日記

大変お世話になりました。

  スメタナの交響詩『わが祖国』が好きだ。祖国の独立、尊厳を願い書かれた。第2楽章で大河「モルダウ」を表現した。水源のわずかな水がいずれ大河となり大海に出る。スメタナは我が子を病で失い、自らも病で失聴する悲劇を経てこれを書いた。他方、共産化に反対した指揮者クーベリックはソビエト連邦崩壊時、亡命先のアメリカから帰国し『プラハの春音楽祭』で指揮した。この音楽祭は『わが祖国』がオープニング曲と決まっている。権力に抗い亡命し、時を経て帰国した直後の演奏は強烈な印象を残した。美しいメロディーにこの背景を重ね♫モルダウ♫を聞き、人の生き方を黙考する。

 初めて、社会福祉を意識した時は単純に"慈善事業"と考えていた。大学受験に失敗し人生の敗北者のような気分の時、出会ったのが孝橋正一の『社会事業の基本問題(ミネルヴァ書房)』。良く判らなかったが"社会福祉"ではなく"社会事業"としか言わない著者に凛とした姿を見た。特に"社会事業は改良主義で社会体制変革のプロセス"の言説が心に沁みた。学生運動の時代ゆえ一層社会福祉事業の社会的価値、意義を感じその後の社会福祉事業の原点となった。それ故、従順で抗わない振る舞いが気がかり。

 サービス利用者は、精一杯の努力をしても生きづらさが改善出来ない人が圧倒的に多い。だから"生きづらさ"への補填的支援が役割。それ故今の社会が当たり前とすることに疑問を持つ。たとえば"忖度"がよく使われた頃は"権力におもねる人"を揶揄したが、最近は忖度すべきところが判らないのか...と押しつける傾向が伺える。"寄らば大樹の陰"の言葉通りで一流大学に入り大企業に就職することが人生の成功者だと思い込む人が多くみられるが、やりたくない仕事を生涯続ける苦渋は本当に人生の成功者か...。だが、良い子は親の言う世界に邁進する。"人はなぜ働くのか..."とか、"人はなぜ人生を全うするか..."などと考えると、やっぱり自己表現の出来る"場"にこそ生きがいや充実感を覚える...。

 それほど順風満帆な人生ではなかった...と思う。多くの挫折があった。悔しいかな権力に抗いきれなかった。それでも生き方を変えず歩み続けられたのは、自ら選んだ仕事に責任を持てたからだ。社会福祉事業は、制度や行政に従わなければ出来ない。だが、それはそれだけ公共性が高く社会性があるということ。行政に従順でいるだけなら社会で生きづらさを持ち続けている人たちの発言はいつ、どこで、だれが、どのように表現するか?社会はどれだけそのシステムを持っているのか?私たちの職業はその人たちの"代弁、媒介、治療"が役割。それは利用者1人の支援だけではなく、その人たちの集団や団体など塊としての"意思"も代弁する必要があり、社会とその塊との媒介者の役割があり、さらに治療≒トリートメントが求められる。そのためにはどこかで社会の当たり前に抗う場面に遭遇する。なぜなら、そこにある社会の矛盾が社会的課題と認識されるから、世間では当たり前と思っていることをほじくるような作業をしない訳にはいかない。かつて障害児の親が"学校に行かせたい!"と願った時、それは当たり前ではなく"わがまま"でしかなかった。だが、今や当たり前となり、国連から日本はインクルーシブ教育が遅れていると指摘されている。つまり、今の当たり前が未来も当たり前ではないということ。そこに、社会福祉で言う"ソーシャル・アクション"がある。

 スメタナは多くの悲運に見舞われながら世界的な名曲を残した。祖国への想いを音楽に託して国民の感情を代弁し、国民同士を結び付けるために媒介し、美しいメロディーで治療した。クーベリックは正しいことを正しいと言い続け祖国を追われた。その間に世界的な地位を得ながら、政治体制が変わったばかりで不透明な中、祖国に戻った。それは、スメタナ同様に国民感情を代弁する歓喜の演奏、国民感情を相互に結ぶ媒介、未知に進む国民を鼓舞する治療だった。モルダウの流れはささやかな一滴から始まり、しだいに流れをせき止める障害物を打ち砕く力強さを持つ。そして大河となり大海原へと旅を続ける。

 私たちは、まだ小さな流れかもしれない。しかし、多くの仲間を集め、次第に流れに抗う力を持つだろう。なぜなら、目標に間違いがないか検証する力量と体制を持ったから。もちろん、多くの難関を乗り越えなければならないだろう。だが、それも仲間と一緒であれば乗り越えられる。決して1人の権力者やカリスマがいても出来ない高みを目指していることにプライドを持つべきである。この仕事は、些細な出来事の積み重ねだからか世間的には不思議なほど評価が低い。でも、考えてみて欲しい!社会の出来事や日常の暮らしは些細なことの積み重ねでしかない。そういう現実を見据え、"当たり前"に抗う気概を持ち、自らを高みに向かわせる仲間がいることこそ、この仕事を選んだ自負である。

 半世紀の時を経て様相が全く変わった社会福祉の仕事に誇りを持つと共に感謝の意を込めて、組織的役割を終わります。今日まで多くの方にご迷惑やご心配をおかけしたことを重ねてお詫び申し上げます。そして、未来に向けて発展することを願ってやみません。

本当にありがとうございました。(2023.6.16)