日記

"マージャン療法?!"

特養勤務はわずかだが深かった。家族会の会長は毎週末訪れる利用者の娘。不便な場所だったが彼女には助っ人=息子(大学生)がいた。だが、彼は姿を見せず母の面会が済むまで車にいた。周到な準備をしている様子だったので聞くと"あの子は、私を苦しめた人と思っているんです。小学生の頃、髪を振り乱して母を追い、妄想に苦しめられた姿をず~と見ていましたから...」。それなら同行したがらないのでは...と尋ねると「判っているんですよ。病気だって。だから母親の手伝いなら許せるんでしょうね...。」「それで良いと思っているんです。」家族それぞれの想いを理解するのは本当に難しい

 ほぼ自立している人がいた。80歳後半で車イス、私物を持ち込み個室暮らし。ただ誰1人来訪者がない。辛酸をなめ、必死に生きた記録を読んだ...天涯孤独。赴任時、職員への苦情がすさまじかった。次第にカメラが趣味と知り施設周辺の草花を撮りに誘った。最初、怖がったがしだいにせがむようになった。施設のお祭りで大きく"○○氏 個展"と書き、模造紙2枚に重ねながら貼れるだけの写真を展示した。確実に苦情が減り私を"息子"と呼び出した。転勤を告げると"息子だから電話しても良いね..."。出られない時もあると伝え了解した。すると最後のお願いと"死んだら検体して欲しい。届も出した!"と書類を見せた。社会参加だと思った。転勤後、奇妙な電話に部下は切ろうとしたが説明して時折受け入れた。社会参加できない彼女を哀れに思うのではなく、彼女の努力のお供だと考えたが、電話は来なくなった。風の便りに亡くなったと聞いた。

 寝たきりか、寝かせきりか良く判らないが、動きにくい高齢者ばかりの場ではそういうものだと思い込んでしまう。それを若手職員が気づかせてくれた。明治生まれの女性は中国で育ちテニスや麻雀を楽しんだ由。麻雀なら出来るだろうとの提案。しかし、今話したことも忘れる方が麻雀...想像すらできない...。それでも引き下がらない若手職員を諦めさせるために雀卓に誘った。所長は無類の麻雀好きで、職場で公認の麻雀に積極的。雀卓の前に座った彼女はすぐにジャラジャラとパイをかきまぜ、並べ、2段にして準備完了。驚いて見る職員に"早く"と促す。始まると"ポン"だの"チー"だの"リーチ"だの、実に手早く、姿勢もシャンとして楽しむこと30分程。帰り道、車イスの横で"すごいですね!独り勝ちでしたね"と声をかけると"あら、そんな失礼なことはしませんよ!"とぴしゃり!接待麻雀は、負けないように勝たないようにし、相手に花を持たすと聞いたことを思い出した。以後、所長命令の「マージャン療法」が定期的に行われた。元気を取り戻し明るい表情を喜んだ。ご主人は月1回程度の面会。"お元気になって良かったですね!""ありがとうございます!...、でも...つらいんです...""どうしてですか?""帰ろうとすると「行かないで...」と言われるんです..."と苦渋の表情。雀卓での彼女の眼の輝きが忘れられない。そして、ご主人の悲しい眼も...。人は、人と触れ合い癒され、人との葛藤に辛酸をなめ、人との交流で生きる力を得る。全てを投げ捨てたら生きるエネルギーを見出だせない。施設の役割を今一度深く、深く考えさせられた。