日記

運転免許証の返納

60歳で定年の職業に就いていた。"終わりですよ"と言われる前に、自分で選んだ職業に就きたいと思っていた。退職式(58歳)で "これが定年..."か、と思った。次は65歳。満期退職で理事長から退職辞令を受け"これで正規職員は終了..."と定年の悲哀...空洞感を覚えた。しかし、おかげさまで今も仕事をいただき、毎日のように出かける身にはさほどの感慨はない。だが、第1号被保険者(65歳)となり「介護保険者証」が届くと"老い"を身近に感じた。

 過日、市役所からの郵便を見ると高齢者用割引券。高齢者にスポーツ施設を利用して介護予防のお誘いか...とうがって見る。"そうか、そこまで来たか..."の思いと"そういえば足が弱ったな..."の思いが混在。すると誕生月前に「運転免許証更新」の通知。そうか、そんな時期か...と手に取り改めて70歳を自覚。"どうしよう...、運転はしないけど..."などと考える。70歳=古希、古希とは"来、なること"。古来希は長寿を祝う年か...。還暦=60歳に赤いベストを買おうか...と聞かれ、「嫌だ!持ち運べる天眼鏡が良い」と言ったことを思い出す。昔々は60歳で長寿を祝ったのだから、70歳=古希は当然か。それだけ、身も心も古くなったんだ...。

 新型コロナウイルスの猛威の中、大学からメールでリモート講義を依頼された。どうしよう...と困惑していると次のお知らせ。"難しい方は時期をずらし対面講義で!"。助かったと思い早速お願いした。だが、既にチャレンジする力が弱ったと自覚した。結局、収束とはほど遠い状態でリモート講義になってしまった...。

 実は運転はしなかった。20代初めに取った免許はずっとペーパ―。最初のチャンスでピアノと天秤にかけ取り逃しマイカーを持たなかった。すでに弾き手がいないピアノが今もある。児童相談所の頃、上司、先輩から運転を勧められたが、街を歩けば思わぬ人と出会えると断った。その後はもっぱら人の世話になった。連れ合いから"運転しなければ加害者にはならない。お酒が好きなんだから!"と言われたことが頭の隅にこびりついていた

 "やっぱりやめる!"と決め地元警察署に。窓口で返納手続きと「運転経歴証明書」の発行を願い出た。好意的で一つひとつ丁寧に説明され、記載項目は鉛筆で示してあり何不自由なく進んだ。警察官は直接現金を取り扱わないようで手数料等のため安全協会に。持参した写真が企画に合わず撮り直し、〆て2600円。終了後、我が家に向かう時、妙に落ち込んだ。何やら"終わり!"と告げられたような気分だった。

 死生学の創始者、上智大学の故デーケン名誉教授は、人間には4つの死があるという。誰もがイメージできる"肉体的な死"だけでなく"文化的な死""心理的な死""社会的な死"。"あぁ~これが社会的な死だ"と思った。まだまだと思ってもひとつずつ役割が終わる。それを受け入れることは死に近づくこと。肉体は100年生きられるそうだが、多くの人はその前に死ぬ。ひとつずつ通り過ぎ、より良い肉体的な死を迎える時までに社会的な死を得たとしても、心理的、文化的な死を迎えないように暮らしたいものだ。(2020.10)