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施設長・課長日記
道あんない(湘南あおぞら・アポロ 課長 高橋羽苗)
先日研修の中で「自分のユニークなところを教えてください」との質問がありました。
なかなか思い当たるものが浮かばず、施設長課長の紹介文にもある「話しかけられることが多い...気がする」ことを挙げました。
お店で商品を手に取ったら「これ、おいしいの?」と話しかけられたり、旅先で地元の方らしき方から、情報をいただいたり、少なくはなりましたが写真を撮ってほしいと頼まれたりすることも多い気がしています。
話しかけられやすい人の中で、「道聞かれ顔」というのがあるそうです。それがどういう顔かについては、立ち振る舞いや顔つきだけではないようでさまざまな意見があるようです。
さて、「道聞かれ顔」っぽい私は、方向感覚に苦手意識はないのですが、ルートを考えるのが苦手で説明も下手。道を聞かれると「あぁ、あそこか!」と思ってうんうんと頷いたりしてしまうので、相手は「さぁ教えてもらうぞ」と意気込みます。
ただ、この時わたしの中では「あっちのほう」という方向が浮かぶのですが、説明をするために頭の中でルートを組み立てていて...。もともと、感覚的に「あっちのほうにこれくらい歩くかなぁ」程度で進んでいることも多いので、ルートを伝えるというのはとても苦戦します。
あまり知らないところで場所を聞かれても「あぁ、あれね!」と思うと頷いてしまうので、勢いよく頷いて話し始めたくせに「あー、あまりわからなくて」と答えることになることも。
ここに言葉の壁が生じるとさらに難易度があがり、スマホの地図画面を照らし合わせて身振り手振りで伝え...お互いに釈然としていないようなままの「thank you」に、ひとまずにこっと返して立ち去る。...それなら答えなければいいのですが頷いてしまっているので、「あまり詳しくわからないのだ」ということを伝えられないのです。
友人が、以前観光地で道を聞かれ、言葉の壁を身振り手振りで乗り切ってなんとかバス停まで案内したがバスが違い、情報を伝えなおし、結局1時間以上一緒に行動をしたという話を聞いてえらく驚きました。そんなになる前に「わからない」と伝えればいいのに...!
「道聞かれ顔」が道を伝えるのは得意とは限らないことをさりげなく伝える方法があればいいのですが。
▲写真はいつかの観光地。この時は路面電車の駅を聞かれて困りました
『偶発的動機、偶発的接点』( 湘南あおぞら・アポロ / 施設長 宗像 喜孝 )
令和6年の1月に行われた「かながわ地域生活移行推進人材養成研修 フォローアップ研修」を受講した際に、「偶発的動機、偶発的接点」という言葉を講師の方から学び、それ以降、入所者の生活を考える上でのひとつのキーワードとしてよく使っている。
例えば、「コンビニで買い物をしていたら、たまたま隣に居合わせた人が美味しそうなデザートを買っていたので、自分もつい購入・・・」、「たまたま通りがかった美味しそうな焼き鳥屋を見て、今日は仕事を頑張ったから帰りにちょっと一杯・・・」など、地域で暮らす人々の日常の中には、いつも通り見通しがあり、計画的に起こる出来事と、それと対照的に、偶発的な出会いや出来事が混在している。
「そういった出会いを当たり前に経験することが出来、その人の偶発的動機を実現していくことができる環境こそ、地域でその人らしい生活を送るということではないか」と講師の方より話があった。また、「入所施設の入所者の生活を支援していく上で、そういった偶発的な社会との接点をどう支援していますか?」、「日々の入所者の偶発的な動機をどう実現していますか?」と重ねて問われ、今の湘南あおぞらの支援の現状を振り返った。
さいごに、講師の方より、「毎日同じ生活のルーティーンの中で、入所者の方が「落ち着いて過ごすこと」を目標に生きていくことを何年も続けるという現状があるとしたら、それは見直すべきではないか」と問われ、「その通りだ」と思う反面、「どうしたら良いのか」と考えさせられることも多くあった。
