日記

理事長日記

"なんか、変?!"

必要に迫られて街を歩くのではなく、必要量の運動を確保するために街を歩く。それでも、いろいろ見かける。私の感覚だけど、それらをつなぐと"なんか、変?!"

① 通勤が小学生の登校時間になることが多い。春先は黄色のカバーが着いているランドセルが多いけど、付き添っている親がそれを持っている・・・?通学用の荷物を何で持つの?優しさがあだになってない?!

② 歩道を歩いているとスピードを出した自転車が通り過ぎる。年寄りはそれがすごく怖い!どうして?自転車は歩行者じゃないよ?でも、車道が危ないのも判っている...。もう少し緩やかに走ってくれないかな?

③ ベビーカーがどの場にも行ける時代だ。とても良いが年齢はどのくらいまで?歩き出したばかりの子どもは長距離が難しいけど...。どうして歩かせないの...。リードをつけている子もいたな...。この年頃の探索行動は成長の種なのに...?

④ 電車で立って乗っていていると席を譲ってくれる高校生に会う。ありがたくお礼を言って座る。でも、ほとんどがシルバーシート!どうしてその場だけ?敬老の日に贈り物をすることが敬老なのかな...。本質を見てない気がする・・・?

⑤ レジで"ポイントカードはお持ちですか?"と訊かれる。基本的に持たない。だって、プライバシーをみ~んな覗かれている気がするんだ。何を買ったか判るんだよね。本屋のカードを使うと必ず似た本の紹介メールが来るもん。

⑥ "○○ちゃん"と愛おしそうに話す先のペットが服を着ている。最近は色とりどりの服だけを売る店もあるが、なんか変?!だって、毛皮のペットが余分に身に着けたら体温調節はどうなるの?動物虐待?...違うか?

⑦ そういえばペットの犬を抱いたり、ベビーカーに乗せて散歩する人を見かけるけど、なんか変?!だって、犬だってお散歩しなきゃ運動不足になっちゃうよ。そうそう、ペットの糖尿病が増えたって聞くよ...。

⑧ 学校から出て集団で行動するとどうしても待ち時間が多くなる。それは仕方ないが、地べたにお尻をつけて座らせるのはどうして?先生たちが座っている姿は見たことがない。変だからね。湘南台駅はトイレ入口の真横なんだ!不衛生じゃない?!

⑨ 電話を受けると"今、大丈夫ですか?"の第一声。声なき声が"大丈夫じゃなきゃ取らないよ!"と一気に不機嫌になる。なんか変?!電話は相手の様子が判らないから不意打ちが多い。だから、スマホには"拒否"のマークがある。どうして訊くの?

⑩ 高校生のミニスカート、なんか変?!エスカレーターでは後ろを抑えたりカバンで隠したり。逆セクハラ!って言う人もいるけど、どうしてあの姿がいいのかな...?美しさは、自らの内実からにじみ出る...なんて分からないかな...。

法人でも"それぞれのMy Life"って言っているけど、それは"インクルージョンふじさわ"と言う社会の中でのこと。誰もが社会とおりあう...と考えると"何か、変!?"それほど社会は寛容だと思えないんだけど...。

トラ、トラ、トラ

 「トラ、トラ、トラ」という映画があったがそれとは違う。先輩は無類の阪神ファン。阪神以外は知らないそうだ。次は"寅さん"。大船に撮影所があった頃に上京し撮影所前のアパートに住む。街には寅さんが好きなラーメン屋やレストランがある。跡地に出来た大学に勤めた頃、そのラーメン屋で昼を食べ、レストランでは歓送迎会があったが"寅さんの好んだ部屋、席"と説明された。そのラーメン屋は、ほどなく閉店した。最後はトラもトラ、大トラ。無類の酒好きで酔いと共にやけどしそうな熱量で仕事の話をした。

「時代を映す?」...「時代を創る...」

本土復帰50年の節目に朝ドラは沖縄がテーマ。その年、高校を卒業し上京した主人公が料理人として成長する中で、家族、恋愛、仕事...。同時代の育ちゆえ思い出がよみがえる。時代の変遷を表すが、基地問題は...と。根底に自ら戦争を始め敗戦国となった歴史が横たわる。世界が"今のロシアは80年前の日本..."とする姿はドラマでは見えない。「テッパチ!」は、何やらキナ臭い空気が漂う世界情勢の中、自衛官が主人公。それは戦闘用ヘルメットを指す自衛隊内の言葉。挫折や家庭事情を抱え入隊した主人公が1人前になるまでの話。戦闘訓練も人命救助もこれほどの鍛錬が必要なのかと思わせ、若者に刺さるものがあるだろう...と。これは自衛官の応募数に影響するか...。それは夜ドラ「あなたのブツが、ここに」の宅配員も同じ。障害福祉サービスのドラマはなぜ出来ないか...と思う。

