日記

"ぼく、すっちゃったんだ..."

大学最終年の4月から神奈川県の非常勤職員になった。児童相談所一時保護所勤務。確かに採用時"夜間警備員"と言われたが、実態は"夜間指導員"。全く役割が違うから相棒(同級生:後児童養護施設指導員)とそう呼んでいた。

その最初の出会いは衝撃的だった。"先生、卓球やろうよ!"と小柄な小6男子が声をかけてきた。どう見ても遊びだと思った。だが、新米指導員は声をかけてくれる子がいることがありがたい。卓球台を置いたら隙間もないような場所で、ニヤニヤしながら軽くウオーミングアップが始まった。うん!うまいな!...と思う間もなくスマッシュが入った。予想もしない攻撃だった。少し本気になったがどうにも...。かなわないのだ。汗をかき、かき必死になったが、とても勝てる雰囲気はなかった。参った!と声をかけると"結構やるじゃん!"と余裕たっぷり。勝ち誇るような振る舞いだった。あとから知ったが、施設対抗の全国大会で小学生の部優勝者だった。

 明るく、間違ったことをしない優等生だが、自宅には帰れないようだ。学生アルバイトに詳細は知らされていなかった。それなりにかかわりが持て、会話できるようになった頃の真夜中にドアをノックする音で目覚めた。時計を見ると深夜2時。何かあったかと思い開けると少年が立っていた。"先生、話したいんだ...。""入ってもいい?"と。部屋に招き入れるといつもと違う少年が隅にうずくまった。なかなか話し始めず沈黙がおおった。だが、話し始めると止まることがなかった。

小学校2年の時に両親の離婚で新しい母親が来た。継母は食事も作ってくれなかった。父親は継母の言うなりで休日の外出など夢のまた夢。一方、隣の同級生は休日のたびにマイカー外出。本当にうらやましかった...。ある日曜日、いつものように外出する隣の子の姿を見た。隣家に誰もいないことは分っていた。

 話が止まった。口ごもっている。じっと待った。次の展開が判るほどの経験も知識もなかったから、どうすればいいかも判らなかった。"それで..."、"ぼ・く、すっ・ちゃっ・た・ん・だ・よ..."。"え~ぇ?何を?"。"マッチだよ...、ちかくにあったんだ..."。"もえちゃったの?"。"火がついて、あっという間だった..."。"消防車、呼んだ?..."。"呼ばないよ。だって、ぼうぼうもえて、どうしていいかわからなかった...""それで?"。"お巡りさんが来て連れていかれたんだ..."...。話し終ったのは明け方5時近く。うつむいたままの少年。新米は疲れ果て、何をどうすべきか判らなかった...。仮眠もとれないまま子どもたちが起き出しいつもの朝が始まった。朝食後、大学に向かう足が重かった。

 家庭裁判所は「児童相談所送致」。非行少年は①虞犯、②触法と2種類に分けられるが放火は犯罪行為で「児童入所施設措置」となった。数年の施設暮らしで成長した少年は中学入学を期に新たな施設で生活する予定だが決まらず、入学式直前にあわただしく転居した。はちきれんばかりの笑顔は、卓球で培った"頑張り"が身についた証拠。次の施設でも元気に成長してくれることを願った。これが私をこの仕事に誘った最初の出来事。(2021.4①)