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藤沢育成会 理事長日記 | 最新の日記
"食卓"から社会福祉を覗く

 

  家族形態は時代と共に変化する。『サザエさん』から『ちびまる子』、そして『クレヨンしんちゃん』のどれを見ていたかで年令や過ごした家庭の様子も判る。サザエさんの家族が囲むちゃぶ台(食卓)は見なくなったが、相応の年代の人には懐かしい。ちびまる子はまだ食卓の臭いがしたが、クレヨンしんちゃんになると消えた。それは家族形態が変化した状態。サザエさんは"拡大家族"、クレヨンしんちゃんは"核家族"。時代の変化に伴って変わり拡大家族から核家族へと移り行く。加えて多くの女性が就労し専業主婦が消えつつある。現代は核家族からさらに変化して昼間は誰もいない家が増えた。家事労働がどれほど重かったかは、洗濯一つで良く判る。既に歴史的遺物だが戦後も"たらい"と"洗濯板"が必需品。ごしごしと手で洗ったが洗濯機で一変。それは食卓も同様で冷蔵庫の登場で保存食、電子レンジで料理方法が変った。孫が"チンして!"とねだる姿は現代の話。懐かしんでいる訳ではなく歴史の中でさらに変化する家族像を探したい。何故なら家族は社会福祉、障害福祉を考える根幹だから。

 

  法人の恩人西條節子さんの著書に『福祉の食卓』がある。西條さんが海外を視察し各国の"食卓"を通し、食文化と障害福祉を繋ぎ大変興味深い。また岩村暢子氏に『変わる家族 変わる食卓(勁草書房)』がある。一般家庭の1週間の食事を写真で提出してもらう調査。最初は残ることを意識して料理するが1週間は持たない。次第にコンビニの総菜をパックのまま。初日からバナナだけの朝食、3食すべてコンビニのおにぎり。毎日おにぎりを食べる学生は、子どもの頃からだから違和感がないと話し、むしろこだわりは店舗名。おふくろの味は過去のものとなり、コンビニの味が染みついている。お正月に食べるおせち料理をすべて自前で作る家族は本当に少ない。仕出しが多様になったこともあろうが、正月は帰省しておふくろの味を堪能する姿が増え、おせち料理を作る習慣がなくなった。作ったことのないおせち料理に伝承性が芽生えるはずもなく、見たことはあるが作ったことのない親が子どもに家族の味を伝えることもなさそうだ。食卓が現代の家族像を映し出す。

 

 日本料理は世界遺産だが、特別な料理ではない家庭の食文化はひん死の重症の様子。それとも、コンビニや仕出しという便利グッズが家族の食文化を継承すると考えるべきか...。少なくてもこの中で育つ子どもたちの価値観が変化するのは確実。それは、誰のために料理するかではなく、どのようなものを食べるかに集中している気がする。1週間忙しい思いをして働いたお母さんもお父さんも子どもたちもお休みだから、ファミレスでみんな一緒に食卓を囲む。1人ひとりが尊重される社会、生き生きする社会、個性を尊重する社会である。だがその中で何かを見失う。その狭間をどう埋め、社会の中で役割を果たす人間に育つか...。難しいテーマだが、家族が変ったことで得たもの、失ったものを見極めながら障害福祉サービス内容の吟味も必要だ。(20195②)

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子育てと時代の変化

 昔の話が多いのは年をとった証拠...と自戒しつつ、時代の変化に追いつけない自分がいる。"子育て"が本当に変った...と思う。例えば抱っこ紐を見ると大丈夫かな?と不安になる。今更だが、おんぶ紐は交差させ前で縛るので緩んだり、たるんだりが判る。もちろん、安全性が担保された商品だと分っているが、結ばなくてもよい抱っこ紐は何とも不安定な気がする。だが、それもおせっかいだと...ひとり茫洋と見る。本当に変わった...と思う。

 

 自宅から駅の道すがら母子の姿を見た。約束に間に合わないのか、母親はせかせかと歩く。4歳ぐらいの子どもは髪が乱れているが、気にもかけない。10分程度だったが気がかりは、子どもに1度も声をかけなかったこと。それどころか見もしなかった。だが、子どもは親に気を使っている様子で、定期的に母親との距離や動きを確認する。以前に迷子になったのか...、それともいつものことで習慣化したのか...慣れた様子で母親との距離を測る。それでも子どもらしくスキップしたり、少し高い境界石に登ったり遊びながら必死について歩く。いや、走っていた。おせっかいだと判っているが、子どもが親に気を使う姿が気がかり。早すぎて追いつけないまま駅構内に消えた。

 

