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藤沢育成会 理事長日記 | 最新の日記
"療育技法"とインクルージョン

支援にもトレンドがある。旧全国愛護協会(現:知的障害者福祉協会)で治療教育専門職養成の通信教育があった。そこで「心練」が紹介されていた。映像で"す!"とか"た!"と障害者に響き渡る声で繰り返す様子を見た。"す!"は"座れ!"、"た!"は"立て!"。解説では、言語理解が難しい人に記号化し短い情報で判りやすくした...と。見た時"社会と隔絶した場所でしか通用しないな..."と思った。その頃、海外からも注目された知的障害児入所施設があった。そこでは生活空間に不必要なものは置かない事が徹底されていた。必ず職員が点検するので歯磨きも洗顔も並んでいた。話題の「母子短期入所事業」があった。他施設と決定的に違ったのが期間。母子共に3か月間施設入所が必要なプログラム。その時"きょうだいたちはどうしているだろう..."と思った。児童相談所にいた頃、その施設に入所希望の親がいた。一方的な話し方で入所は揺らがなかった。入所時に"学校に上がる前の幼児が親と離れて暮らすことが子どもの福祉だとは思えない..."と話すと"そんなことをいう君は知的障害を知らない!"と断じられた。社会生活と違った価値観で出来ているのが入所施設だ...と思った。

 かつて勤務した施設では、生活空間にカギが必須だった。カギ束で1年間勤務するとズボンのポケットに穴が開いた。その時"限られた空間だが安全・安心を担保するためカギも必要だ"と教えられた。新米に抗弁できる訳もなく善意の解釈に納得したが、その後、誰もが拘束された空間で暮らしたい訳がない...と考えた。だがすべてのカギを外したら、彼らの安全・安心を担保するには、当時の人員配置や生活空間では保てないことも判っていた。また、当時の施設内トイレは介助者が立つ空間を確保するため扉が外されていた。ボランティアに聞かれて案内しとても恥ずかしい思いをした。ことほど左様に知的障害児入所施設の生活空間は、世間とは遊離していた。

 この頃"ノーマライゼーション"が上陸した。暫くしてTEACCHプログラムが佐々木正美氏によって持ち込まれた。Tはトリートメント、Eはエデュケーション、Aはオーティスティック、Cはコミュニケーションハンディキャップ、CHはチルドレン。つまり「自閉症やコミュニケーションにハンディキャップのある子どもの治療と教育」...となる。TEACCHは、治療と教育のプログラムなら、戦後ひばりヶ丘学園を創設した管修が提唱したのは"治療教育"。治療と教育を同時進行させることは同じ。ところがTEACCHが違うのは①ライフステージに応じた療育、②家族を療育のパートナーに、③地域を協力者にということ。初めて一生涯の保障と家族の協働、そして地域での暮らしが視界に入った療育技法に出会った。つまり"インクルージョン"。だから"インクルージョン藤沢"が意味を持つ。ゆっくりだが、じっくり、しっかり変化している。"療育"のトレンドは確実に"地域で暮らす"ことに意味を持たなければならない。(2018.9

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ドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」

7月、「健康で文化的な最低限度の生活」と題したTVドラマがスタートした。憲法論議は第9条が話題になるが、これは第25条"生存権"。第1項に「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあり、そのままネーミングしたようだ。第二次世界大戦終了後、世界は国連を舞台に様々な"権利宣言""権利条約"を締約した。自由権、平等権と共に人間の普遍の権利"社会権"。それが憲法第25条。こんなお堅いフレーズを使うドラマはどんなものなのかと思い見た。

 第1話は、父親から継承した会社を倒産させた男が世をはかなんで生きている時に、法テラスで借金の"過払い"が判り、払戻金が生じ生活保護から脱する話。めでたし、めでたしのドラマから始まった。第2話は、寝たきりの父、高校生の兄妹がいる母親の家族。必死で暮すが兄のアルバイトが発覚、返納金が生じた。生活保護には"補足性の原理"がある。生活保護は"世帯"が単位。この場合は4人で世帯認定。世帯の誰かが得た収入は、原則生活費とみなされる。そうしないと収入が+αになってしまう。それは働いている人より生活費が多くなる可能性があるので、世帯全員の収入を引いた金額が生活保護費とされる。収入は自己申告するのだが、申告漏れは"不正受給"とされ返さなければならない。生活保護費とは最低限度の生活保障。それは食うに困らない程度の暮らし。当然の理屈だが、兄は"貧乏人の子どもは夢見ちゃいけねぇってことかよ!"と怒りバイトで買ったエレキギターを叩き壊した。

