日記

施設長・課長日記

「正しく恐れる」(サービスセンターぱる 課長 鈴木 保志)

サービスセンターぱる

外出時に「鍵をかけた?」「エアコン切った?」「窓閉めた?」等と確認する習慣が自分にはある。今は何となく念のためのコミュニケーション程度のことであるが、ふと過去の自分の言動を思い出す。

10代後半から上京し一人暮らしを始めたが、アパートの鍵をかけたか、ガスの元栓をしめたか、エアコンは、電気は・・色々なものを執拗に確認していた。この手のエピソードを話すと数限りなく奇怪な話となる為(例えば、ガスの元栓をしめすぎて破壊し、逆に不安になる等)、ここでの詳細は必要ないが、ある時徐々に落ち着いていることに気づいた。

考えられる1つ目の要因は、自分が働くようになり親から経済的自立が出来、何かあっても自分で解決できるだろうという自信につながったこと。   

2つ目に色々なことの仕組みがわかってきたこと。例えば保険に入れば何かあっても保証される、全うにしていれば大丈夫。そもそも鍵をかけ忘れ誰かに入られても盗まれるようなものがあるか?

3つ目に、大らかな性格の人が身近にいることで「それ大丈夫なの?」と感じることを全く気にしない様子に安心を覚え、その経験の積み重ねに自分の姑息な考えが払拭されてきた、この3点が思い当たる。

実態を知り正しく理解する、あるいは自分なりの根拠や解釈で解消できることを見逃し、本質ではなく表層で右往左往してしまうことが自分には多い。

コロナウイルスについても実態がわからない状況から徐々に感染予防の対策が確立されつつあり、生活様式も変わってきた。法人内でも厚労省や市町村保健所の基準を根拠にした上で、様々なケースに対して柔軟な対応が求められている。

コロナに対して「正しく恐れる」という言葉を耳にするが、正しく恐れる為には、情勢を理解し実態を知る必要がある。まだまだ実態も不透明で対応が刻々と変化をし気が抜けない日々が続くが「正しく恐れる」がいつか正しくすれば恐れる必要がない日が来ることを願ってならない。

『よもや よもやだ!』(みらい社 課長 大澤健二)

みらい社

先日、ご高齢の男性を保護した。

その男性は、坂道のガードレールを伝いながら登っていた。

「●●時25分(たしか)、靴は履いている」と判断が迷う。

「外気温2度でジャンバー着ていない...」「散歩ではないな」。

近くの駐車場で方向転換。片側一車線の国道で、この時間でも車の量は多い。

私:「おじいさん、どこ行くの?」

じいさん:「もう歩けない」

私:「おじいさんさ、どこ行くのよ?」

じいさん:「ちょっと休むから、そこに座る」

私:「座る場所ないから、(壁)ここにつかまって」

おじいさんが壁につかまっている間に、警察へ連絡。

私:「高齢の男性を保護したので、パトカーで来て下さい。」

交換手:「住所はどの辺ですか?何歳ぐらいですか?」

私:「住所はわかりませんが、○○の交差点を△△方面に向かう途中の、タイヤショップがあって居酒屋があってバイク屋がある当たりの反対側歩道です。年齢はたぶん、80代後半だと思います。」

交換手:「わかりました。付近にいる警官を向かわせます。」

男性は長袖のシャツしか着ていなかった。

車からブランケットを出し、男性の肩を包んで上からジャンバーを掛け、歩道の生垣に座らせてもらいパトカーが来るのを待つ。

56分位して、2台のバイクで警官が到着。

パトカーではなかったが、早い到着で良かった。

警官①は若手で20代後半前、警官②は30代半ばくらいなのだろう。二人とも声も肌も若い感じがするが、明らかに警官②は先輩か上司なんだろう。

警官は、男性に色々質問するが、質問と答えは一致しない。当然だろう。

警官に家を聞かれた男性は、家を案内する事になってしまった。

「大丈夫かなぁ・・・」

男性に両手を前にしてもらい、私が両手で手を引く姿勢で移動する。男性はこの移動方法に慣れている様子で、腕への力の入れ具合は丁度良かった。

今まで保護してきた時の警官達の対応は、まずパトカーに乗せ2人のうち一人の警官が所在不明者の届がないかを署に問い合わせ、もう一人は要保護者の対応にあたるという連携。今回は様子が違う。

