日記

"♯We The 15"

 あっという間に熱が冷めてしまったパラリンピックは、アスリートの大会と言われるようになったが、IPC(世界パラリンピック委員会)は、"原点回帰"を提唱し、"♯We The 15"を今大会から始めた。ダウン症の少女が発言する映像があった。"15"は、世界人口の15%が障害者だから、すべての障害者の課題を...という意味。15%が障害者」って、多くない?厚生労働省の発表は936万人、総人口の7.4%なのに...IPC映像では顔にあざがある人も出演している。日本は範疇が狭く障害者の理解が限定的のようだ。

 "原点回帰"とは、パラリンピックが英国のストーク・マンデビル病院でグッドマン博士がリハビリテーションを目的に行ったスポーツ大会が起源だから。アーチェリーが最初の競技だが、当時は"スラローム"があり、車いすの操作技術を競うリハビリ目的らしい種目があった。ローマで初めてパラ大会が行われ、次の東京(前回)でオリンピック会場を使い毎回実施と決定した。また、ソウルでは、それまでの"パラプレジア(マヒ)"の"パラ"を"パラレル(並行)"の"パラ"とした。パラリンピックがオリンピックと並行の大会となり、選手を"パラアスリート"と呼び、スポンサーが付き障害者アスリートの大会となった。しかし、グッドマン博士が提唱したのは、障害を得て心まで病む人たちの"生きる喜びをスポーツで取り戻す"リハビリテーション(社会復帰)だったので、その原点に戻ろうということ

 日本のパラスポーツの父・中村裕医師は、ストーク・マンデビル病院に留学し、帰国後パラスポーツの発展に尽力、前回の東京パラ日本チーム団長だった。大分県に障害者施設・太陽の家を創り「保護より機会を」を理念に就労中心の支援と共に障害者スポーツの発展に尽力した。中村医師がモデルのNHKドラマで、車いす生活に悲観した中途障害者が車いすバスケに挑戦し生きる喜びを取り戻す姿があった。多くの中途障害者が自殺を考えるそうだが、ドラマではスポーツの力で恢復する姿があった。障害者にとってスポーツが特別な力を持つようだ。それが原点回帰、"♯We The 15"。

これまで健常者スポーツをベースにした競技が多かったが、次第に重度障害者も楽しめる"ボッチャ"や視覚障害者の"ゴールボール"など障害者のために提案された競技が加わった。次第に変化する競技が"マヒ(パラプレジア)"ではなくオリンピックと"平行(パラレル)"になる姿を表す。それは人間の可能性に挑む障害者=チャレンジドの素晴らしい姿だけでなく、障害者が趣味等を楽しみ、生きがいを見出す姿と重なる

パラスポーツ写真家の清水一二さんは七沢リハでの勤務経験がある。既に40年のキャリア。作品はスポーツを楽しむ障害者の真摯な姿、勝者の笑顔、悔し涙の敗者だけでなく、障害者への熱情も感じる。それは障害者の日常を映し出し、社会へのアプローチを観る。障害者には、スポーツが単なる勝負でなく豊かな人生へのツールとなっている。それは"インクルージョンふじさわ!"をミッションとする(福)藤沢育成会の目標と同じ。メダルや勝敗ではないパラスポーツの価値をみた。