 一方、生活保護担当SWは自立支援を求められている。だから、兄の夢を否定せず、そのエネルギーを支え応援するのが仕事だ。だが、不正受給を摘発する業務もある。つまりSWは"正"と"負"を1人で任されている。これは児童相談所のSW=児童福祉司も同じ。虐待する親からの分離も、親子再統合の支援プログラムも担う。しかし、多くが公務員試験の合格者が配属されたに過ぎない素人。ドラマでも採用初日に配属先「生活課」に赴任。生活保護の根幹など知る間もなく100件近いケースを担当し、数か月後には不正受給を説明する。制度を熟知出来なければ判るはずがないが、ドラマでは判ったように振る舞い失敗して問題を複雑化させた。

 役所経験が長い大学教員と話していたら、公務員の福祉職採用を非難した。何故なら専門職採用では上席者になれず責任ある対応が難しい...と。だが、不正受給と自立支援は裏腹な関係。子ども虐待の親子再統合は瞬間的な激情も視野に入れ人間性の機微が重要な要素。全くSWを知らない新人公務員が出来るのか...。しかも社会的成熟が難しい現代の若者が...。社会福祉は暮らしの支援だからドラマになる要素はふんだんにある。ドラマが「健康で文化的な最低限度の生活」をどこまで的確に捉えるか見続ける。そして、SW≒支援者≒社会福祉従事者の専門性の表し方を見ている。それが日本の社会福祉領域への理解度、認知度だから。(2018.9

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"答えではなく、応えるために"

インクルージョンは考えれば考えるほど答えが判らなくなり深みにはまる。それは人と人の相関関係だからたくさん想定できる。『ケアの本質(ゆみる出版、メイヤロフ著)』を読むと"ケアとは相関関係"が印象的。だからたくさんの"答え"ではなく、その人にどう"応え"るかではないか。障害者支援では"答え"ではなく"応え"を求めていると考えると判りやすい。その人との関係でどう"応じる"か、どこまで"応じられる"かである。

 ケアマネジメントは"アセスメント"を重視するが、ケアマネジメントが一般的になる前は"インテーク""ニーズ"重視した。アセスメントを"評価"と訳すが、そのイメージは、テスト結果の良し悪しなどの"評価"が一般的。だが、アセスメントを"査定"と訳してみる。"査定"は、事前に価値を判断すること。ソーシャルワークの基本、バイスティックの7原則に"非審判的態度"がある。決して利用者の行為や状態を善悪で判断しない事。つまりアセスメント=評価は、善悪や良し悪しではなく、相手の様子や状態を理解する事。また、ソーシャルワーカーがサービス対象者の理解に不可欠なのが"ニーズ"。その人自身が何を求め、どうしたいか...。問題解決を親や職員側の判断ではなく、相手の立場で"必要性"を考え理解しなければならない。自己決定支援と言うが、アセスメントやニーズが判れば"自己決定支援"になる。

 これらはさらに奥が深くアセスメントを行う時に利用者が混乱していたら、自分では整理出来ない...状態。お金が欲しいと言うからお金を渡すのではなく、必要性を吟味し、何をどうやって、どこまで提供するか...、当事者以上に課題を理解し問題解決のプロセスを考える必要がある。利用者支援はこれほど奥深く幅広のテーマが潜んでいる。これを実践するためには、自分の考えではなく社会的な基準に照らし合わせる事。自分なら...ではなく、支援が社会的基準に添っていなければならない。

一方で社会的基準に照合して考えると、あれもこれも出来ない...。これが難問で出来ないものは出来ない...となる。かつて当事者から"僕たちは制度が変わるたびに暮らし方が変わってしまう!"と言われた。犯罪行為でなければやってみたいのだ。迷惑が掛からなければやりたいのだ。でも、サポートが必要な人は、制度が変わるたびに出来たり出来なくなったり...。「僕たちに危険を冒す自由を下さい」と言った人々は、違法行為を言ったのではない。同じように地域で暮らすという事は、これらを丸ごと包摂(インクルージョン)するという事。自己決定支援などと軽々しく言っているが、本当にその人のニーズを把握し、アセスメントを行い、私たちに危険を冒す自由を下さいと言わなければならない環境を承知し、制度と格闘して支援しているかと言えば到底そこには及ばない。これがインクルージョン。安易に、軽はずみにハードルを下げれば利用者にとても失礼だと思っている。(2018.8

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"組織"とワールドカップ

"ワールドカップロシア大会"はフランスの優勝で終わった。今回は予選突破以降の日本代表の成績があまりにもふがいなかったので冷めた気持ちだった。突然の監督交代、準備期間に更なる敗戦。いつまでも名の売れた選手に頼っているからだと思っていたが、これまでの西野監督なら何かやる...、だが、あまりに短い...。こんな時、監督はベテランをうまく使って新しい選手をかみ合わせるしかない。なぜなら新しい軸になる選手は簡単に作れないし、戦略戦術を理解するのも難しいから。