「そこが家だよ」「あれ、玄関がなくなっている」と、男性の言葉に合わせ「おじいさんこっち?こっちじゃないみたいだから、どこなの?」

「こっちだったけな」男性は案内を続ける。警察官はその通り家を探す。

15分位歩き、男性がいよいよ歩けなくなりマンションのエントランスに座り込んだ。

警官①:「おじいさん、ここは入口だからこんな所に座っちゃだめだよ。」

私:「おじいさん、ここ(エントランスの生垣)に座りましょうか」

警官②:「後は我々で対応しますので、お引き取りいただいて大丈夫ですよ。」

私:「ブランケットとジャンバーは、私の物をかけているんですが」

警官②:「持ち帰っていただいて大丈夫ですよ」

私:「いやいや、それじゃあ寒いでしょう」

警官②:「後はこちらに任せて大丈夫ですから、ありがとうございました。」

私:「たぶんトイレにしばらく行ってないと思うので対応して下さいね。よろしくお願いします。」

きっと大丈夫。

二人の警察官に後は任せ、その場を離れた。

「じいさん、大丈夫かなぁ。鼻水でてたしなぁ。」

心配ともやもや感の残る帰路。

われわれ福祉関係者は、対人援助職として、利用者、ご家族に『安心だね』や『大丈夫だね』を少しでも多く感じてもらえるような支援をしたいものだと思いました。

私にとっての栄養ドリンク的な一曲(湘南あおぞら 課長 石川 大助)

湘南あおぞら

先日見ていたテレビ番組で、年代別 に「あなたにとって〇〇の曲は?」といくつかテーマを挙げて街頭インタビューをしてランキングを付けていく番組があった。

すぐ思いついたのが、秦基博の「グッバイ・アイザック」だ。

2013年にリリースされた曲で、テレビアニメのエンディング曲にも使用されていた。

テンポよいリズムにのって前向きな歌詞が流れて、覚えやすい言葉が耳に残り聴いているうちに口ずさんでしまう。

『描いているほど現実はうまくいかなくても そう 

誰だって がんばっているから もどかしくなる』

1回きりだろって 奮い立たせ 突き抜けろ 今』

『積み上げた昨日に きっと 嘘はないから』

この曲を聴いていると、今は明日へ、明日は次へ、その次へとつながって、今が自分自身をつくっているのだと思わせてくれる。今この時の失敗も自分の成長で、いつか役に立つと踏ん張らせてくれる。

詰まった心にちょっとしたゆとりの隙間が空くと、私の中の「ほっこりアンテナ」が立ち、小さな事柄にもほっこりできる自分を取り戻せる、私にとっての栄養ドリンク的な一曲。

このほっこりアンテナが利用者のなにげないいつもの行動に、ちょっと違った気づきを加えてくれる役に立つことも、、、。

いつものあいさつも今日もできたと思わせてくれたり、すれ違う姿に安堵したりと当たり前に見える事は、当たり前ではなく大切な事だと思わせてくれる。

今、社会全体を見渡せば一層大事さを感じますね。

〜富士山〜 (相談支援プラザ 課長 一戸 香織)

相談支援プラザ

空気が冷たく透き通る、寒い朝を迎えるこの季節。

「今日も頑張ろう!」と思える朝があります。

いつもと変わらない家事を終わらせて、時間を気にしながら慌てて家を出ます。

自転車を必死にこぎながら、会社に向かう途中に坂道があり、その坂道を登りきると、雪化粧した富士山の山頂が見えます。

数十年前から藤沢に住み、初めて富士山が見えた時は言葉にならない感動がありました。♪頭を雲の上に出し〜♪ 子どもの頃に歌った歌詞を思い出すほどの景色です。

先日、六会地区にお住まいの方を訪問した時に、富士山の写真が飾ってありました。家を建てた当時に家族で撮った写真との事でした。今では、家が建ち並び富士山の姿は見えなくなっています。50年前は、裾野まで見えた富士山が良くて(気に入って)、この場所に家を建てたとの事でした。今は亡きご主人と、独立した子ども達とで暮らしてきたこの家から、歴史が伝わって来る写真でした。(その方は)「このまま、ひとりになってもこの家で住んでいたいと思う1枚の写真であり、まだまだ頑張ろうと思う富士山の写真なのよ」と話してくれました。

