日記

理事長日記

"コロナ禍"の中で...

GW直前、検診に行くと虫歯があった。自覚なし、痛みもなし。ただ、舌であたると妙な違和感...。「治療しましょう」「はぁ~」。口の下のヘルペスが治ってからにしようと言われ、痛みもないのでGW明けに予約した。翌日、のどにイガイガを感じたが気にも留めなかった。ただ"えへん、えへん"とカラ咳をするのもはばかるご時世が気になった。次の日、イガイガが増え始めた。虫歯に重~い痛みを覚えた。そうなると、のどのイガイガも気になり始めた。だが、"熱なし...""頭痛なし..."。コロナ禍で大事なのは...、そうだ"味覚障害はない!""大丈夫..."と、心の中で繰り返しつぶやき始めた。

そんな時、事業所から電話があった。相談したい...と言われ、お散歩コースに入れ訪問した。"大丈夫...、歩く力がある""熱なし...""それにしてものどが痛い..."。仕事中、常に熱が気になった。ヘルペスが出るといつも40度近くの熱を出し、布団の中で汗だくになり数日を過ごした。今なら、PCR検査、隔離、入院...。最悪の事態を考え、よどんだ空気が我が身を包んだ。おり悪く娘家族の引っ越しで孫2人が泊まった。それは良いが、こちらの体調が気がかり。熱の気配はなくのどの痛みだけが強まった。次第にガラガラ声。孫たちはそれぞれに遊ぶが、久しぶりのおじいちゃんと遊ぼうと繰り返し近寄ってくる。嬉しいのに"コロナだったら..."と気をもみながら過ごした。

 思い起こすと良く風邪を引いた。小学生の頃、発熱で1週間ほど休んだ。久し振りに登校するとテスト。"寒"が書けなかった。母に見せると"98点なの?"と聞かれ"休んでいる間に習ったんだ!"と応えたら"休んだのは貴方の責任でしょ!"。そりゃそうだが...もごもご。娘の成人式が近づく頃、多忙を極めていたこともあってヘルペス→のどの痛み→鼻水といつものコースで高熱の予兆。だが、成人式は待ってくれない。妻の仕事も待ってくれない。当日、付き添うつもりだったが、高熱を出し布団の中でうんうんと唸っていた。娘は予約した美容院へ行き振り袖姿で1人式場に向かい、帰宅後淡々と1人で食事をした。"すまん"と思うが、間の悪いことはあるものだ。

 体調を崩し、発熱にうなされ、心まで弱ることを何度も体験した。普段でもうつさないようにと思うが、コロナ禍ではお互い気を使いさらに緊迫し、コロナ禍ゆえのヒートアップ。だから、寝る時の"おやすみなさい"が、明日の朝、元気で会えますように...となり、"おはよう"は、無事に目覚めたよ...の気持ちが増す。寝る時"何かあったら、ケータイに電話してね!"と言われると、普段なら"何、言ってんだ!"と思うが、"うん..."と言いながら"そんなことになったらどうしよう..."と。考えてみれば、最初の緊急事態宣言下では激減した"人流"が第4波、3回目の緊急事態宣言ではどうにも下火にならず、延長戦を迎えさらに拡大した。1人ひとりの考え方などと言ってはいられない。翻って、自らの風邪症状は1回目の緊急事態宣言時とは違う"気のゆるみ"か...。それにしてもよどんだ空気のGWだった。あまりに長い風邪症状なのでクリニックに受診した。風邪薬を持って帰宅する時、妙な安堵感があった。(2021.06)

