日記

「パニックコントロール」

 今年は元旦の能登半島地震、2日の羽田空港の航空機事故と大災害と大事故が重なりました。

能登半島地震は未だに被災者支援が続いていて復興まで長い道のりが残されています。また、航空機事故ではJALの乗客・乗務員は全員避難できたものの海上保安庁の職員5名が亡くなると言う痛ましい事故でした。

 

 以前から、災害時などにおける日本人の冷静な対応には海外から驚きと共に賞賛の声が上がっていました。

 これについては国民性を言う人がいます。JALの事故の際に客室乗務員が乗客を落ち着かせる訓練を行っていたと言うこともありますが、乗客の方で訓練を経験した人はいなかったと思いますし、当然、当事者は事態の深刻さにパニック状態に陥った人が大半だったと思います。死を覚悟したと言っていた人もいました。しかし、乗務員の指示に従い無事全員脱出することが出来たと言うその事実を見ると日頃からそう言う冷静さを保つ習慣があったのではないかと思います。

 少し、極論を言えば、日本の文化そのものがパニックコントロールを目指していたと言えるかも知れません。

外国の思想家で、確かイヴァン・イリイチだったと思いますが、「平和」を意識するのに先ず言葉の使い方から問いかけているのを読んでびっくりしたことがあります。例えば「戦略」は「戦う」と言う語彙が入っているので使わないなどでしたが、私も「戦略」と言う言葉が日本で盛んに言われだした頃に違和感があったことを思い出してしまいました。

そんなことから「やまとことば」そのものが、和を尊び、いかなる事態が生じようと動じない心を目指していたのではないかと思うようになりました。和楽は抑揚の少ない節回しだし、歌会始の歌い様もまた平板でつまらないし、そして母音ばかりの日本語も退屈と感じていたものが、すべてその底にはパニックコントロールの意図があったのではないかと想像の翼が羽ばたくばかりです。

以上