「家庭教師のトラコ」は、主人公の男女が児童養護施設出身。里親に引き取られた男と施設に残された女の格差が今を描く。家庭内の問題に踏み込むトラコは、お金の使い方をテーマに社会勉強に導く。次第に社会的に成長する子どもが親も成長させる。"学び"は知識の詰め込みではなく社会を見る"眼"が大切と知り、学びのモチベーションをあげ成長。サンプルは、頭取の後妻となった銀座ママの親子、シングルママの食堂経営者、リストラにあった新聞記者。母親像から社会を見る仕掛けが絡み合う。テッパチは安全保障が背景、トラコは社会の基礎的集団=家族が背景。ところが「僕の姉ちゃん」は、海外赴任中の両親不在家族というありそうな設定で日常を映す。けだるいような空気、それなりの人間関係。現代家族の人の距離を表し、家事万端それぞれに進む風景が当たり前の今を映す

「六本木クラス」は国家も家族も色合いが薄い。父親を殺された主人公の長い復讐劇。原作は韓国のマンガだが、グローバル社会を反映してか六本木と言われても違和感がない。経済至上主義の社会で、勝ったものが強く、財力のあるものが何でも獲得し、犯罪まで隠蔽できる...社会を映し出す。一方「ユニコーンに乗って」は、ITを駆使したスタートアップ企業が賞金や融資、業務提携を経て成功する。大企業経営者の息子がその起業精神で大企業を改革する。膠着したものは瓦解する時代を映すと読んだ。どこぞの国では"忖度"などと言う使いなれない言葉が横行したが、正しさを自らが見極め自分らしく生きる難しさを表す。時代が変化する時、ふさわしく人々の生き方も変化する。高度経済至上主義がもたらした金権主義社会で良いかと問いかけているようだ。

かつて手話ドラマ「星の金貨」や「愛していると言ってくれ」が人気の頃は、手話が流行したが、今は話題にもならない。「NICE FLIGHT!」のように空港の多様な仕事が見えるとドラマは職業紹介のようだが、それによって世間の"目"が変わる。これにテレビの社会的信用度が加わり社会的イメージがどんどん変わる。国家資格となった頃、介護福祉士希望者が急増。情報が好印象をあたえた。だが、ニュースにもならない今日、希望者は激減しダーティーイメージだけが残った。この先、時代を映したドラマが、世間をどう変えるか...?肯定的イメージがなかったものがドラマ化されると社会的認知が激変する。そうかドラマは時代を映す...ではなく、ドラマは時代を創るのか...

"収める鞘を持たないケンカは負けだよ!"

 学生時代お世話になった人が上司になった。仕事に特別の注文はなく、穏やかな日々が続いた。終戦直後、柔道着と竹刀だけ持って上京。戦後の浮浪児を収容(当時の言葉)する仕事に就いた。当時は食糧事情が悪く、"孤児院(現:児童養護施設)"ではなおさら!子どもたちが肉を食べたいと訴えたが金がない。しかたなく赤犬なら大丈夫と...食べたという。また、風呂に使うマキが足りず枕木を取りに行ったと笑う。眉唾じゃないか...、イヤそうしなければ生きられなかった...?そんな逸話で周囲を笑わせるところがあったので信ぴょう性は不明。また、「保母試験」の採点で児童相談所について"児童の相談する所"の回答に"△"。間違いじゃないかと聞くと、間違ってはいないと。そうだけど...、二の句がつけなかった。

 ある日、職場近くの飲み屋で話しをしていると店主がつまみを1品多くだした。"よく頑張っているってね""ええ?""よく来てくれるんだよ""誰?""課長さん!""そう?""息子のことで世話になってね!良い人だね!""そうですか..."。施設に相当好感をもっている。歓送迎会で仕出し屋に予約すると予定をやりくりしてくれた。当日、店に伺うと"課長さんは?""後から来ますけど、どうして?""いやぁ、本当にお世話になっているんだ!""良い人だよね!"。どこでも課長さん、課長さんと言われるのに1年いらなかった。床屋、八百屋..."課長さんは?"と。自分の時間を使い街の人と話し仲良くなり、地域の社会資源を利用し、街に溶け込んだ。剣道4段、柔道も有段者。見事な筆使いで文字を書き、得意がることもなく自然体。しかし、酒が入ると下ネタも混ざり周囲を和ませた。恐妻家だというが早く帰宅する様子もなく、夜な夜な酒を飲んでは人々を和ませた。地域との関係が増え、施設に好感を持って頂き、街との接点が変わり挨拶を交わすようになった。

