日記

「学ぶ」&「考える」とは...

人々はヒーローが好き!だから、試合後必ずインタビューがある。だが、野球選手もサッカー選手もお相撲さんも決まった言葉が多い。個人的には「感動を与える!」や「勇気を与えたい!」が嫌いだ。感情まで左右できるというおこがましさが気に入らない。だが最近、個性的な発言が増えた。社会的発言がある大阪なおみはインタビューを拒否し罰金を払い、精神的に追い詰められていると吐露した。休養宣言したがオリンピックでは聖火最終ランナーを務め、試合に出場したが敗退した。若い人が多いので自分の言葉で話すのは相当なプレッシャーだろう。ましてや大阪なおみのように社会的影響が大きい人は苦しかろう...、察するに余りある。

 『プロサッカー 監督の仕事(KKカンゼン、森保一著)』を読んだ。副題に"非カリスマ型マネジメントの極意"とあった。当時サンフレッチェ広島の監督の森保一氏は、ご存じ日本代表、オリンピック代表の監督だ。「反省のない切り替えには意味がありません。しっかり反省したうえで、その試合における「成果と課題」を振り返って次に向かう。(P17)」とあった。これが象徴的で、自ら考えられない選手は試合中に役割を果せないと。"非カリスマ型"とは、指示に従ったプレーではなく、状況に応じたパフォーマンスを出せる選手。しかし、最近は"答え"を求めすぎてしまい、自らの"答"を生み出す力が弱った。

 コロナ禍で開始時期がずれ朝ドラ『おかえりモネ』が始まった。気象予報士になる夢を追い勉強中。職場の若い医師から"知識を得たいのか、試験に合格したいのか!"と聞かれ"気象予報士になりたい!"と言うと"気象を知る勉強と、気象予報士になる勉強は違う!"。その前に、勉強し始めたモネが問題集を見ていると"勉強するなら絵本や漫画から始めれば良い"。また、問題集と絵本を前に"間が飛んでいる!"と中学生理科の教科書を手渡した。この一連の話しが今を現す。問題集では根源が判らない。根源を判ったつもりで問題集をやるとプロセスが判らず解答を鵜呑みにする。勉強≒学びとは、根源を理解しプロセスを深めなければ"答"を見出だせない。良い点を取る勉強は正解を求めすぎ意味を理解しないで終る。意味を理解する大切さが判っていない。

 利用者支援は困っていることを支援し満足する。しかし、これでは支援を受ける人は自分で出来るようになれない。だから、ず~っと支援が必要になる。それでは支援が利用者の"自立"を妨げてしまう。ず~っと支援が必要なこともあるが、自分で出来るためには手伝うだけでは届かない。だから、究極の支援は"見えない支援"。"○○してあげる"ではない。だが、どうすれば良いか判らない。人は、多くの場合経験値で判断している。だから生活歴を見れば価値観や好みが判り予測が可能になる。言語化されない利用者の行動パターンが見え出す。これをデータ化したのが"記録"。だから、利用者から学ばなければ"支援"は出来ない。"〇〇してあげる!"は、支援ではなく"おしつけ"だと認識しなければならない。利用者からの学びを重ねて"考え"、自ら答を見出ださなければならない。自分自身がクリエイティブな存在にならなければ学んだことにはならない。(2021.8) 

※「人間のあらゆる尊厳は思考のうちにある(パスカル)」