日記

2023年06月の理事長日記

大変お世話になりました。

  スメタナの交響詩『わが祖国』が好きだ。祖国の独立、尊厳を願い書かれた。第2楽章で大河「モルダウ」を表現した。水源のわずかな水がいずれ大河となり大海に出る。スメタナは我が子を病で失い、自らも病で失聴する悲劇を経てこれを書いた。他方、共産化に反対した指揮者クーベリックはソビエト連邦崩壊時、亡命先のアメリカから帰国し『プラハの春音楽祭』で指揮した。この音楽祭は『わが祖国』がオープニング曲と決まっている。権力に抗い亡命し、時を経て帰国した直後の演奏は強烈な印象を残した。美しいメロディーにこの背景を重ね♫モルダウ♫を聞き、人の生き方を黙考する。

 初めて、社会福祉を意識した時は単純に"慈善事業"と考えていた。大学受験に失敗し人生の敗北者のような気分の時、出会ったのが孝橋正一の『社会事業の基本問題(ミネルヴァ書房)』。良く判らなかったが"社会福祉"ではなく"社会事業"としか言わない著者に凛とした姿を見た。特に"社会事業は改良主義で社会体制変革のプロセス"の言説が心に沁みた。学生運動の時代ゆえ一層社会福祉事業の社会的価値、意義を感じその後の社会福祉事業の原点となった。それ故、従順で抗わない振る舞いが気がかり。

 サービス利用者は、精一杯の努力をしても生きづらさが改善出来ない人が圧倒的に多い。だから"生きづらさ"への補填的支援が役割。それ故今の社会が当たり前とすることに疑問を持つ。たとえば"忖度"がよく使われた頃は"権力におもねる人"を揶揄したが、最近は忖度すべきところが判らないのか...と押しつける傾向が伺える。"寄らば大樹の陰"の言葉通りで一流大学に入り大企業に就職することが人生の成功者だと思い込む人が多くみられるが、やりたくない仕事を生涯続ける苦渋は本当に人生の成功者か...。だが、良い子は親の言う世界に邁進する。"人はなぜ働くのか..."とか、"人はなぜ人生を全うするか..."などと考えると、やっぱり自己表現の出来る"場"にこそ生きがいや充実感を覚える...。

 それほど順風満帆な人生ではなかった...と思う。多くの挫折があった。悔しいかな権力に抗いきれなかった。それでも生き方を変えず歩み続けられたのは、自ら選んだ仕事に責任を持てたからだ。社会福祉事業は、制度や行政に従わなければ出来ない。だが、それはそれだけ公共性が高く社会性があるということ。行政に従順でいるだけなら社会で生きづらさを持ち続けている人たちの発言はいつ、どこで、だれが、どのように表現するか?社会はどれだけそのシステムを持っているのか?私たちの職業はその人たちの"代弁、媒介、治療"が役割。それは利用者1人の支援だけではなく、その人たちの集団や団体など塊としての"意思"も代弁する必要があり、社会とその塊との媒介者の役割があり、さらに治療≒トリートメントが求められる。そのためにはどこかで社会の当たり前に抗う場面に遭遇する。なぜなら、そこにある社会の矛盾が社会的課題と認識されるから、世間では当たり前と思っていることをほじくるような作業をしない訳にはいかない。かつて障害児の親が"学校に行かせたい!"と願った時、それは当たり前ではなく"わがまま"でしかなかった。だが、今や当たり前となり、国連から日本はインクルーシブ教育が遅れていると指摘されている。つまり、今の当たり前が未来も当たり前ではないということ。そこに、社会福祉で言う"ソーシャル・アクション"がある。

 スメタナは多くの悲運に見舞われながら世界的な名曲を残した。祖国への想いを音楽に託して国民の感情を代弁し、国民同士を結び付けるために媒介し、美しいメロディーで治療した。クーベリックは正しいことを正しいと言い続け祖国を追われた。その間に世界的な地位を得ながら、政治体制が変わったばかりで不透明な中、祖国に戻った。それは、スメタナ同様に国民感情を代弁する歓喜の演奏、国民感情を相互に結ぶ媒介、未知に進む国民を鼓舞する治療だった。モルダウの流れはささやかな一滴から始まり、しだいに流れをせき止める障害物を打ち砕く力強さを持つ。そして大河となり大海原へと旅を続ける。