気づかされた言葉

 職場で良くも悪くも"えっ!"と思うような言葉に出会った一瞬が忘れられない。最初の知的障害児施設で、家族関係は安定し父親は温厚で経済的な不安もない。本人に目立った課題はなく穏やで会話も十分。もちろんADL自立。唯一考えられるのは「就学猶予・免除」の時代ゆえ"学習機会確保"。中卒年齢で"家庭復帰"の可能性が出た。行動が落ちついたから家業を手伝わせたいと。入所施設からの家庭復帰は極めて稀。"お手伝い"の練習を繰り返し万全の態勢で帰宅。繁忙期が過ぎ、収穫物を持ってあいさつに来た少年は自信にあふれ輝いていた。父の丁寧なお礼と共に本人が手伝った収穫物が子どもに渡された。充足感、喜びがあった。この仕事のだいご味を知った。だが、農閑期になると父親から悲鳴の電話。"何とかして下さい。""毎日、追いかけられているんです!"。問題は暇な時間を過ごす術がないこと。指示を待って動くように指導した職員側の問題だった。まだ"余暇訓練"と称す時代の支援の誤りだ。支援とは...と深く考えさせられた。

 短期入所利用者。穏やかに過ごせるがパニックがある。特に指示的な発言に反応が強い。一定の言語理解はあるが、発語はなく意思確認が難しい。母親同席時は従順で安定した様子。ある日、面会に来た母親に気づいていない本人が音楽を聴いていた。母親は"音楽は好きです。でも、クラシックしか聞きませんよ!"。驚いた!その時、はやりの歌謡曲を聴いていた...。本人を見た母親は驚き"いけません!クラシックにして下さい!"強い口調だ...。従順であることが本人のストレス。穏やかな姿を見せている裏で心が曇っていた...。

 法改正等では行政説明を行う。趣旨や変更理由、改正点を説明する時に"これまではパッケージ型サービスで、今後はパッチワーク型サービスです"。自分で選んで組み合わるとその人らしさが出ると説明すると、当事者から"制度が変わるたびに僕の暮らしが変わるんです!どうしたらいいですか!"。次の人はあきらめ顔で"どうでも良いから...着やすい服を作ってくださいね!"..."着やすい服になるように、利用する人もどうしたいか考えよう!"と伝えるのが精一杯。

 寮長職(主任)になり成人入所施設に転勤。子ども時代に一緒だった利用者がいた。昔馴染みゆえニックネームで声をかけたら笑顔だ。すると、若手職員が"それはダメです!"。笑顔で振り向き、反応も悪くないのに...。毅然とした態度で言ったのは2年目職員。"良いんだよ、昔からの知り合いだから"と返すと、間髪入れずに"ダメです!"。"どうして?""だって本人が承諾しているか分らないです!"と。発語なし、簡単な言語理解の利用者ゆえ二の句がつけなかった。"分かった"。ちょっと憮然としたが正しいと思った。その後、ニックネーム廃止が進められていると知った。相手を尊重するとは何か...改めて考えた。

 利用者の考えが判らない。あるべき論で利用者の行動を決める職員がいる。それしか出来ないと思っているふしがある。あるべき論と現実の狭間で右往左往するのは利用者...。いまだに"ふさわしい対応(支援)"≒"応える"支援が出来ているか判らない...。(2021.5)

「勇気をあたえたい...」と"意思決定支援"

作曲家・坂本龍一が"東北ユースオーケストラ"を立ち上げたのは3.11後の2014年。被災地の若者と音楽活動を始め今も続けている。多くの有名人が被災地を訪問したが、継続するのは難しい。報道されなくても、話題性が乏しくても、東北に音楽文化を創造しようと活動を続けている。

 坂本龍一は『「音楽の力」は恥ずべき言葉』だという。"音楽を使ってとか、音楽にメッセージを込めてとか、音楽の社会利用、政治利用が僕は本当に嫌いです。"と。背景にナチスがワーグナーをプロパガンダに利用したことがある。壮麗にして勇壮な曲想は民族誇示にピッタリだが、ナチスがT4作戦(障害者安楽死計画)からユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)へ進んだ記憶は消せない。音楽の力による負の遺産である。音楽に限らずスポーツも同様で、プレーする側、例えば、子どもたちが「勇気を与えたい」とか言うが、そのようなことは言うべきではない。大人が言うから真似する...と。音楽で感動するかどうかは個人の勝手。音楽に何か力があるわけではないから、音楽を作る側がそういう力を及ぼしてやろうと思うのは言語道断でおこがましい...そうだ。

