加藤周一を読み返していたら、E.Mフォースタ(E.M.Forster)を評した箇所で、フォースタが1941年という戦時下の厳しい状況の中、政治とか文明とか公的な問題に関して「愛」の原理を持ち出すのは見当違いだと強調し、その代わりに「寛容を」を説いていた、という文章をみつけた。
フォースタが言うには「愛は私的な生活においては大きな力である。すべてのもののなかで最も偉大ですらあるだろう。しかし、公的な事柄については役に立たない。・・・国と国、または商売人と商売人、またポルトガルの人間とペルーの人間が、お互いに聞いたこともない相手を愛し合わなければならないという思想は、不合理で、非現実的で、危険でもある。そういう思想はわれわれを漠然とした感傷主義の危険にみちびく。」
また、「実際にわれわれが愛することができるのは、個人的に知っている相手だけである。ところがあまり多勢の人間を個人的に知ることはできない。公的な事柄、たとえば文明の再建というようなことには、愛ほど劇的でも感動的でもない何ものか、すなわち寛容が、必要である。」
加藤周一はこの考えに基本的に賛意を示しながらも、愛と寛容の一種の二元論も様々な矛盾と疑問を呈するだろうという。
しかし、私はこの考えがかなり気にいった。 我々は、人生において世界を解く鍵を手に入れたいと思うし、一瞬、手に入れたと思うこともある。「愛」はその最たるものだろうが、それもまた、すぐに手の平からこぼれ落ちてしまう。それだけでは解決できない何かが残る。それを補完するのがフォースタの二元論の考えであろう。また、愛の諸相をアガペーやエロス、フィリアなど何千年にも渡って考えてきた歴史もそのことを示している。
日々、羽ばたいていないと落っこちてしまうのが、我々人間の宿命なのかも知れない。
以上
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1971年の作品で「小さな恋のメロディ」という映画がある。一言でいうとおとなの価値観とこどもの価値観の対立を描いたものである。挿入歌ではビージーズの「メロディフェア」が有名であるが、映画のエンディングに流れるクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(CSN&Y)の「ティーチ・ユア・チルドレン」が印象に残った。それからCSN&Y の音楽が好きになり、40年以上も聴き続けている。2年ほど前にメリル・ストリープ主演の映画「恋するベーカリー」の挿入歌で彼らの「青い目のジュディ」が使われ、ファンとしてとてもうれしかった。
「ティーチ・ユア・チルドレン」の歌詞の内容は映画「小さな恋のメロディ」と同様に、親と子、おとなとこどもの断絶をテーマにしている。特にこの時代のアメリカはベトナム戦争などで国内が激しく揺れ動いており、相容れられない価値観を持つ親の世代と子の世代に問いかけた歌である。いつの時代も親の子に期待する夢と子の夢には隔たりがあるが、親が子を、子が親を愛していることは変わらない、ことを伝えている。私自身、当時は詩の意味も分からず聴いていたが、親子の断絶・葛藤を多少なりとも経験してきた現在では心打つ詩のひとつとなった。なお、室矢憲治氏の名訳をここに掲載いたしたい。(「ティーチ・ユア・チルドレン」はCSN&Yのハーモニーもすばらしい曲なので、古い曲ですが、ぜひお聞き下さい。)
きみよ、旅をするならきみは
自分が生きていくための掟を持たなくてはいけないよ
つまり自分自身になることさ
だって、過去はただのさよなら、グッバイだもの
子供たちにちゃんと教えよう
父さんたちが通りすぎてきたひどい地獄のような日々のこと
そしてたくさんの夢を与えながら育てていこう
子供たちがどんな夢を選ぶか、それはいつかわかること
どうしてって子供たちに尋ねてはいけないよ
もし答えを聞いたら、きみは泣き出すかもしれない
だから、そっと彼らを見守り、ため息をつくだけ
だいじょうぶ、子供たちはきみを愛しているから
きみよ、甘くやさしい日々を送っているきみ
おとなたちが感じてきた不安なんて知るわけもない
だからどうかきみがその若さで彼らを助けてやっておくれ
死ぬ前に自分の人生に真実を見つけようと格闘する彼らを
親たちにちゃんと教えよう
子供たちのひどい地獄のような日々もじきに終わる
だからたくさんの夢を与えながら育てていこう
子供たちがどんな夢を選ぶか、それはいつかわかること
どうしてって子供たちに尋ねてはいけないよ
もし答えを聞いたら、きみは泣き出すかもしれない
だから、そっと彼らを見守り、ため息をつくだけ
だいじょうぶ、子供たちはきみを愛しているから
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正月も早一か月前の話になってしまったが、年が明けるとおみくじを引き、年運を見る事が慣例となっている。人は見え透いた世辞でも好い事を言われてそんなに悪い気はしない。占いは世辞ではないが、少しでも運勢が上向きと言われると気持ちが落ち着く。だが、予想を大きく裏切られる羽目にもなるので、鵜呑みにして有頂天になる事は禁物だ!