2得点した乾選手がインタビューで"前監督なら選ばれなかった..."と応えたのが印象的。Jリーガー唯一先発の昌子選手は今回初出場。日本では得点した選手を讃えるが、サッカー先進国ではポジションでの躍動を10点満点で評価する報道がある。高くても8点止まりが一般的だが、ベルギー戦で8をたたいたのが吉田選手。負けチームのディフェンダーが8得点は珍しい。得点しなければ勝てないが、好守備に鼓舞され普段よりも強いエネルギーが発揮されるのは人間の常。故にベルギー戦で原口選手の得点が生れた。日本代表では見かけないが、ワールドカップではよく見る守備から一転加速度的な攻撃、得点。そこに一人一人の役割があり下支えがある。この時は柴崎選手。スルーパスの成功率が高くチャンスメーカーとして得点をお膳立て。前監督ハリルホジッチは"デュエル"を連発した。仏語の"決闘"だがスピードや縦の攻撃を意味する。柴崎選手のスルーパスは見事だった。

しかし、選手が仲間を信頼していなければ得点につながらない。柴崎選手なら縦にパスがくると信じ原口選手はまっしぐらに走った。それは"仲間を信じる力"。チームがバラバラでは出来ない。チーム内の信頼を生み出すために西野監督は本田選手と話し"チームが苦しい時に出てもらう"と伝えた。影響力の強いベテランをどう使うかは監督の悩みどころ。頼りたいが頼りすぎると後半息切れし、ワンテンポ遅いプレーで失敗。だから、先に監督の意向を伝え納得させる。チームの結束を図り方向性を浸透させ、組織力が+αを生むように図る。当り前だが理論的に正しければだれもが出来るとならないのが現場の現実。"出来る"と"判る"は決定的に違う。研修で判っても現場で出来ることはほんの少し。そんな時、悶々とした感情が影を落とす様子は見落とせない。技術委員長として日本代表を見続けた西野監督には判っていたのだろう。チームを再生するのは技術だけではない。スポーツライター二宮清純氏の『勝者の組織改革PHP新書)』に日本の決定力不足は「"スキル=技術"はあっても"ウイル=意思"がない」と。選手の意思が強く働くように腐心した西野監督の勝利。リーダーシップは現場で頑張る人たちの"意思"を生かすこと。だからリーダーはスタッフと日常的に繰り返し会話すことから始まる。(2018.8

 

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塩梅が必要な"インクルージョン藤沢"

"危険を冒す自由を下さい!"という言葉の考え方はまだまだ色々ある。人が危険にさらされているのに、黙って見ていられない人たちが多くのケアワーカー、ソーシャルワーカー。自己決定支援だからと言って、危険を回避させようとしない人はいない。でも、当事者は必至にやってみようとする。自己決定支援を考えると実に多様な状況が想定される。

例えば、ルールを守れない障害者がいる。ルールを守ることは地域で暮らすためには最低限必要だ。なぜなら社会的ルールを守らなくて良い人はいないから。でも、ルールが理解できず障害の特性が故に守れない人がいる。子どもの頃からルールを守れない人を"障害児だから..."とあきらめる様子が見える。どうだろう...と、考え込む。多動な人が高齢者になっても多動のまま暮らす人を見ない...。「強度行動障害です」と言うが、いつ頃まで症状があったか判らない...。元々強度行動障害とは、現象を見た結果でラベリングした。それは、現象であって原因ではない。更に多くが幼児期からの療育にあらがった結果でもあり"二次的障害"と言われる。障害要因を一次的障害と言い、環境因子等による行動障害(特性)が二次的障害である。そう考えると、ルールを守れないから...とは、"仕方がない..."と言っているにすぎない。それは"障害者だから仕方がない..."となり障害者の可能性を否定している。

"Aさんは○○だから"と言う人の横で、他の支援者がいさめるとしぶしぶでも従っていることがある。ダウン症の方は固執するから仕方がない...と言うが、受け入れる容量が無いのではなく少ないだけ。だから障害特性や個性を知る必要がある。利用者は支援者の個性をしっかりと見極めて応じている。相手によって応じ方を変えている。それが自分を守るすべだから、感性豊かに情報を集める。答えを一つにしたがる現代人は、○か×で判断したがるから、利用者が言うことを聞かなくても徹底的に追い詰めて"ダメなことはダメ!"と言い続け答えにしてしまいがちだがそんな話ではない。その人の許容範囲と理解範囲、そして社会の受け入れ容量などを勘案した内容を見出さなければならない。それは答えではなく"応え"である。梅干をつける時の塩加減である。梅の出来具合、その土地の気候風土、毎年の天候の変化などを勘案して塩を加減し、腐らないように、塩っぽくならないように"塩梅(あんばい)"する。とても難しく"勘"が働かなければできない。"勘"を頼りに支援"案"を作る。つまり利用者の様子を"勘案"する。それがアセスメント。そして一度出した答(応)えがいつまでも通用しないから常に"勘案"しなければならない。再アセスメントだ。仕方がない...とあきらめた支援は障害者差別だとは言わないが、本人が秘めている可能性を見捨てている...と言いたい。社会に当り前のように存在(インクルージョン)するとは、この"勘案"した支援が必要なのだと自覚したい。(2018.7

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