 以前から"感動を与えたい!"と言う人に違和感があったが、こんな言葉に出会ったのは、初めてでうれしいと思うと同時に"やっぱり!"と思った。"感情"の発露はどこまでも"個人"の問題。今何をしたいか...、どう暮らしたいか...、誰といたいか...は"主体ある個"が主導でなければならない。どのジャンル(音楽)が好きかどうかは1人ひとり違って当然。坂本龍一の曲は何処か東洋的な雰囲気があり独自の世界を感じる。だから、あの曲は好きだが、こちらは嫌...なんてこともある。それが"自己決定"!

 支援をする時、十分配慮し意識すべきは"利用者主体"。利用者主体は職員側から考えた時の言葉で、利用者側から考えれば"意思決定"。利用者の意思決定は、坂本龍一の言うように"感情"のコントロールを要求することなく受け入れてくれる内容を提供すること。でも、危険な状態でも受け入れるわけにはいかない...。また、支援者の社会的な役割からすれば、利用者の安全安心を守るのは当然だから、利用者が不快と思うことも時には行わないわけにはいかない。そこがせめぎあいで、折り合いを必要とする。だが、多くの利用者が自らの感情を十分に言語化できない。だからこちらが推し測る。そこで親の同意を得るが、親は利用者と同じではないから当然齟齬が起きる。でも"意思決定"が大事だから納得する。それが自らの業務を終わらせる方向へ導いてくれるから。

 "意思決定支援"とは、このように利用者と親と職員の感情が"せめぎあう場"になる。支援者の役割は、代弁者、媒介者、治療者。せめぎあう場ではまず代弁者の役割。次に媒介者。そして相反する感情に折り合いをつけるために治療者の役割が始まる。地域に出て暮らしたい人が社会のルールを守れなければ、その改善が治療となる。"支援"はしてあげるものではなく、利用者に"応える""添う"ものでなければならない。"○○を与えたい!"は、「"お"しつけ」だと意識したい。(2021.05)

"ぼく、すっちゃったんだ..."

大学最終年の4月から神奈川県の非常勤職員になった。児童相談所一時保護所勤務。確かに採用時"夜間警備員"と言われたが、実態は"夜間指導員"。全く役割が違うから相棒(同級生:後児童養護施設指導員)とそう呼んでいた。

その最初の出会いは衝撃的だった。"先生、卓球やろうよ!"と小柄な小6男子が声をかけてきた。どう見ても遊びだと思った。だが、新米指導員は声をかけてくれる子がいることがありがたい。卓球台を置いたら隙間もないような場所で、ニヤニヤしながら軽くウオーミングアップが始まった。うん!うまいな!...と思う間もなくスマッシュが入った。予想もしない攻撃だった。少し本気になったがどうにも...。かなわないのだ。汗をかき、かき必死になったが、とても勝てる雰囲気はなかった。参った!と声をかけると"結構やるじゃん!"と余裕たっぷり。勝ち誇るような振る舞いだった。あとから知ったが、施設対抗の全国大会で小学生の部優勝者だった。

 明るく、間違ったことをしない優等生だが、自宅には帰れないようだ。学生アルバイトに詳細は知らされていなかった。それなりにかかわりが持て、会話できるようになった頃の真夜中にドアをノックする音で目覚めた。時計を見ると深夜2時。何かあったかと思い開けると少年が立っていた。"先生、話したいんだ...。""入ってもいい?"と。部屋に招き入れるといつもと違う少年が隅にうずくまった。なかなか話し始めず沈黙がおおった。だが、話し始めると止まることがなかった。

小学校2年の時に両親の離婚で新しい母親が来た。継母は食事も作ってくれなかった。父親は継母の言うなりで休日の外出など夢のまた夢。一方、隣の同級生は休日のたびにマイカー外出。本当にうらやましかった...。ある日曜日、いつものように外出する隣の子の姿を見た。隣家に誰もいないことは分っていた。