 私たちは、まだ小さな流れかもしれない。しかし、多くの仲間を集め、次第に流れに抗う力を持つだろう。なぜなら、目標に間違いがないか検証する力量と体制を持ったから。もちろん、多くの難関を乗り越えなければならないだろう。だが、それも仲間と一緒であれば乗り越えられる。決して1人の権力者やカリスマがいても出来ない高みを目指していることにプライドを持つべきである。この仕事は、些細な出来事の積み重ねだからか世間的には不思議なほど評価が低い。でも、考えてみて欲しい!社会の出来事や日常の暮らしは些細なことの積み重ねでしかない。そういう現実を見据え、"当たり前"に抗う気概を持ち、自らを高みに向かわせる仲間がいることこそ、この仕事を選んだ自負である。

 半世紀の時を経て様相が全く変わった社会福祉の仕事に誇りを持つと共に感謝の意を込めて、組織的役割を終わります。今日まで多くの方にご迷惑やご心配をおかけしたことを重ねてお詫び申し上げます。そして、未来に向けて発展することを願ってやみません。

本当にありがとうございました。(2023.6.16)

「読む、書く、話す」思考回路

 いつしか1日1冊以上の本を読むようになった。次第に増え今は月40冊程度。高校時代、地下鉄工事で路線バスが渋滞し遅れるので早めのバスに乗った。車中が長いため読み始めると振動で目を悪くし眼鏡姿に。それ故車中で読まなかったが、40代後半に社会福祉士受験で再開。片道90分の通勤で学び、机に向かわなかった。次の勤務は小田原。横浜から東海道線で1時間。港北区居住で車中の有効活用が課題。適度な揺れが心地よく寝不足解消に最適だが、目覚めると...。そこで読みはじめた。他に煩わされない時間で集中できた。面白くなり本を探しに図書館へ。ジャンルが多様で興味が分散し広がった。すると読むスタイルが変わり自宅ではなく電車や待ち時間で読む。高齢になり朝が早くなると起き抜けの布団の中。文字を追うようで追わない時が増えた。特にドキュメントなど、内容を承知している時は精読しない。眺めつつ違うことを考える。監督、コーチの本は、法人運営、経営の話、子育ての本は療育との相関。読むのか考えるのか判らない状態は"考える種"を見つける時間だと思う。学校での習慣から記憶するために読むことが多いようだが必要性はどこまで...。忘れたら調べれば良いことなのに。だから"知る"ためではなく"考える"ために読む。

 一方で"書く"。初めての出版物掲載は20代後半。子育て真最中の調査研究で二段ベッドの上に資料を積み、暇を探して作業した。書くのは嫌いではないが、兄姉の指摘を受け苦手意識満載。だが、先輩から情報発信が遅いと叱られ「理事長日記」の原型が始まった。数行のコメントと毎週の出来事を書いたが、次第に楽しさを知った。また、感想などを頂き一層の励みに。書くことで多様な角度から見る習慣がつくと思考回路が多様になっていくのを実感した。最初は毎週1回=年54回、大学ではゼミ開催時に1枚=年30回、理事長日記は月2回=年24回と次第に減ったが考える素材が膨らみ材料に困らなかった。書くことで核心を見ると思考が整理しやすくなった。問題を展開する能力を培う手段が"書く"作業

 そして"話す"。教師は"話す"のは日常業務だから苦手な人は苦痛だろう。そのような人が教師を選ぶとは思えないが、"話す"ことが好きでも話し上手とは限らない。なぜ話すのかを熟知しないと"話し"が見えにくい。これは役所時代に育った。分からない人、判りたくない人に"話す"のは大変。だから工夫が必要。工夫≒考えることだから"TPO"や"5W1H"を考え、ストーリーを持たせる。順番を間違えると判りにくい。だが、基本が判っていない学生には、聞きたいと思わせることから始める。大教室で当初、最後方で聞いていた学生が次第に中段へ。"ほう!"と思っていたら最後には最前列。最終講義終了後、"すご~っく、面白かった!"と。興味を持たせる仕掛けは、保育系学生なので"童話"を読み聞かせる時の"エキス"と社会福祉をつないだ。だが民生委員等の研修では実践例を織り交ぜる。分らない人、興味のない人がどのように関心を持つか...ずいぶん鍛えられた。

 "読む"が面白くなり、"書く"が好きになり、"話す"が加わり伝える醍醐味が思考回路を育んだ。この仕事を50年も継続したことではなく"考える"を育ててくれたことに感謝。必要なのは、知識ではなく自分で"答"を導き出す力量、検証し仲間を呼ぶ力量、さらには現実に添う手法を生み出す力量が備わり物事を見極める"力≒思考回路"を育む。(2023.6)