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施設長・課長日記
まちのいんくるひろば(相談支援プラザ・よし介工芸館・アートスペースわかくさ 施設長 小野田智司)
ここ数年、健康診断の結果をきっかけに、
退勤後のジョギングを続けています。
夏の夕方、まだ日が高く、
まちはやわらかな光に包まれています。
コースもだいたい決まってきて、
同じ時間に、同じ場所を、同じ格好で、
タッタカタッタカと走っています。
そうしているうちに、
すれ違う同じジョギングする人、
犬の散歩をするグループ、
おしゃべりしながら歩く人たちなど、
"いつもの顔ぶれ"が見られるようになりました。
自然と「こんにちは~」と挨拶を交わすことも増えていきます。
そんなある日、お休みの日に散歩をしていて、
公園のベンチで休んでいると、
「こんにちは~」と声をかけられました。
一瞬どなたかな?と思いましたが、
いつもの"おしゃべり散歩"の女性のおひとりでした。
少しの時間、ベンチでおしゃべりをして過ごしました。
ふと、『ひろばって、いいな』と思いました。
誰かが計画したわけでも、誰かの持ち物でもない。
ただ、人がそこに集い、関わり、また離れていく......
その繰り返しのなかに、まちの"息づかい"のようなものを感じました。
藤沢育成会が今取り組んでいる「まちのいんくるひろば」も、
そんな"まちの呼吸"を感じられる場所にしたいと思っています。
福祉のイベントというよりも、
誰もが自分らしくいられる「まちのなかの居場所」に。
声をかける人、
話を聴く人、
ボール遊びをする子どもたち、
空を見上げて写真を撮る人、
楽器を練習している人、
ただ通りすぎる人。
すべての人が、ひろばを形づくる大切な"主人公"です。
福祉の世界では、
「支援する人」「支援を受ける人」と区分して語られがちですが、
「ひろば」には、そうした境界がありません。
立ち止まった人が誰であっても、
そこに"関係"が生まれる。
そんな場を、まちのなかに少しずつ増やしていけたらと思います。
いま開催中の「まちのいんくるひろば」にも、
この公園のように、
たくさんの笑い声と笑顔が交わる時間が
生まれたらうれしいです。
『帰郷』(湘南だいち 課長 大澤 健二)
暑い日々が徐々に納まり秋めいてきましたね。
私は季節の変わり目、風邪にかかってしまいました。皆さまお身体ご自愛ください。
さて、私は季節の変わり目の度に帰郷をしています。
なぜ季節の変わり目なのかというと、季節ごとの洋服が故郷に置いてあるためなのです。
年に3回以上は故郷に戻り、衣類の入れ替えと庭の手入れ、他は近所のホームセンターなどへ出かけ過ごす事がルーティンとなっています。このルーティンは私の中でとても大切で、誰にも何にも影響を受けず、ノルマや期限といった切迫性もなく。私にとって、唯一いろいろな事を考える事をしない時間となっています。
自分の中で感じわかっている事を文字にしてみると、私が仕事として関わる障がいのある人たち一人一人の時間の使い方は、いつも誰かに影響を与えられているのではと改めて気づく。いつも誰かに影響を受けて暮らすのは私には辛いな。なんてすら思ってしまいます。
社会に属すことは大切な事ですが、誰にも影響を与えられない時間は、誰にでも大切なのではないのでしょうか。
以前、法人の実践報告会で『強い紐帯』『弱い紐帯』という言葉が出ていました。
帰郷し、ルーティンの中で時間を過ごす私には、立ち寄った先では店員さんがおり、必要以上の何かがあるわけでもなく、何かに追われているわけでもないのでとても過ごしやすく心地よさすら感じます。
障がいのあるかたも当然ルーティンがあり、それが安定や安心につながっているのは当然なのかもしれません。それならば、誰かに影響を与えられたら?と思うと、きっと穏やかでは居られなくなるのでしょう。
