日記

椅子

職場が変わるたびに"席"が変わった。席とは、仕事中の"居場所"。居場所には必ず"椅子"と机がある。役割が重くなるに従い机も椅子も変る。机は袖なし机→片袖机→両袖机の順。仕事の範囲が広がるに従い増える書類にスペースを必要としたので必然だった。

 一方、椅子は座れれば良い。特に変える必要はないが、ひじ掛けがあるとかないとか...。"椅子"は権力の象徴として使われることがある。"総理の椅子はいかがですか?"と問われる時の椅子は、革製の重厚なもの。椅子がその人の役割を表している。

 椅子は、用途でずいぶんと異なる。ホテルのロビーの椅子=ソファは、ホテルの顔だからそれだけでホテルの特徴を表す。社長の椅子は、来客を意識したものでもあり、来客用のソファとの一体感を醸し出す。それが会社の姿を現してもいる。

 我が家に自分用の椅子が5脚ある。一番身近な食卓の椅子。長時間座る書斎の椅子。寝室にはゆったりとくつろげる椅子と簡単な書き物が出来る座卓に座椅子。そして、テレビの前のリクライニングソファ。

 それぞれの場でやることが違う。必要不可欠の食卓は、利便性が一番だが食事の姿勢にふさわしくないと腰を痛めそうで落ち着いて食事が出来なくなる。書斎の椅子は背もたれが動くが、あまり使うことはない。パソコンで書き物をすることが多いから、その機能を使う時がないのだが、その場で本を読んでいた頃はソファのようにゆったりともたれかかった。座椅子はめったに使わないが、手紙を書く時などに落ち着いた時間を提供してくれる。初めての机が座机だったことが記憶のどこかで落ち着かせてくれるようだ。テレビの前のリクライニングソファは居間にあり、くつろぐ時間に使うが居間だから家族団欒のお供でもある。最近のお気に入りは寝室の椅子。フットストールを置いて身体を沈める。身体を椅子に預けながら手元灯で本を照らし音楽を聴く。こんな時の音楽は抑え気味で穏やかな曲が一番。例えばパンフルートやオカリナの単音でメロディーだけのもの。時には小鳥の啼き声や波の音など。とにかく邪魔にならず、聴くとも言えない状態になる。椅子は公的な場では、組織の特徴や権力を表すが、家庭内では個人の趣味趣向が顕著。人間の暮らしに陰と陽、表と裏があるように、暮らしのそれぞれを象徴する"椅子"にそれぞれの表情がある。

果たして利用者の暮らしにはどのような椅子が用意されているだろう...。もちろん出来ること出来ないことはあるが、社会的に当り前の基準はどうか...。五つもの椅子は贅沢...?もちろん若い頃からこのような暮らしが出来た訳ではなく、長い積み重ねの結果。では、施設の暮らし、施設の椅子を見て何を考えるべきか...。インクルージョンの前は、インテグレーションだった。その源流はノーマライゼーション。

今年度は"日常を見直そう!"と考えている。ノーマルな暮らしを原点に考えることはとても難しい。この難しさを念頭に入れて"椅子"を見る。障害がある人の暮らしはノーマルかどうかを見直すと何が見える!?(2021.4)