 話が止まった。口ごもっている。じっと待った。次の展開が判るほどの経験も知識もなかったから、どうすればいいかも判らなかった。"それで..."、"ぼ・く、すっ・ちゃっ・た・ん・だ・よ..."。"え~ぇ?何を?"。"マッチだよ...、ちかくにあったんだ..."。"もえちゃったの?"。"火がついて、あっという間だった..."。"消防車、呼んだ?..."。"呼ばないよ。だって、ぼうぼうもえて、どうしていいかわからなかった...""それで?"。"お巡りさんが来て連れていかれたんだ..."...。話し終ったのは明け方5時近く。うつむいたままの少年。新米は疲れ果て、何をどうすべきか判らなかった...。仮眠もとれないまま子どもたちが起き出しいつもの朝が始まった。朝食後、大学に向かう足が重かった。

 家庭裁判所は「児童相談所送致」。非行少年は①虞犯、②触法と2種類に分けられるが放火は犯罪行為で「児童入所施設措置」となった。数年の施設暮らしで成長した少年は中学入学を期に新たな施設で生活する予定だが決まらず、入学式直前にあわただしく転居した。はちきれんばかりの笑顔は、卓球で培った"頑張り"が身についた証拠。次の施設でも元気に成長してくれることを願った。これが私をこの仕事に誘った最初の出来事。(2021.4①)

椅子

職場が変わるたびに"席"が変わった。席とは、仕事中の"居場所"。居場所には必ず"椅子"と机がある。役割が重くなるに従い机も椅子も変る。机は袖なし机→片袖机→両袖机の順。仕事の範囲が広がるに従い増える書類にスペースを必要としたので必然だった。

 一方、椅子は座れれば良い。特に変える必要はないが、ひじ掛けがあるとかないとか...。"椅子"は権力の象徴として使われることがある。"総理の椅子はいかがですか?"と問われる時の椅子は、革製の重厚なもの。椅子がその人の役割を表している。

 椅子は、用途でずいぶんと異なる。ホテルのロビーの椅子=ソファは、ホテルの顔だからそれだけでホテルの特徴を表す。社長の椅子は、来客を意識したものでもあり、来客用のソファとの一体感を醸し出す。それが会社の姿を現してもいる。

 我が家に自分用の椅子が5脚ある。一番身近な食卓の椅子。長時間座る書斎の椅子。寝室にはゆったりとくつろげる椅子と簡単な書き物が出来る座卓に座椅子。そして、テレビの前のリクライニングソファ。

 それぞれの場でやることが違う。必要不可欠の食卓は、利便性が一番だが食事の姿勢にふさわしくないと腰を痛めそうで落ち着いて食事が出来なくなる。書斎の椅子は背もたれが動くが、あまり使うことはない。パソコンで書き物をすることが多いから、その機能を使う時がないのだが、その場で本を読んでいた頃はソファのようにゆったりともたれかかった。座椅子はめったに使わないが、手紙を書く時などに落ち着いた時間を提供してくれる。初めての机が座机だったことが記憶のどこかで落ち着かせてくれるようだ。テレビの前のリクライニングソファは居間にあり、くつろぐ時間に使うが居間だから家族団欒のお供でもある。最近のお気に入りは寝室の椅子。フットストールを置いて身体を沈める。身体を椅子に預けながら手元灯で本を照らし音楽を聴く。こんな時の音楽は抑え気味で穏やかな曲が一番。例えばパンフルートやオカリナの単音でメロディーだけのもの。時には小鳥の啼き声や波の音など。とにかく邪魔にならず、聴くとも言えない状態になる。椅子は公的な場では、組織の特徴や権力を表すが、家庭内では個人の趣味趣向が顕著。人間の暮らしに陰と陽、表と裏があるように、暮らしのそれぞれを象徴する"椅子"にそれぞれの表情がある。