 ある日、成人した利用者の母親と相談し、自宅から通所すると決まった人がいたが、保母長(今はない役職)が母親と話し"心配..."と。母の心配に配慮しそれも含めて相談してきた。頭越しの行為に憤りを覚えた。方向性が間違っているとも思えなかった。相当な怒りの中、問いただした。礼儀を失しないようにと思っていたが後から思えば問い詰めるようだった。答弁はしどろもどろ...。その時「○○ちゃん、収める鞘を持たないケンカは負けだよ!」と声がかかった。続けて巌流島の話。拍子抜けしたが、佐々木小次郎が刀を振りかざす時、鞘を捨てた。剣豪宮本武蔵が勝利したのは、そのすきを見抜いたからだという。

 若さゆえ、怒りに任せて訴え続けたことをさらりと諫めた言葉が忘れられない。人と人の関係は、どうしてもどこかで対立を生む。何となく気まずいこともある。どんなに正しくとも相手を非難し続けてはいけない。頃合いを見つけることを"鞘を持つ" ...と。その直後、保母長が非を認めた。だが、実に後味が悪い。この後味の悪さを何度味わっただろう...。老いてなお我が身を収められないと振り返る。一方、怒りはエネルギーであり、失うとうつろな目になる恐れを抱く。人間は本当に難しい。生きるに差し支えないことに怒りを覚えないが、物事の重要性が増すごとに怒りを覚える。穏やかな人柄、大胆な振る舞い、ひょうひょうとした仕事ぶりが心に残る。それにしても"収める鞘を持つ"のは難しい...。

「理論値」と「臨床値」

 大卒後の進路相談で兄から「社会福祉は実践科学じゃないのか?」と、問い返されたことを時折思い出す。大学入学時の「社会福祉学研究会」入部レポートで"車の両輪のように理論と実践が伴って社会福祉・・・"と書いた。研究者になろうなどと思っていなかったが"親切"が社会福祉だとも、"善意"が社会福祉だとも思っていなかった。困っている人の役に立つことは、する側の勝手だから違うと思っていた。だから、世間から見ると"親切な人""優しい人"と言われることが嫌だった。

 社会福祉制度はどこまで充実すべきかが難しい。困っている人を助けてあげる...と言う考えが好きではない。困っている人が生来の怠け者だったら助けて良いか・・・?『善意で貧困はなくせるのか?(みすず書房 D・カーラン&J・アペル著)』の冒頭に、僧侶が漁師から魚を買い取り海に戻した行為は正しいか...と。わずかな魚を海に返し"殺生はいけません"の教えを守ったことになるのか...?人は動植物の命をいただき生きている...?やらないよりやった方が良い...?突き詰めると"優しさ"が判らなくなる。神奈川県立保健福祉大学名誉学長・阿部志郎先生の"しさとは、うと書く"の言葉の深さを想う。

 社会福祉の始まりが"優しさ≒善意"なら、善意で問題解決できますか...と。それでは問題解決が難しい現実がある。しかし、善意から始まる...。だから、何かを加えないと解決のエネルギーが生れない。必要なのは"その善意、本当に役にたっていますか?"の問い。的確であれば良いが、してあげたい...では成立しない。だから"人を憂う..."の奥が深い。その人が判らないと善意が意味を持たない。「虐待としつけの狭間」は"しつけ"と考えている。接頭語"お"をつけると丁寧語。丁寧な善意は押し付けで虐待の始まり...という皮肉。だから"困り事"の構造が判らないと人を"憂う"ことにならず、困っている人の問題解決が出来ない。助けたと思った人を混乱に追いやったり、出来ることをしてもらっても良いと学ぶ...。だから本当に困ったことが判らないと優しく出来ない。でも、同じことを困っているAさんとBさんに同様に援助すると、Aさんは喜んでもBさんが喜ぶとは限らない。なぜなら、AさんとBさんでは居住環境や家族事情などが違うから。だからいつも答が変化する。また、今困っていても明日になるとまた変わることもある。

