日記
「災害」
先月、地域の防災講演会に参加をしてきました。幸い私の住む地域では過去に大きな災害はなかったようですが、9月の初めには静岡で国内最大級の竜巻が発生したり、線状降水帯が全国のあちらこちらで発生して甚大な被害をもたらしているニュースを聞いたりすると、今後は想定を超える規模で地震、津波、洪水や富士山の噴火など、何が起こるか分からない世の中になっているのでとても安心してはいられない状況だと感じました。
約100年前に起きた関東大震災の後には「災害は忘れたころにやってくる」などの名言も生まれ、防災に関する意識が高まったようです。そのことと関連するかどうかはわかりませんが、気候や地形などの風土が日本人に及ぼす影響を論じた「風土(和辻哲郎著)」などの書物も出版されました。
その中で、日本の風土の特徴をなす湿気は、自然の恵みであると同時に自然の暴威をも意味し、また日本の風土そのものが熱帯的であると同時に寒帯的であり、さらに日本の気象の変化は、台風によって具体的に示されるように季節的である反面突発的でもあるという日本の風土の非合理性、断続性を論じた部分は、現代においてもう一度見直されても良いと思います。
精神科医の木村敏さんは、これも約50年前になりますが、ここから、「突発的な激変の可能性を含んだ予測不可能な対人関係においては、日本人が自然に対して示すのと同じように、自分を相手との関係の中に投げいれ、そこで相手の気の動きを肌で感じ取って、それに対して臨機応変の出方をしなければならない自分を相手にあずける、相手次第で自分の出方を変えるというのが、最も理にかなった行動様式となる」(新編 人と人との間第三章「風土と人間性」筑摩書房)と日本人の対人関係の合理性について論じています。
テレビの旅番組で、最先端の人型ロボットを開発している若い研究員の一人が背負っていたバッグに神社のお守りが沢山ついているのを見てリポート役の落語家がそのことを揶揄していましたが、最先端な技術と八百万の神が共存することは突発的な災害の多い日本人にとっては合理的なのかも知れません。
以上
(2025.10.1 理事長 倉重達也)