年齢や性別、趣味趣向、生活スタイル、職業、等々。障がい当事者の方々が、地域の中で、色々な人たちと偶発的に出会える機会があり、そこから刺激を受けた偶発的な動機を実現できる環境を想像し、現状の入所施設の入所者の暮らしの中で、少しでもそのポイントを支援できるように、職員全体で考える機会を設けていこうと思う。
法人理念の①には、「地域で暮らす障害のある人・高齢者及びその家族があたり前の生活を送るために必要な支援を提供します。」とある。「地域で暮らす人のあたり前の生活」を具体化したひとつの目指すべき支援の方向性として、今後もこのキーワードを大切に考えていきたい。
(写真)ふと「美味しい蕎麦が食べたい・・・」と思い、思いつきで週末日帰り旅行をする。
夏の夜の出来事(黒崎ホーム 課長 髙橋克之)
世の中色々な派閥があります。有名なところではタケノコの形をしたお菓子ときのこの形をしたおかしや赤いカップ麺と緑のカップ麺など。動物界では「犬派?猫派?」等という話も良く聞くところですね。我が家には、そんな有名派閥の一角である猫がいます。
さて、それはある夜の出来事です。リビングでのんびりしていると2階から勢いよく猫が駆け下りてきました。その事自体は珍しい事でもないので、特に注目していなかったのですが、こっちを見ながら妙に短く「にゃっ、にゃっ」と鳴きだしました。どうしたことか、と目を向けてまず目に飛び込んで来たのはピチピチと跳ねている細長い物体でした。そして、猫を見ると前足でトカゲを押さえつけてどや顔をしていたのです。その時脳裏に浮かんだのは「こんな漫画みたいな事があるんだな」でした。
まだ小学生の頃、トカゲハンターと称してトカゲの切れた尻尾をポリ袋に入れて友人と成果を競い合った事もある私ですが、年月を重ねた今となってはぞっとしました。恐る恐るトカゲを救出し、外へと逃がしてやりました。
昔の感覚と今の感覚が違う、という事は皆さんも思い当たる事が1つや2つはあるのではないでしょうか。人の心は変化をするものですね。そしてそれは今支援をしている利用者も同じではないでしょうか。過去を知る事はとても大切ですが、その過去に縛られない事も大切です。利用者の心に変化はないか、今一度確認をしてみてはいかがでしょうか。
表紙の写真は娘の描いたトカゲです。あっかんべーをしているとの事です。
波多江式インディアン的福祉論㉖(黒崎ホーム 施設長 波多江努)
部族は不明ですが、「こころからの言葉は 書物よりも尊い。」という言葉があるようです。
飽きもせず福祉的解釈をすると「個別性と権利擁護、学ぶ姿勢」ではないかと思います。
「こころからの言葉」は、支援者がどこまで利用者の想いや気持ちに近づこうとするか。そのためにどのようにかかわっていくかが問われている気がします。現在、支援をしている中にも藁をもつかむ思いで、利用者のこころからの言葉に近づこうとしている人たちも多いのではないでしょうか。 そのようなかかわり方が巡り巡って権利擁護的な支援につながっていくのだろうと信じています。
「書物よりも尊い」は書物が尊くないというわけではなく、支援の現場を通じ、迷う、調べる、工夫するなどのプロセスが重要であり、そのプロセスを整理してくれるのが、書物や第三者からのアドバイスであったりするのだろうと思います。
そのようなことを積み重ねながら、「師は教えることでまた学んでいる。」というソーク族の言葉につながるのだろうと思います。この場合の「師」は利用者も支援者も該当しますね。
「(将来の夢)インディアンになる」にはもっと修業が必要だ...。
自分で作ったものはオリジナルロゴマークを刻印しています。
リフレッシュの時間(法人事務局 課長 佐藤和美)
先日、ちょっとした肝試しで坐禅に行きました。