帰郷から、たくさんの事を学び、成長をしている(たぶん)私でした。
神社参拝記(湘南だいち いとぐるま・はんもっく 課長 岩瀬一郎)
先日、伊勢神宮と熊野大社に参拝に行ってまいりました。
行程:3泊4日、移動手段は125ccのバイク。1日目、退勤後、深夜に静岡県御前崎まで移動し一泊。2日目、早朝に愛知県伊良湖岬より伊勢湾フェリーで鳥羽まで移動、二見輿玉神社を参拝の後、伊勢神宮外宮・内宮を参拝。その後、和歌山県新宮市まで移動、新宮駅前のスーパーマーケット「オークワ」にて名物の「マグロの鉄火巻」を購入し、一泊。3日目、熊野速玉大社・熊野那智大社・熊野本宮大社を参拝の後、花の窟神社を参拝し、三重県松阪市まで移動し、松阪牛をイメージしながらイオンで「牛カルビ弁当(但し外国産牛)」を購入し一泊。翌日は再び伊勢湾フェリーにて帰路に着き、途中、かねてから参拝したかった、御前崎櫻ヶ池 池宮神社を参拝し、帰宅しました。
よし介工芸館職員のKさんの、「神社では願い事を願うのではなく、ただひたらすら感謝する方が良い」という助言が記憶にあり、今回の巡礼では願掛けをせず、ひたすら感謝に専念しました。
どこの神社に行くか、どこに泊まって何を食べるか、予算の都合や、仕事と折り合いをつけてどれぐらい休みを取るかなど、人生は意思決定の連続だなと改めて感じました。
清々しい気持ちで旅を終えました。また再び巡礼の旅に出られることを励みに、業務に取り組もうと、気持ちを新たにしました。
※画像は、二見輿玉神社の夫婦岩と、熊野那智大社の那智の滝です。
骨髄提供体験記④ (湘南ゆうき村・法人事務局 高橋宏明)
前回までの体験記はこちら
8月上旬【入院初日】
真夏の晴れた朝。
次女を保育園、夏休み中の長女を学童へ送り届け、病院へ。
10時30分、骨髄バンクのコーディネーターが付き添い、入院手続きを開始。
受付は10分ほどで完了し、
骨髄バンクから「入院支度金」として5,000円を受け取る。
ここからは単独で病棟へ移動。
案内されたのは、トイレとシャワー室付きの個室。
初日は術前入院のため、手術説明がある以外は自由時間。
持参した積読本をこの機会に一気に読み終え、
必要もないのに施設長全員のGoogleカレンダーをチェック。
これもすぐに終了。
テレビカードを購入して、開幕したての甲子園を観戦。
やることがなくなったので病院内を散策することにした。
がん専門の総合病院で「暗い雰囲気」を勝手に想像していたが、
院内は明るく整理されており、そうしたイメージは感じない。
看護師たちは、移動可能なカート式のパソコンで立ちながら業務をこなす。
見ていてとてもかっこいい。
初めての入院。しかも「元気だからこそ」の入院。
どう過ごせば良いのか分からず、
ベッドの背もたれを上げたり下げたりして、なんとなく時間を過ごした。
12時過ぎ、昼食が配膳される。
昨日から同姓の入院患者が3人もいるらしく、
採血や食事のたびにフルネームで確認される。
少し面倒だが、この徹底ぶりには安心感があった。
食事は温かいおかずと冷たいデザートがしっかり分けて提供される。
思わず「これ、加算ついてるんだろうな」と、
職業病的な目線でチェックしてしまう。
18時30分、夕食を済ませ、翌日の手術に向けて3つの制限が課される。
①間食は禁止
②飲み物はOS-1のみ可(3本支給)
③翌朝6時以降は絶食
「OS-1を飲んでおくと、麻酔の効きが良くなるんですよ」
と看護師さんが教えてくれる。
22時、「手術に備えて早めに眠りたい」
そう思えば思うほど、逆に寝付けない。
病院の個室とはいえ、入口に鍵はなく、定期的に看護師が見回りに来る。
0時、看護師さんに相談したところ、睡眠導入剤を処方してくれる。
服用後、すぐに眠りについた。
次回は、入院2日目骨髄摂取手術についてお伝えいたします。
9月23日(火)、湘南ゆうき村の30周年感謝祭を開催しました!
