日記
「続・積読(つんどく)の効用」
前回の5月理事長日記の「積読(つんどく)の効用」の最後にヴォルテールの「寛容論」もその積読(つんどく)の一冊であることを書きました。奥付を見ると2011年1月とあるので15年前に購入したと思います。この本は買ったまま一度も目を通さずに置いたままの正に「積んで置く」だけの本でした。
多分、18世紀の中頃に既に「寛容」というテーマで書かれていることに興味を持って買ったのでしょう。この1か月の間にパラパラとページを捲ってみるとなかなか難しい。宗教的な冤罪事件を通して寛容の必要性を説いているようですが、やはり時代と文化との隔たりは大きいと感じました。
もう一冊、書棚の片隅にジョン・ロックの「寛容についての手紙」と言う本を見つけました。これはヴォルテールより前の17世紀後半に出版された本です。本の奥付に2018年6月と書いてあるので7年程前に買ったものだと分かりましたが、購入したことはすっかり忘れていました。表紙の紹介文を読むと、信仰を異にする人々の「寛容」はなぜ守られるべきなのかを宗教と政治の役割について書いてあるとあります。
十数年も「寛容」と言う言葉に関心があったことに自分でも驚きました。しかし、「積読(つんどく)の効用」と題しながら、やはり積読だけではあまり効用がなさそうです。
現代の世界に広がる不穏な動きや争いを見るにつけ、何百年も、あるいはひょっとして何千年もこのような寛容と言うテーマを人類は考え続けているのにどうして寛容な社会が実現しないのか、少しでも理解するために暇を見ては読み進めてみたいと思います。
以上
(2025.6.1 理事長 倉重達也)