日記

"自傷"は心の叫び

 とにかく頭を守るためヘルメットをかぶっていた。うずくまるように座り側頭部を叩く女性。頻繁な時は職員同士で"不安定"と伝え合ったが、抑える手を振り払い叩いた。なぜ?どうして?痛くないの?訳が分からずなすすべもなかった。人間の痛覚が鈍磨するわけがないと思いつつ、見続けると判らなくなるほどの叩き方だった。か細く"フナンテイ..."と繰り返す。"不安定"が自分の様子だと知っていた。ある日、白いヘルメットが赤く汚れた。叩きすぎて手のひらが裂けていた。やむを得ず精神安定剤を使うと自傷は減少したが動きが鈍くなった。唯一"モーニン、カケテ!"。大好きな曲で"フナンテイ"がしばし消えた。だが、どうにも応じるすべがなかった。

"ダメです!頭に、そんなもの..."地域サービスで緊急一時保護された低学年の少女の母親は、体裁が悪いので一緒に歩けない...と。障害受容が出来ず追い詰められ養育困難となり入所の是非を諮っていた。でも、母が施設入所させたいのは明らかだった。少女は繰り返し自傷(頭突き)があるため、常に一緒にいる支援が必要だった。投薬でも抑制しきれなかった。"そんなもの!"とは頭部保護のヘッドギア。母の心を見透かすように少女はわがままに自己主張したが応じる母ではなかった。するとさらにエスカレート。母が少し落ち着きを取り戻し、家庭生活を受け入れようとした頃だったがヘッドギアは決定的だった。担当医に少し待って欲しいと交渉すると"命の問題なのよ!"と一蹴された。母子の暮らしを求め必要最小限にヘッドギアを使ったが、母の足は遠のき施設入所が決定。すると少女の自傷がこれまで以上に激化した。心の空洞を埋める手段はなかった。その後の便りで妹は当時まだ珍しかった中高一貫校に進学した...。

 次は男性。思春期真っ盛りの養護学校高等部生。児童相談所から入所枠が空くまで一時利用でつなぎたいと言われた。初めての相談は、両親に妹と本人の4人で来た。母は話しに集中しつつ少しの涎も見逃さずふき取る。父は本人の両手を握ったまま。捕まえているのであって手をつないでいるのではない。母が見落とすと妹がハンカチで兄の涎を見逃さずふく。"それではお兄ちゃんだけプレイルームに行きましょう!"と誘うと"ダメです、あの子は私がいなくちゃ!"。"そうですか...、近くですから何かあったら声をかけます"と連れ出そうとすると、強硬に同行を主張。次は"妹が一緒なら..."と。父は無言。それでも親子分離して別室に行くとバッシ!バッシ!と鳴り響く。母親はおどおどしながら"だから言ったじゃないですか!""私が一緒じゃないとダメなんです!"そうですかと受け流しながら、話し続けていると音がしなくなる。"どうしたんですか?""何をしているんですか?"...と疑うので観察室から様子を見た。心理担当の膝枕で穏やかに眠っていた。"どうして?""..."皆、理解不能。心理担当と"過干渉"で一致。治療計画を立て3か月短期入所。毎週母親面接と週末帰宅が条件。児童相談所や学校等関係機関とのカンファレンスを月1回実施。退園前、母は自宅で見ると宣言、経過観察で毎週来園した。過干渉が鳴りを潜めると自傷行為は消えた。本人を諸サービスに委ね仲間と地域作業所を立ち上げた。母親が本人を受容できた。地域で暮らす可能性を初めて感じた経験だった