日記

理事長日記

『僕とぼく<新潮社、川名壮志著>』を読んで...

 本なんてものは読む人の考え方、置かれた状況など様々に影響を受けるのだから、読後感想文は読む人の邪魔だ...と、ちょっと斜に構えた考えでいる。だから、どう読んだかなどほとんど書かない。それでも書きたくなることもある。これは図書館の新刊案内でリサーチした。2019年5月30日発行だからまだ世に出てほやほやだ。本を読むのは電車の中が多く涙が出そうで困った。自分は感情移入せず客観的に読む方だと思っていたが、やっぱり"感情的な動物"なんだ...と。涙をこらえながら読んだのは「佐世保小6同級生少女殺人事件」の被害者家族のその後。『僕とぼく』は2人の兄。著者は当時、父親の部下だったジャーナリスト。事件は記憶のかなただろうが衝撃的だった。カッターナイフで僕(ぼく)の妹を切り殺した同級生は児童自立支援施設(児童福祉法)を出て成人を迎えた頃。その間、兄たちが歩んだ道を誇張や衝撃的にせず、丁寧に、やさしく包み込むような文章だった。それだけにリアルだ。

"じじばば"参観日

 保育園の"ジジババ参観日"に行った。1時間程のプログラムはメロディオンの合奏と創作。その後一緒に給食。案内に「祖父母の方を対象に、子どもたちと交流」とあった。だから創作はジジババも作れたが、見回すとババたちは一緒に楽しみジジたちは眺めるばかり。さもありなん!このために遠くは熊本、広島、長野から。こういう時代なんだと驚くばかり。ふと、保育園って...と思うのは職業病か...。

『なつぞら』~戦災孤児~家族

 朝ドラ『なつぞら』が終った。年輪を重ね涙腺が緩くなり抑えるのに苦労した。主人公なつは姉たちの世代。当時は「学童疎開」があった。子どもたちを乗せた対馬丸が海の藻屑となった悲劇があった。なつは東京大空襲にあい、父は戦死、母は空襲で他界。兄と妹の3人は子どもだけで暮さざるを得なくなった。このような子が「戦災孤児」。上野の地下道などに寝泊まりする家がない子を「浮浪児」と言った。食べ物がなく盗みを働いた。国家が「浮浪児狩り」と称し収容した。日本における児童福祉(現:子ども家庭福祉)の始まり。県内でも昭和21年の県立中里学園を始め多く児童養護施設が設立された。当時は社会全体が食糧難時代、困り果てて犬肉を食べた話まで聞いた。3きょうだいは別々に育ち、大人になって再会。兄は娯楽の殿堂ムーランルージュの踊り子に育てられ、なつは知人の牧場(北海道)で育ち、妹は赤坂の置屋に拾われた。だが、これはとても幸運だ。誰からも助けられず亡くなった子、盗みで命を繋いだ人、反社会的集団に身を投じたもの...。浮浪児だった人々の回想をもとに石井光太氏が『浮浪児1945(新潮社)』で追跡している。