日記

施設長・課長日記

季節の中で 2(湘南セシリア・みらい社 施設長 石塚 和美)

みらい社
湘南セシリア

早いもので12月。今年も残すところひと月となりました。

今年はコロナに始まり、11月には神奈川県知事が再度メッセージを発表しました。

感染拡大を防ぐため、「M(適切なマスク着用)、A(アルコール消毒)、S(アクリル等でしゃへい)、K(距離と換気、加湿)」の基本的な感染防止対策の徹底をお願いしますと記載がありました。

今年は、外出の規制や季節の行事も、中止や縮小などいつもと違う一年となりました。

 その中で、小中学校では運動会や修学旅行のかわりにスポーツ大会や学校でのお泊り会など、みんなで工夫を凝らして考えたイベントを行い、忘れられない思い出を作ったのではないでしょうか。

法人としては、例年、利用者が参加するイベントを企画しておりましたが、今年は集まることができませんので、法人設立記念日にむけた11月16日から11月22日まで「いんくるウイーク」を企画しました。利用者・職員が協力して各事業所の動画撮影や法人のキャラクター「いくちゃん」の塗り絵やゲームなど作成しホームページに掲載したり公用車に掲示し「ラッピングカー」にするなど一体感をもつことができました。

 湘南セシリアもなかなか外出できない中で、秋には焼き芋会やハロウィンなどを企画し利用者に楽しんでいただきました。また、季節の食材を使った松花堂弁当も楽しみのひとつです。掲載した写真は11月の松花堂弁当です。

今は年末にむけて、クリスマスの準備をしているところです。クリスマスメニューも今から楽しみです。

 

一年を振り返り、いろいろな気持ちで年末を迎えましたが、日本にはこんなにもたくさん季節を感じる行事があったのだなあと改めて思いました。そして、人との繫がりを深くふかく考えた一年でした。

 皆さま、健康に気をつけてよいお年をお迎えください。

「心のだいちに思いを寄せて」  (相談支援プラザ 伏見 康一)

相談支援プラザ

遅ればせながら9月いっぱいで湘南だいち施設長の職を降任し、相談支援プラザ専任の配属となりました。湘南だいち就任中においてはご利用者様・ご家族様をはじめ、地域の方々や連携事業所様、委託業者様等関係各位、職員の皆様には大変お世話になりました。

 至らない点もあり、心中苦しい思いもありますが、今与えられている相談部署の任務を達成してこそ皆様への恩返しとなると考え、業務にあたっております。

 湘南だいちは法人の中で一番新しく、施設としての若さがあります。芽生えたこと、これから芽生えてくることなどたくさんの芽が育っていきます。そしてきっとその芽には思いという肥料が必要なのだと思います。

「心のだいち」にたくさんの芽が育まれるようにと、思いを寄せています。これからも共に歩み続けたいと思っています。

「第50回 説明はすれども正当化はせず」(湘南あおぞら 施設長/倉重達也)

湘南あおぞら

フランソワ・ラブレーの研究者として知られている渡辺一夫の著作の中に、「ある教祖の話(a)」として宗教改革者「カルヴァン」を扱った物語があります。

 その中に、カルヴァンの影響を受けたジュネーヴの民衆がカトリック教会を略奪破壊し、過激に教会を糾弾したのにも理由があったというようなことが書いてあります。

例えば、カトリック教会が無知な信者を欺くためにおこなった例として次のようなものをあげています。洗礼前に死んだ幼児が、改めて洗礼を受ける際に一時息を吹き返したというような幻覚を与える目的で死体内へ空気を入れるトリックを使ったとか、ザリガニに小さなローソクを付けて放ち、亡霊が出たような感じにする仕掛けをしただとか、数世紀来使徒ペトロの脳髄としてあがめられていたものが、ただの軽石にすぎなかったというような珍妙な事実が明るみに出たというのです。そしてこのことがカルヴァンやルッターにカトリック教会に対して反逆を企てさせたと言うのです。

 渡辺一夫はその物語の中で、カルヴァンの研究者の言葉を引いて、「こうしたキリスト教の精神的失格(カトリック教会の堕落)は、民衆の反動としての暴力を正当化しはしないが、これを説明するものである」と言っています。

 どんな行為にも理由はあるでしょう。そして最近は「説明責任」と言う言葉がよく使われます。説明をされると納得した気になってしまいますが、いくら説明責任が果たされたとしても、その前にその行為が、「正しい」か「正しくない」かの判断があるということを忘れてはいけないと渡辺一夫は訴えたかったのだと思います。

 彩〜いろどり〜 (サービスセンターぱる 課長/只熊 裕子)