 "食育"が言われているが、離乳食はほとんどパッケージ等を温め食べさせる。離乳食は時間と手間がかかるから当然。しかも最近は共働きが多いから少しでも手間を省かなければ疲弊する。休日のファミリーレストランには親子連れがとても多い。列をつくって待つ時、メニューを見て何を食べるか話す姿は楽しげだ。親子の会話もはずみ、母親だけが働く構図はない。だから、とても良い光景。でも便利になった裏で必ず他も変化している。最近、骨のついた魚を見ない。具材を原形で見ない。半調理の食材、総菜が当たり前で、インスタント食品はおいしくなり調理したものと相違ない。だから、子どもたちは具材がどのようなものか、魚の処理の仕方や調理法など判らなくても良い。腐ったり、しなびたりする食品を見ないので、生き物をいただく印象がない。"お手伝い"することがなくなり、子どもは1点でも良いテスト結果を求められる。だから"食育"は難しい。"食育"が言われ始めた頃「コケコッコ症候群」が話題だった。"個""欠""孤""固"を繋ぐと"コケコッコ"となる。それぞれ別なものを食べる"個食"、食べない"欠食"、1人で食べる"孤食"、そして食べるものが固定している"固食"。ファミレスでは別々に選ぶからまさに"個食"。そうか、すでに当たり前か...。だが、それを選択しなければ暮らせない...。そんな環境で育つ子どもにこれまでの"食育"で良いか...。子ども食堂は食べさせるだけで良いか...。私たちの仕事は、時代性を見失ってはいけない点と、大切なものを忘れない点が交差している。しっかりと周辺領域も見据えた検証をしないと誤る危険が潜んでいる。(2019.5

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街を福祉目線で覗くと

 昨年は「法人設立30周年、活動を始めて半世紀」だったので、1年かけて法人の基本理念である"インクルージョン"を考えた。"街で暮す、地域で生きる"や"それぞれのマイライフ"など、(福)藤沢育成会では"飛び出せ!施設から"のメッセージが込められたフレーズが使われる。昨年実施した利用者、家族、地域の皆さんとの会は"インクル・サマーフェスティバル"。"インクル"はもちろん"インクルージョン"。法人の誕生会だったが、地域の皆様と一緒に花火を見た。会場の藤沢養護学校に「来年もやってくれますか...?」の問い合わせがあったと聞く。地域の皆さんに何かをしていただくだけの時代が終わり、私たちも何かをする、一緒に何かを作り上げる時代となり、それが"インクルージョン藤沢"への道のりだと考えた。だから、もう一度、街を眺めたくなった。

 

 例えば、高座渋谷駅ではホームに社会福祉法人の看板がある。長後駅にも看板がある法人は「藤沢市の方も利用できます」と。一般的には何のことか分からないだろうが、社会福祉法人の事業利用に地域割りはありませんということ。それは選択できるサービスを明記していると受け止められる。一方では看板いっぱいに事業展開が描かれ、地域に開かれた社会福祉サービスを示していた。ホームの看板を見ると医療系の看板が圧倒的で、こんなに病院がある街って相当高齢化しているの...、でも病院や医院が倒産した話は聞かない...、いや、それだけ競争が激しいから看板を出さないといけない...とか。地方では医者不足だと言われている時代...、この地域も小児科や産科は公立病院でも医師不足に悩んでいると聞くが...などと不思議マークが"???..."。そういえば、高度経済成長期は製造業のポスターが多く、商品や商店の看板が並んだが今は違う...。

 

かつては社会福祉法人が看板を出すなど想像出来なかった。日本では"措置"から"契約"の時代に入り、サービスを選べる時代。選ぶためには基準が必要だ。選べなかった時代は、サービスの中身を知らないまま利用した。もちろんバリエーションが足りないとか、サービスの質が問題だなどサービス受給者が発言するのはとても苦しかった。選べるということは、どの味付けだったら買いたいか...ということ。味付けは法人、事業所の特徴を見極めなければ出来ない。車を買う時に車種に止まらず色に悩むことを考えれば、暮らし向きまで変わってしまう障害福祉サービスはもっと選ばれることに努力しなければならない。だが、障害福祉サービスはお買い上げだけが目的だと儲け主義の汚名を着るだろう。何故なら社会サービスだから。社会サービスは購入するサービスが社会生活上の必要十分であって、必要のないものまで売ればいい訳ではない。だから社会的使命や理念が無ければ社会サービスではない。故に華美にならず、サービスが必要な人に、内容や法人特性を伝えることは不可欠だ。これからはふさわしいサービス内容と共に広報が必要。(2016.4②)

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新年度!"措置から契約へ"の真相を見極める

昨年は「法人設立30年」。記念3事業それぞれに特徴が現れ、職員、家族等の活躍、協力で終り深く感謝している。"法人の特徴が出ましたね...""インクルージョン藤沢に魂を入れてくれました!"などの感想をいただき利用者、家族、職員の協働の重要性を再認識した。見て頂いた法人の歴史は"ニーズ(必要)"になる前の"デザイア(願望)"、"ウオンツ(欲しい)"だった。それが今の障害福祉を切り拓いた。だが、現状は制度に充足し、とらわれ、逃れられない傾向にある。制度は必要だから人が作る。時代が変わり暮らしや価値観が変われば今の制度に充足できない。例えば児童福祉法改正時"制度疲労を起こしている!"と言われた。その頃、児童福祉法改正と共に子ども虐待防止対策がスタートし、社会福祉事業法が社会福祉法に改正され第4条に「地域福祉の推進」を明記した。その後、障害福祉は措置制度から支援費制度、障害者自立支援法、障害者総合支援法へと変わった。

