日記

「従順」と「抗う」

 今月、6回目の年男の誕生日を迎える。長く"フクシ"に従事した。23歳で福祉職として県庁に入庁以来50年、児童指導員、相談員、児童福祉司、行政と転勤した。ヒラから管理職となり、大学教員、理事長と役割が変わったが"フクシ"から離れたことはない。良い仕事に就いたと"フクシ"に感謝している。どんな仕事でも熟練するに従い奥行きの深さや、幅広な視野を持たなければ出来ないだろうが、"暮し向き"が基点だから自らが成長しないと難しくなる。だから、与えられた役割を担うために必死に追いつこうとした結果が今に至っている。

 若い頃は従順だった。明治生まれの両親からルール重視を叩き込まれたからだろう...上席者に従順だった。だが、どう発言したら応じていただけるかは常に腐心した。なすべきことは常に自分の"ものさし"で判断した。仕事でも己の価値観で考えるのが基準。だから従順だが自分色を求めることを重視し個性を見出だそうとした。"福祉職"として行政で働く人は、個性が抑えきれないような仕事ぶりだった。もちろん時代背景もあろうが自分がやりたい仕事を追い求め残業手当など無視していた。家族への広報誌は自前で作る。当然業務終了後で残業を気にしたら出来ない。不登校の子どもとの約束を確認するため朝7時過ぎに家庭訪問。登校の可否は8時前後のため外で見守る。残業を気にしたら出来ない。その頃"公務員は、休まず、遅れず、働かず"などと揶揄されていたが、全く逆だった。

 もちろん、上司に逆らえばパージされることもあり、いわゆる冷や飯喰いもいた。だが、最近はこのような人を見かけない。従順とは付き従うだけのようで、したたかさが感じられない。なぜこうなったか考えると、後輩たちから福祉職を選んだ理由を "公務員になりやすかったから"と聞いた頃から増えた気がする。また"究極の五択戦術です!"と。つまり、統計上、正解率が高いと言われた番号を選び合格したという。そこに"社会福祉"への想いは感じられない。何をしたいかが判らない状態で自分色が出るはずもなし...。

 学生時代は70年安保時代。社会福祉学は孝橋正一が人気。難解だったが『社会事業の基本問題』や岡村重雄の『地域福祉論』も読んだ。必須科目には「社会問題」。"フクシ"は社会変革の道具と考える向きもあり、ドヤ街【現在は放送禁止用語ですが、当時のまま使わせていただきます】のボランティア活動で学生運動のセクト争いに迷いこみそうになった。少なくとも制度重視で学ぶ機会は極めて少なく、社会福祉制度はいまだ道半ばと主張していた。このような学びを重ねた先輩たちは、社会問題に敏感で"政治の時代"ということもあるが社会運動(ソーシャルアクション)が活発だった。

しばらくすると心理学者が"良い子が危ない!"と発した。子どもが忖度する時代に...。人を気にするため、誰はばかることなく考えを発する人が減り"丸く納める"。我が事も丸く納めるのだから、他人事では痛みが判らず"まん丸に納める!"。損しないための"忖度"は当然で、なぜいけないかが判らない...。ただ従順なのが良いのではなく、すべてを抗うのが良い訳でもない。どう"おりあう"かだ。社会問題を見据える社会福祉は社会とのおりあいが重要。6回も年男になればそろそろ枯れてもよさそうだが、まだまだ抗いたい己がいる。