日記

"凛"としたフクシが欲しい

 以前から、ちょっと変だ...と思っていた。違和感の始まりは、若い職員が傷だらけで来た時。強度行動障害のある利用者が興奮して暴れ、爪を立ててひっかく行為に応じ傷だらけになったそうだ。職員全員が気にかけていたがその中に入れなかった。何故やらせたのか...の回答が見えなかった。利用者に応じるのが仕事だと言うが、傷だらけで受け入れたら利用者はどう感じるだろう?暴力が許されると思わないか...。エスカレートしないか...。嫌だと言えないのか...。してはいけないことをどう教えるのか...。「自己決定支援」とは何か?「意思決定支援」とは何かを理解しているか...、と疑問だらけだった。

 (福)藤沢育成会は"インクルージョンふじさわ"を目指す。それは誰もが街で暮すこと。だから、"それぞれのMy Life"も並行させる。なぜなら街で暮すとは、それぞれ自分らしく暮すことと理解されているから。それを社会福祉では"個の尊重"と言う。ひとり一人が大切にされるとは、誰もが地域で暮すことが目標。基本は利用者が地域社会の人たちと同じように暮すこと。それは"社会のルール"を守らなければ嫌がられる。でも、社会のルール≒決まりごとは、利用者には難しいことがある。だから、入所施設で暮せばいいと考えられてきた。だけど、もっと自分らしく暮したいのに、集団生活では許されない。堂々巡りで、どうしたら良いか答えが見つからない。

 でも、次第にグループホームやアパートで暮す人が増えた。身体障害者は、前から地域で暮して来たので身体障害者入所施設は少なくなった。だけど、自分の考えを決めにくい人がいる。決めても出来ない人もいる。周りの人たちと仲良くなったり、約束を守ったり、自分のことが出来ないと難しい。そこで、グループホームでは地域のことや、街の約束を代わりにやってくれる世話人さんがいる。世話人さんが手伝ってくれるので、多くの人たちが街で暮し始めた。でも街には心配がつきまとう。迷惑をかけることもある。そこで次第にごめんなさいの気持ちから卑屈になる。迷惑をかけていないのに卑屈になると、どんどん押し込まれる。そうしないために"こびる"。"こびる"を辞書で見ると「他人に気に入られるような態度をとる。機嫌をとる。へつらう」。近隣の人にこびることが地域生活を支えるのなら、施設内で顔色を見て暮すのと何が違う?!自分の部屋があるだけで良いのか...。施設を出れば良いのか...。自己決定できなくても良いのか...。次第にモヤモヤが増える。でも、やりたいようにすると施設で暮せ!と言われてしまう...。こびたり、おもねたり、へつらったりしないためにはどうしたら良いのだろう...。

 「地域生活の推進」と言いながら、このようなことを考え、話し合うことが本当に少ない。"地域で暮す"ためには、約束事が守れなければ難しい。だけど、判らないことや出来ないことがあるから、協力してもらって"地域"で暮す。でも支援は人それぞれだから、ひとり一人に"個別支援計画"がある。計画通りではなくてもその時に必要なことを手伝ってもらわないと暮せない人が地域で暮すためには、地域の人たちの理解が増えたらやりやすい。本物のボランティア経験が理解する人を増やす。だから、卑屈にならず、おもねないための仕事もある。地域生活のためにはこれらすべてが職員の仕事。(2023.3)