日記

気づかされた言葉

 職場で良くも悪くも"えっ!"と思うような言葉に出会った一瞬が忘れられない。最初の知的障害児施設で、家族関係は安定し父親は温厚で経済的な不安もない。本人に目立った課題はなく穏やで会話も十分。もちろんADL自立。唯一考えられるのは「就学猶予・免除」の時代ゆえ"学習機会確保"。中卒年齢で"家庭復帰"の可能性が出た。行動が落ちついたから家業を手伝わせたいと。入所施設からの家庭復帰は極めて稀。"お手伝い"の練習を繰り返し万全の態勢で帰宅。繁忙期が過ぎ、収穫物を持ってあいさつに来た少年は自信にあふれ輝いていた。父の丁寧なお礼と共に本人が手伝った収穫物が子どもに渡された。充足感、喜びがあった。この仕事のだいご味を知った。だが、農閑期になると父親から悲鳴の電話。"何とかして下さい。""毎日、追いかけられているんです!"。問題は暇な時間を過ごす術がないこと。指示を待って動くように指導した職員側の問題だった。まだ"余暇訓練"と称す時代の支援の誤りだ。支援とは...と深く考えさせられた。

 短期入所利用者。穏やかに過ごせるがパニックがある。特に指示的な発言に反応が強い。一定の言語理解はあるが、発語はなく意思確認が難しい。母親同席時は従順で安定した様子。ある日、面会に来た母親に気づいていない本人が音楽を聴いていた。母親は"音楽は好きです。でも、クラシックしか聞きませんよ!"。驚いた!その時、はやりの歌謡曲を聴いていた...。本人を見た母親は驚き"いけません!クラシックにして下さい!"強い口調だ...。従順であることが本人のストレス。穏やかな姿を見せている裏で心が曇っていた...。

 法改正等では行政説明を行う。趣旨や変更理由、改正点を説明する時に"これまではパッケージ型サービスで、今後はパッチワーク型サービスです"。自分で選んで組み合わるとその人らしさが出ると説明すると、当事者から"制度が変わるたびに僕の暮らしが変わるんです!どうしたらいいですか!"。次の人はあきらめ顔で"どうでも良いから...着やすい服を作ってくださいね!"..."着やすい服になるように、利用する人もどうしたいか考えよう!"と伝えるのが精一杯。

 寮長職(主任)になり成人入所施設に転勤。子ども時代に一緒だった利用者がいた。昔馴染みゆえニックネームで声をかけたら笑顔だ。すると、若手職員が"それはダメです!"。笑顔で振り向き、反応も悪くないのに...。毅然とした態度で言ったのは2年目職員。"良いんだよ、昔からの知り合いだから"と返すと、間髪入れずに"ダメです!"。"どうして?""だって本人が承諾しているか分らないです!"と。発語なし、簡単な言語理解の利用者ゆえ二の句がつけなかった。"分かった"。ちょっと憮然としたが正しいと思った。その後、ニックネーム廃止が進められていると知った。相手を尊重するとは何か...改めて考えた。

 利用者の考えが判らない。あるべき論で利用者の行動を決める職員がいる。それしか出来ないと思っているふしがある。あるべき論と現実の狭間で右往左往するのは利用者...。いまだに"ふさわしい対応(支援)"≒"応える"支援が出来ているか判らない...。(2021.5)