果たして利用者の暮らしにはどのような椅子が用意されているだろう...。もちろん出来ること出来ないことはあるが、社会的に当り前の基準はどうか...。五つもの椅子は贅沢...?もちろん若い頃からこのような暮らしが出来た訳ではなく、長い積み重ねの結果。では、施設の暮らし、施設の椅子を見て何を考えるべきか...。インクルージョンの前は、インテグレーションだった。その源流はノーマライゼーション。

今年度は"日常を見直そう!"と考えている。ノーマルな暮らしを原点に考えることはとても難しい。この難しさを念頭に入れて"椅子"を見る。障害がある人の暮らしはノーマルかどうかを見直すと何が見える!?(2021.4)

街を歩く 歩いて考える 考えて問う

2年間、街並みを歩き社会福祉の"種"を見た。元々"社会"から"福祉"を見る傾向が強い。課題のある人が社会適応する方法を考える時はその人から見る。例えば、心理学や医学は、個の"幸せ"を考える。でも、社会構造や社会問題を取り上げ考える角度がないと、本当に社会が手助けすべきかが判らない。だから社会学的思考で"幸せ≒福祉"を考える。すると経済状況や政治事情が混在し法律も承知したい。それゆえ社会福祉は実に漠然とし学問にならないといわれる。つまり"あいまい≒良い加減"が原点。だから『専門家の知恵(ゆみる出版、ドナルド・ショーン著)』では社会福祉領域を"マイナーな専門職"とする。だが、それは1人ひとりに添うために必要なこと。それが社会福祉の難しさとなる。だから、街を歩く人、それぞれに社会福祉があると思い、街歩きを"考える種"にした。

 歩くと本当にいろんな"種"がある。看板ひとつでも、街並みや歩く人たちの雰囲気でもそれぞれに"種"があるので、考えたり書いたりすることに事欠かない。"種"があるとは"考える"素材があるということ。

歩く時は音楽を聴く。ジャンルは問わないがリズミカルなものが良い。なぜならテンポよく歩け、脳も活性化し自然に考え始める。多忙な頃は仕事に関するアイディアが突然降ってきた。大学勤務時は講義の素材や資料の作りが浮かんだ。今も同様に仕事の段取り、資料の構図が浮ぶ。最近では"ケアのグラデーション"や"日常と非日常のあいまいな境界"などが歩いている時に思いついた。もちろん、仲間と共に考えると厚みが出るので、アイディアを書き示し誰かに問う。たとえ反応がなくとも説明中に頭が勝手に動き、さらに進化する。また、説明する内容と以前に考えたことが合体して新境地を見る時もある。最近、専用のペンで書けるスマホを手に入れた。思いつくと迷惑にならないように隅に立ち止まり書き留める。どうでも良いこともあるが、ペンとノート持参より機能的。いずれにしても"考える"楽しさが街を歩くことにつながっている

 考えたことだけが答えと思わない。専門領域はエビデンスが薄く多様性があると知ってからは多様性を楽しむことにした。Aさんの場合、Bさんの時の答えが同じになるはずはない。だから"答え"ではなく"応え"を探す。つまり、Aさんの場合はこの応え方で良いが、Bさんの場合はあの応え方...と考え、答えではなく"応え"と。理論的には正しくても、臨場した場ではちょっとずれたり、スラしたり、変形したり...と考える。理論的に正しい答え≒理論値ではなく、現場で変化した応え≒臨床値を考える。だからいつまでも答えにたどりつけないが、それが社会福祉領域≒対人援助=この仕事の特徴。だから、一生懸命答えを求めるが、また答えに問いかける。まるで砂に水をためるような話だが、根気よく答えに問いかけないと、社会福祉現場では進化しないと50年もかけてようやくたどり着いた...。重い荷を背負わされたような気もするが、だからこそやりがいがある。それゆえ未来を託す若者の姿が見たい...。(2021‐3月②)

 新年度からは「私の出会った人々」をテーマに書き続ける予定です。