たくさんの方にご来場いただき、本当にありがとうございました。
そして本日、2025年10月1日で湘南ゆうき村は30歳を迎えました。
ここまで歩んでこられたのは、支えてくださった皆様のおかげです。
これからの湘南ゆうき村も、どうぞあたたかく見守り、
一緒に歩んでいただければ嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
「今年もお祭り、やります!」 (湘南ゆうき村・湘南だいち 施設長 妹尾 貢)
今年もお祭りシーズンで、湘南ゆうき村は9月23日(火)、湘南だいちでは10月11日(土)に、それぞれお祭りを企画しています。
利用者さんやご家族、地域の皆さんに日ごろの感謝を伝えたいという想いで、スタッフ一同準備を進めています。
最近好きな曲の「まつり まつり 毎日愛しき何かのまつり まつり」という歌詞に、なるほどそうか、その通りだ!とも思いますが、やはりお祭りは、非日常的な体験であるからこその楽しみ、でもあります。
特に俣野囃子保存会の演奏は大迫力ですので、是非観に来てください。
西俣野は引地川沿いでお米を作っている農家がたくさんいて、この時期は稲刈りで大忙しですが、自治会の方もお祭りに協力してくださっています。
お米といえば、今年は価格の高騰もあって、減反政策からの転換の方向性が示され、見た目にも作付面積が増えたように感じます。季節が進むにつれ、田んぼや稲の状態も、例年以上に期待をもって見てしまいます。
今回は騒動になりましたが、お米やそれ以外の食べ物についても、政策や価格など、生産者や流通、消費者にとって適正か否か、考える良い機会になったのではないかと思います。食べ物がいつも当たり前にあるありがたさに、我々は鈍感になっていたのではないかと。
お米の値段を下げるとか、給付金がどうとか、目先の人気取りの動きもありますが、いま考えなければいけないのは、将来も安心して生活できる国や社会にするために何をするべきか、ということなのではないかと思います。
われわれの仕事についても、「毎日愛しきなにかのまつり」でありながらも、同時に将来の安心を提供できているか、永続性のある仕組みになっているかどうか、を考えていかなければ、と思います。
先日、法人の研修でご講義いただいた、国立のぞみの園の田中理事長から紹介いただきました「みてわかる 知的・発達障害者のしあわせな高齢期~50代になったら知っておきたいこと~」という本です。具体的なエピソードやイラストも多く、タイトルの通り「みてわかる」のでお勧めです。
※書店等では取り扱っていないようなので、ご所望の方は「独立行政法人 国立重度知的障害者総合施設 のぞみの園」のホームページ「調査・研究」のフォームからお申込みください。
「虹の橋の向こうから」(サービスセンターぱる 課長 飯原佑)
先日、約14年共に暮らしていた愛犬が虹の橋を渡りました。
ヨークシャーテリアとペキニーズのミックスで、一目惚れをして迎え入れたことを覚えています。
性格は女の子だよね?と疑いたくなるくらい、とにかくヤンチャ...
年を重ねても落ち着くことなく、最後まで元気いっぱい過ぎるくらいでした笑
ペットが亡くなった際によく使われる「虹の橋を渡る」
なぜこのような言い方をするのか、今回愛犬がいなくなったことがきっかけで興味が湧き、調べてみました。
元々は、スコットランドに住んでいる方が、60年以上前に亡くなった愛犬に向けて書いた「虹の橋の詩」からきているそうです。
この詩は、天国の手前にある「虹の橋」で飼い主と再会し、ともに「虹の橋」を渡って天国に向かう話しで、物語は家族の未来が描かれています。
言葉を発しませんが、それでもそばにいるだけで安心できたこと
信頼は日々の積み重ねだったこと
これは、ペットとだけではなく人と人でも言えることだと、改めて愛犬との生活を振り返る中で感じました。
別れは悲しいと同時に、それまでの楽しかった時間を思い起こさせてくれ、あの子は私に"人としての深み・仕事に向き合う姿勢"を教えてくれたと感じます。