サービスセンターぱる

来週行われる、インクルウイークの取り組みの中で、事業所紹介をする場面があります。

サービスセンターぱるのヘルパー部署では、主に電車、バスを利用しての外出の支援をしています。

取り組みの際、ある職員が考えてくれた「生活に彩"いろどり"をつける」という言葉がとても印象に残りました。

自分自身の生活の中での彩"いろどり"とはなんなのか、私の生活の中に彩はあるのか、考えさせられた言葉でした。

数か月前、ご近所さんより、しその苗を頂き、花壇に植えています。頂いた時は葉っぱが3枚ほどの小さなものでしたが、次第に大きく育ってきました。

週末になると、食べられるしそが数枚できており、どんな食べ方をしようかと、「しそレシピ」の検索をする週末が続いています。

私は料理が得意ではないため、パスタ等にすることが多いのですが。

今は、食べ方についてはほぼありきたりになってきていても、週末にむけて、しそが出来ていることが些細な楽しみとなっています。

そこで、もっとこの楽しみを増やしたいために、別の苗を探しに行きました。

色んな苗がある中、結局、すぐに食べられるレタスや、娘が楽しめるイチゴの苗を購入しました。

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生活を充実させる為に、自分がやりたいこと、家族が楽しみにしていることを取り入れていくこと。

この出来事も些細なことですが、私にとっては生活に彩を与えてくれる一部だと感じています。

生活に取り入れたいことは、他にも色々とありますが、いつか熱帯魚を飼いたい、と小さな夢を持ち続けています。

生活に彩をつけることは、外出だけでなく、何かを行ったり等、人それぞれ違ってくると思います。私たちも皆様の生活に少しでも多くの彩"いろどり"をつける支援を一緒に過ごしながら、多方面から行っていきたいと思っています。

なす(湘南ゆうき村・アポロ 課長 高橋 羽苗)

アポロ
湘南ゆうき村

今年の夏は、湘南ゆうき村の畑でたくさんのなすを収穫しました。

なすの苗を植える時、「なすはうまくいけば長い時期でたくさん楽しめる」と教えていただいていたのですが、半信半疑でのスタート。それでも、9月までの収穫本数を振り返ると1200本以上のなすを収穫しました。

今年は、雨天が続き野菜が高騰したこともあり、100円で販売していたなすは超特価!利用者さん、職員をはじめ、湘南ゆうき村に来館された方にも大好評でした。

 コロナウイルスの影響で、外出を控えていた中、畑活動は植物の強さと季節の変化を感じられる場所となりました。実がなりはじめたころには、まだ目線よりだいぶ低かった苗ですが、真夏の暑い時期には、反対側に立っている人が見えなくなるほどの大きさに。剪定では、どの枝を残すか、どの葉を落とすかと教わるものの思うようにはできず。。それでも、残した枝はすぐにぐぐっと伸びて、つやつやぱつぱつのはち切れそうな実が枝をぐっと垂らし、かごいっぱい収穫ができました。その頃には、活動としても定着して、利用者さんの収穫も切り取る箇所や収穫のサイズがだんだん揃ってきて、利用者さんから、「茄子とらないと!」と声がかかることも。涼しくなってきて、さすがに頻度は減っていますが、秋なすとして今も収穫が少しずつ続いています。

外での活動に制限があった今年の夏、できなかったこともたくさんありましたが、この夏だったからこそ盛り上がれた取り組みだったかなと思います。夏のカエルや、秋に支柱にとまるトンボも、数に「うっ...」と思いながらも季節がちゃんと動いていることを感じさせてくれました。

 ご協力いただいた皆様ありがとうございました。

懐かしい音色(サービスセンターぱる 支援課長 鈴木 保志)

サービスセンターぱる

週末、近隣を歩いていると、とあるマンションからソプラノリコーダーの音色が聴こえてきた。音色が何ともほのぼのとした気分にさせてくれる。小学生だろう、必然的にランドセルが頭に浮かぶ。ふと、自分の子どもが吹いている姿を見たことがあったかな、音楽の授業で習っているはずだが、と思う。

私が小学生の頃は、リコーダーがランドセルの端から突き出ている小学生が登下校しており、中には吹きながら歩いている子もいた。我が子に尋ねると、学校に置いたままにしている、皆そのようにしていると話す。なるほど、私の育った田舎でも、リコーダーをランドセルに突き立てて歩いている小学生はさすがにいないだろうなと思う。

            

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 年に1度は必ず帰省をしているが、いつからだろうか、夏休みなのに外で遊んでいる子どもの姿を見なくなった。自分が子どもの頃は、朝から夕方まで屋外では小学生の声が響き渡り、川沿いには自転車が並び賑わっていた。ゲームやSNSの普及による時代の変化は、地方も都会も変わりはない。今年の冬、帰省した際にはバス停に数人が並び、皆が手元のスマホを触っている光景を目にし「どこも同じだ。」と思いつつなぜか違和感を覚えた。

今の情勢を知り、時代に柔軟に対応していくことが求められる世の中ではあるが、それが義務ではなく、好奇心が原動力となる感性が自分には不足していることを知っている。バス停での違和感は、自分の乏しい感性によるものなのか、あるいは記憶に残る過去の風景によるものなのだろう。

6年生の娘にリコーダーを吹いてもらった。とても上手とは言えないが、素朴な音色がとても心地よく感じた。