はじめに坐禅専用の座布団に座ります。床に直接座ることを想像していたので、とても快適です。右足を左腿の上にのせ、さらに左足を右腿の上にのせます。ふだんからの運動不足が災いし、上体はふらふらするし、足はつりそうです。このままだとすぐに棒で叩かれそう!と思いましたが、和尚さんから、できない人は無理をしないで大丈夫と仰ってくださりひと安心です。
腰を立てて、上半身の姿勢を整えて、坐禅の座り方が完成です。次は、右手の上に左手をのせ、右手の親指と左手の親指を自然に合わせます。視線は、目は閉じず細めず自然に開き、45度の角度に落とします。だんだん自分が仏像になってきたようです。
呼吸を整えます。静かに深く息を吸い込み、静かに吐き出し、呼吸に集中します。すでに修行僧の域に入った気持ちになってきました。
坐禅がスタートです。坐禅のいちばんの肝で、心を無にします。何も考えるなと言われたら、あれやこれやと思い出してしまいます。和尚さんからは、「いろいろな思いが沸くのは当然。沸いて思いに執着せず、自分のそばに置いておく感じで良い。」との奥の深い言葉がありました。呼吸を整えることに集中していくうちに、確かに無心になってるかもと感じました。
警策(けいさく)は、合掌をして打ってもらう合図をします。ドキドキしましたが、勇気を出してお願いしました。警策で、右肩、左肩と1回ずつ叩かれます。バシンという乾いた音とぴりりとした痛みが走りました。音と痛みと同時に、心からもやもやも一緒に出て行ったような爽やかな気持ちになりました。ふだんは、仕事をしたり、家事をしたり、スマホをしたり...と何かをしていることに改めて気づかされました。坐禅をすることで、何もせず、無心になり、ただ呼吸をするだけという機会は貴重な体験で、リフレッシュの時間となりました。皆さんも非日常体験いかがでしょう。おすすめです。
「暗黙のルール」(サービスセンターぱる 課長 飯原佑)
皆さんは車を運転する機会はありますか?
免許を取らない人も増えていますが、私は運転が好きで、ドライブにもよく行きます。
一般道も高速道路も運転することが好きなのですが、免許を取りたての頃には教習所で教えてもらわなかった「暗黙のルール」が分かりませんでした。
今では運転にも慣れ、周りの状況から予測して相手からの合図に余裕を持って対応ができますが、初心者だった当時はパッシングをされて、何!?と思ったり、ハザードランプを出されて、どうしたら良いんだ...となったり、困ったこともありました。
上記したハザードランプには、道路交通法で義務付けられているケースがあることを知っていますか?
- 夜間に駐停車するとき
- 通園・通学バスが停車し幼児や小学生が乗降しているとき
この2つのケースが、法律上で定められています。
ある地方に出かけた際、スーパーで駐車するためにハザードランプを出してからバックしようとしたところ、こちらの車が動いているにも関わらず、後続車が近付いてきて危ない思いをしました。
駐車した後、地元の人に「なんでハザード出してるの?」と言われ、私としては暗黙のルールとして『駐車する際にはハザードランプを出して後続車に伝える』を実行しただけなのに...と、少しムッとしましたが、後から聞くと、その地方では駐車時にハザードランプを出すというルールが無いことを知り、納得したと同時に当たり前だと思っていた暗黙のルールが通用しないことに驚きました。
これは、私たちの仕事にも置き換えられると思います。
私の当たり前は、誰かの当たり前ではなく、様々な考え方や捉え方があります。
最初はそれが分からず、ムッとすることや納得できないこともあるかもしれませんが、紐解いていくと新しい視点が見つかったり、面白い考え方が浮かんだりすることもあるのではないでしょうか。
違いを楽しめるような心の余裕を持てると、仕事も運転も安全に進めていくことができると思います。
写真は、安全運転で行った「スカイツリー」です。
下から見ると、また違った迫力を味わうことができます!
