せ≒福祉"を考える。すると経済状況や政治事情が混在し法律も承知したい。それゆえ社会福祉は実に漠然とし学問にならないといわれる。つまり"あいまい≒良い加減"が原点。だから『専門家の知恵(ゆみる出版、ドナルド・ショーン著)』では社会福祉領域を"マイナーな専門職"とする。だが、それは1人ひとりに添うために必要なこと。それが社会福祉の難しさとなる。だから、街を歩く人、それぞれに社会福祉があると思い、街歩きを"考える種"にした。

 歩くと本当にいろんな"種"がある。看板ひとつでも、街並みや歩く人たちの雰囲気でもそれぞれに"種"があるので、考えたり書いたりすることに事欠かない。"種"があるとは"考える"素材があるということ。

歩く時は音楽を聴く。ジャンルは問わないがリズミカルなものが良い。なぜならテンポよく歩け、脳も活性化し自然に考え始める。多忙な頃は仕事に関するアイディアが突然降ってきた。大学勤務時は講義の素材や資料の作りが浮かんだ。今も同様に仕事の段取り、資料の構図が浮ぶ。最近では"ケアのグラデーション"や"日常と非日常のあいまいな境界"などが歩いている時に思いついた。もちろん、仲間と共に考えると厚みが出るので、アイディアを書き示し誰かに問う。たとえ反応がなくとも説明中に頭が勝手に動き、さらに進化する。また、説明する内容と以前に考えたことが合体して新境地を見る時もある。最近、専用のペンで書けるスマホを手に入れた。思いつくと迷惑にならないように隅に立ち止まり書き留める。どうでも良いこともあるが、ペンとノート持参より機能的。いずれにしても"考える"楽しさが街を歩くことにつながっている

 考えたことだけが答えと思わない。専門領域はエビデンスが薄く多様性があると知ってからは多様性を楽しむことにした。Aさんの場合、Bさんの時の答えが同じになるはずはない。だから"答え"ではなく"応え"を探す。つまり、Aさんの場合はこの応え方で良いが、Bさんの場合はあの応え方...と考え、答えではなく"応え"と。理論的には正しくても、臨場した場ではちょっとずれたり、スラしたり、変形したり...と考える。理論的に正しい答え≒理論値ではなく、現場で変化した応え≒臨床値を考える。だからいつまでも答えにたどりつけないが、それが社会福祉領域≒対人援助=この仕事の特徴。だから、一生懸命答えを求めるが、また答えに問いかける。まるで砂に水をためるような話だが、根気よく答えに問いかけないと、社会福祉現場では進化しないと50年もかけてようやくたどり着いた...。重い荷を背負わされたような気もするが、だからこそやりがいがある。それゆえ未来を託す若者の姿が見たい...。(2021‐3月②)

 新年度からは「私の出会った人々」をテーマに書き続ける予定です。