頑張ろうと思う事や、良いことがあるといいなぁと思える事は、人それぞれ違うと思います。空気が冷たく透き通る、寒い朝。雪化粧した富士山の山頂をみると「今日も頑張ろう!良いことがあるといいなぁ」と思います。1歩ずつ前向きに取り組んで行きたいと思えます。

そう思えることが、私にとっての ~富士山~ です。

2021125日撮影

空気が冷たく透き通る寒い朝

会社に向かう途中に撮りました!

『現代人の「意識」について』(湘南だいち 課長 宗像喜孝)

湘南だいち

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

昨年は、孔子曰く「四十にして惑わず」と言われる「不惑」の40歳を迎える年を過ごし、今年は男性の厄年である41歳を迎えます。気になって厄年のことを調べてみましたが、厄年の起源は諸説あって、現在のところはっきりとしたものがないようでした。(※起源が分かる方がいれば教えてください。)ふと、分からないことや言葉の意味をスマホで調べてはっきりさせようとする、最近の言葉でいうと「ググってしまう」人間の行動・意識について気になりました。

以前の課長日記に、このコロナ禍で養老孟司氏の著書を読んだり、対談しているテレビ番組を観て気分を和ませていると紹介しましたが、ここ数か月は、養老氏の数ある著書や対談のVTRの中で、「遺言」という著書の内容に心より浸っています。

その著書の一部に「都市は意味しかない、不自然や無意味を排除した空間のため、都市住民は意味がないものを認められない。」また、「それに慣れ切った人たちには、やがて意味のないものの存在を許さない」といった内容のことを述べている節があります。目や耳などを通じて受ける感覚に対して、そこに「同じもの」を見つけ、意味に変換し、秩序を与えるのが「意識」。人間が意識していないものは、この地球上にはたくさんあって、それ以外のものの存在を認めない、排除するというのならば、それは人間自身が自分で自分の首を絞めているのと同じに感じます。今問題になっている現代社会の様々な課題はそんな人間の思考が起因しているのではないかと考えています。

 今まさに人類が経験したことのない、意味の分からない、未知のウイルスが蔓延している中で、今後の社会の捉え方・生き方について、とても参考になる著書だと私は思っています。外出が出来ない状況がまだまだ続くと思いますので、是非皆さんも一読されてはいかがでしょうか。

新型コロナウイルス感染が猛威を振い始めてから早1年。早くこの状況が終息しますように、普段通りの生活に戻りますように、切に願っています。

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年始に娘が書いてくれた「丑年」

2021年も笑顔ある日々で...(湘南セシリア・事務局 小野田智司)

湘南セシリア

2021年が始まりました。

本年もどうぞよろしくお願いします。

2020年を少し振り返ります。

私の交通系ICカードの履歴を見てみると

2020年3月以降、電車やバスの履歴がありません。

移動が徒歩・自転車・自動車となりました。

スマートフォンの写真を見てみると

いつもなら親族旅行の様子や

友人や職場の仲間との写真であふれるのに、

そのほとんどが

家族との屋内や自然の中での写真でした。

すっかり感染対策を意識した

新しい生活様式で

日々を過ごしました。

2021年 令和3年になりました。

初日の出はテレビと動画サイトの2つで

富士山と犬吠埼をこたつの中で楽しみました。

子どもたちのお年玉は現金書留にて届き、

テレビ電話でお礼を伝えました。

今年もきっといろいろなことがありますが、

笑顔がある日々となりますように。

  • 湘南セシリアからの富士山