今は低迷していても、未来に明るい兆しや夢を見出せる運気であれば、気持ちが晴れて一時の安堵感が得られる。現実は甘いものじゃないが、できるだけ不快、不調、不運は回避して、あるべき姿の自分を見続けていたいと願うからだ。仕事、健康、人間関係と、なかなか思うようにならない事ばかりだが、気休めでもポジティブな要素があると希望が見えたような気がして元気が出る。これが善男善女と言われる庶民の姿だ。
さて、いよいよ本年は6度目の年男(辰年)となる。とりあえず、最後の厄除けはしておいた。24歳の時、36歳の頃を思い起こすと、その頃は昇龍のような勢いがあった・・・かどうだったかは忘れた。だが、還暦を迎える事となって人生の節目を感じ、先々の事を今ほど考えた事はかつて無かった。"永遠の今"のごときノーテンキな竜の落とし子だったのだ。しかし、今となって、心身共に健康な7度目の年男を迎えられるのだろうかなどとちょっと弱気になる。まだまだ燃焼しきっていない、やる気満々の自分も確かにあるのだが、これまでのように全開でというわけには行かなくなった。余力と貴重な時間をどのように折り合いをつけ、わが人生に悔いなしの晩年を如何に送るかが最大のテーマとなった。一生という日めくりカレンダーは多く見積もっても大凡、残り1/4ぐらいか。人は無限の可能性を秘めた未来に自分の姿をハッキリと見ることができないと途端に老け込む。だから、今年はこれから始まる人生劇場、第4幕のシナリオをじっくり考え、寄る年波を忘れてどのように自分らしさを演じていくかを方向付ける準備の年としたい。もうすぐ節分。ご縁のある方々へ感謝の意を込めて福豆を撒こう。
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早いもので1月も下旬になりました。寒い日が続きますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。今年もよろしくお願いいたします。
先ずは報告から。
前回(2011年11月22日)で開催案内をしました「災害に負けない町づくりをめざして」~災害時要援護者の地域の支援者も、安心・安全の避難支援を~と題する防災セミナーは、当HPでの効果?もあってか200名を超える多くの方に参加をしていただきました。この場をお借りしてお礼を申しあげます。
さて、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、平成23年12月3日に成立した障害者自立支援法等の一部改正(正式には「障がい者制度改革推進本部等における検討を踏まえて障害保健福祉施策を見直すまでの間において障害者等の地域生活を支援するための関係法律の整備に関する法律」です)を受けて、本年4月には相談支援の充実等が実施されます。
相談支援の充実のひとつとして「自立支援協議会」を法律上位置付けることが予定されています。藤沢市では既に平成19年から「藤沢市障がい者地域自立支援協議会(以下、自立支援協議会)」が設置、運営されており、平成23年度は前述した法改正等の動向を鑑み、相談支援を中心にさまざまな協議・検討を重ねています。
今後のさらなる協議・検討のために先行事例から学ぼうと、過日、埼玉県川越市に藤沢市職員を含めた協議会事務局及び委員数名で視察に出かけてきました。
川越市は埼玉県にある人口約34万5千人の中核市で藤沢市に人口規模等が近く、基幹相談支援センターを先行して設置している等の事由から視察場所に選出されたのです。視察は大変刺激の多い機会となり、今後の協議検討のさらなる進展が期待されますが、何より重視したいのは藤沢市で自立支援協議会が設置されて以降、初めて視察が行われたことです。
今、協議・検討されている課題は、ある公式から唯一の答えを導き出すような作業ではなく、地域毎のオリジナルな答えを関係者で創り上げていく作業です。このような作業にとって重要なのは検討する関係者の相互信頼を基本とした目的の共有化と円滑なコミュニケーションであると思います。
こうした関係性の維持・向上にとって、今回の視察のように自立協議会を行う会議室を飛び出し、他地域の実践を学びにでかけるという一種の共同作業は大きくプラスに作用するに違いありません。何より、このような柔軟さが藤沢市の地域力の表れだと思います。今後のさらなる進展に乞うご期待です。
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