 "措置"は"行政処分"。サービスは受給者の意志ではなく社会的必要性に左右された。その頃"私の考えと違う..."と発進したのが当事者運動。藤沢育成会はこれが発祥の原点。だから当初は"あったらいいな...""そうあって欲しいな..."を実現するために"地域作業所"を創った。考えにくいサービスだったが、イノベーション(新機軸、技術革新)した。関係者は目もくれなかったが、次第に主流となり地域福祉を推進した。そこに措置から契約の考えが現れ、利用者主体のサービス形態が誕生。だから"措置から契約へ"は社会からではなく、"個人"から社会生活を考える姿を現す。加えて、措置から契約へは個=利用者から考えるだけではない変化もあった。それが社会福祉法人の運営、経営手法。措置では行政が示した通りの運営、経営を求められたが、契約への移行で一定の裁量が生れ、法人の特徴を示すことが出来るようになった。つまり、個性を発揮して選ばれるサービスを提供する必要が出てきた。例えば、放課後等児童デイサービス。1人で通えても送迎を求める親の強い要望...、長時間サービスが与える影響を考慮しつつどう折り合いをつけるか...など。サービス提供者は社会的役割と療育の狭間でアンビバレントになる。障害福祉のミッションを忘れたサービスは職員がストレスフル。でも、選ばれないサービスは存在しにくい。つまりサービス受給者が"個の尊重"を前提としたサービスにシフトすると共にニードを理解しミッションとの折り合いをつけなければならない。だから事業者がイノベーションしなければならない。故にサービス提供者として"措置から契約へ"を具現化しなければならない。それはニードに止まらず、ウオンツやデザイアを読み解くことから始める必要がある。だから法人30周年は未来へつなげる新たなスタートと考える。(2019.4

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"インクルージョン藤沢"

「当り前にしよう...」がノーマライゼーション。それは「ノーマライゼーションの8原理(注1)」を見れば歴然。①一日のノーマルなリズム、②一週間のノーマルなリズム、③一年間のノーマルなリズムから始まる。これすら出来ない時代があった。ノーマライゼーションの父バンク・ミケルセンが考えついた時に叫んだのは"ゲットーと同じだ!"。ゲットー=アウシュビッツ等の収容所。死の恐怖と戦ったゲットーと同じ...に驚愕。だが、ノーベル賞作家パールバックが我が子の入所先を探す体験談はそれをほうふつとさせた。

朝起きたら顔を洗うなどのリズムは疑う余地がないが、廊下に並んで顔を洗う姿は当り前か...。週末が日々と異なるのは当り前だが普段と変わらぬ日課の入所施設は当り前か...。毎日の変化が少ないのが自閉的傾向の人には分かりやすいというが、本当に365日同じリズムで良いか...。考えれば考えるほど"当り前...って、何?!"となる。だがニィリエは④~⑧まで当り前を並べる。ようやく"当り前の暮らし"が一律なはずがないと思う。すべて同じでは個性がなく誰かがコントロールする暮らしが見え隠れする。だから、ノーマライゼーションは当り前の中に"一人ひとり"という考えがある。ノーマライゼーション=ノーマルな状態は個性を大切にした暮し...。支援員の頃、土曜日に朝寝坊の中学生を起こそうとしたら"土曜日ぐらい寝かせてよ~!"と絶叫。"朝ごはん食べられないぞ~"と言うと"いらないも~ン!"。集団生活はどうしても規則優先になる。しかも命令口調に。障害福祉は入所施設から発展したから命令口調が強い傾向がある。

 "路線バスに乗せろ!"と主張したバスジャック事件(注2)の横田弘氏や入浴拒否事件(注3)の新田絹子氏を思い出す。当り前が当り前になるために発言、行動した人々がいた。"当り前"のために努力した人達がいた。そして、当り前に向かって確実に推し進めて来たのが藤沢育成会。街を歩くと当り前に法人の車がある。街で当り前に声をかけてくれる利用者がいる。でも、本当に当り前か...、どこまでやれば当り前か...、何が"当り前"...。それぞれの当り前に応えるための改善はどこが終点...。法人設立運動を始めた時、親の当り前は学校に行く、家から通勤すること。それは当り前になったが、学校は分離され、行きたくても行けない、行きにくい。学校に行っているけどちょっと違う...。それが選択した結果なら良いが、そうでなければ...。だが、学校の配慮がなければ子どもが苦労...。神奈川県教育委員会は"インクルーシブ教育"を推進し、高校に知的障害児を受け入れる。それがインクルージョン...。それが良い生徒もいるだろう。でも障害は種類、程度、状態等では多様だから"当り前の多様性"が必要。一方で時代が新たな障害を生む。だから、いつまでも"当り前"にならない。だから"インクルージョン藤沢"を目指す。それが障害福祉サービスだから。それが"それぞれのマイライフ"を大切にすることだから。(2019.3

 

 12回にわたって「インクルージョン藤沢」について考えた。まだまだ深く広く考える要素はあるが、小休止してもう一度、街並みから社会福祉の今を考えたい。

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