 考えてみると、個別な事情に全てフィットする制度を作るのは困難。だから、制度に当てはめるだけでは解決しない。故にケースワークがある。ケースワークは個別の課題を解決する糸口を一緒に考える技法。他にも社会福祉の技術がある。地域社会や、家族、その人自身の問題等を考えながら的確に、合理的、論理的に糸口を見つける。だから選びきれないほどバリエーションがあり複雑怪奇。そのため問題を整理する基礎知識が必要。さらに"出来る・出来ない"を理解する。だからソーシャルワーク技術がないとアプローチが難しい。これが「理論値」。でもそれだけだとサービスに当てはめようとする。人に添うために藤沢育成会では"それぞれのマイライフ"と言う。その人に合う方法を一緒に考えるのが「臨床値」どっちがなくても、どちらかが強くても、優しさがあだになりかねない。理論値を臨床値に置き換えられる力量のある人が社会福祉の専門職だと思う。

"ねえ、ここ高速道路じゃない?!"

初めての職場からの転勤がなかなか出来なかった。忘れられた...と不貞腐れた。だが、毎年の異動で新たな体制になった。幹部人事など気にならなかったが、直属の上司は気になった。異動した上司の後任はアルバイト時代の主任だった。熱血漢で大男。剣道の有段者で高校時代、稽古着で災害救助に行き、大学のBBS(注)活動でこの仕事に誘われた。 バイト当時"焼却炉"があだ名。子どもたちはよく考えるな・・・と感心した。好き嫌いなし、食べ残しなし、魚は猫マタギ。残さず食べる指導があった時代ゆえ実に説得力があった。

 保育士中心の女性だけが支援現場にいた時代から"同性介護"に変化する移行期で、男性職員が少し増えた頃のある日、上司から呼ばれた。"明日、6時出勤!""エッ!明日遅番です"。"だから!マラソンの練習です"。早番以外の男性職員は全員集合!朝6時に行くと男性職員が数人いた。担当の利用者を起床30分前に起こし連れていた。準備体操後ロードに出るとの号令に従い最後尾で走る。人込みを避けるように場所を移した。"えッ!ここ工事中?""大丈夫?"の声がしたが、先頭の熱血漢はお構いなし。施設に戻ると"今日は良いコースで走れた!"と。"建設中の高速道路じゃないですか?""そう・・・""大丈夫ですか?""まあね、見つかったら間違えました!って、帰れば良い"という。確信犯?!だが、舗装したての道路を走った選手たちは気持ちよさそうだった・・・。選手を寮に送り帰すと"朝飯!"と。病院の夜勤者が朝食に利用する院内食堂は外部も入れるが利用客は少ない。食事を選んで着席すると"朝食ミーティング"。練習方法、行事企画、施設運営等を意見交換。先輩も、後輩もなし。具体的な話から将来像に至るまで話し込んだ。もちろん若者の集まりゆえ恋愛談義にも花が咲く。熱血漢は勤務時間ギリギリに出勤。だが、話しが弾むと遅番たちはそのまま残った。それに付き合いそのまま勤務。すると朝6時から夜8時半まで勤務?きつい"通し勤務"だが、嫌とも、疲れたとも思わず多くの若手が集った。もちろん不参加職員もいたが、それで仲間はずれにはならなかった。

 熱血漢はいつも先頭を走った。ついてくるものだけを見ていた訳ではなく、確実に先頭を走っていた。そういつも走っていた。それは無理ですよ!と訴えたこともあったが、いつもやり遂げた。たとえば、創立記念にモニュメントを作ると言い出した。敷地内の広場は集合場所だったが、日差しが強く藤棚を作る・・・と。素人では出来ないと思い断念するように進言したが、材料を買い込み作業開始。職人姿の熱血漢は、既に様々に学び、水平器なども持ち出し職人の動き。それを若手が手伝う。柱が立ち上がるとコンクリートが固まる前に一番上にサインしようと号令!梯子に登りおぼつかない足元で自分の名前を刻んだ。

これが正しいとは思えなかった。そこまでしなければいけないとも思えなかった。万人がやれなければ次世代に伝わらないとも思った。しかし、仕事と言うよりは、自らに与えられた役割にどこまでも向き合う姿を背中に学んだ。若い頃だからできた。今は無理。また、社会が許さない。だが、何かを求める時、これほどの集中力が必要なんだと叩き込まれた。人は給料のためだけに仕事をするのではなく、この仕事を必要とする人たちが待っているからする!といつも熱血漢の背中が言っていた。

(注)BBS:Big Brothers and Sisters Movement

少年少女たちに、同世代の、いわば兄や姉のような存在として、一緒に悩み、一緒に学び、一緒に楽しむボランティア活動。その名は、今から訳100年前にアメリカで始まった、Big Brothers and Sisters Movementにちなんで名づけられました。(日本BBS連盟)