日記

湘南ゆうき村の施設長・課長日記

富士山  ( 湘南ゆうき村 / 課長 高橋 羽苗 )

湘南ゆうき村

日本人は富士山が好きと言われますが、漏れず私も富士山でテンションが上がる一人。振り返ってみると「施設長・課長日記」にもたびたび写真が使われています。

数年前、東海道新幹線で「見慣れたわたしたちでもみたことがないほどきれいに富士山が見えています、ぜひご覧ください」という内容でアナウンスが流れました。

朝の早い時間の新幹線でアナウンスされるほどの富士山は本当にとってもきれいに見えたのを覚えています。

 

 富士山が世界文化遺産に登録されたのは「信仰の対象と芸術の源泉」として、万葉集の時代から大切にされてきたことが認められたとされています。昔は噴火から恐れられていた富士山が、信仰心や芸術の象徴として大切にされているのは、信仰や芸術の理解が乏しい私でも「やっぱり富士山だもんな」と単純に納得する一方で、富士山をみてテンションが上がったり、ほっと感じる気持ちが、時代や価値観が変わっても共通していることが不思議で魅力的だなと感じています。

この冬はご利用者様から、「今日は富士山がきれいだよ」とよく声がかかります。

すぐに一緒に見られないことも多いのですが、何気なく富士山をみると確かにきれいで、一緒に見ようと誘っていただいた「おすそ分け」の気持ちもとても温かく感じます。

先日、小さな「富士見坂」の看板を見つけました。

富士見坂は各地にありますが、現在はビルやマンションで見えないところも多いそうです。

住宅街の急な坂から、遠くに小さく見える富士山でしたが、やっぱり「日本一」を感じさせてくれました。

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波多江式インディアン的福祉論!? ⑰ (サービスセンターぱる ・ 湘南ゆうき村  /  副所長  波多江 努)

サービスセンターぱる
湘南ゆうき村

今日は死ぬのにもってこいの日だ。

生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。

すべての声が、わたしの中で合唱している。

すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。

あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去って行った。

今日は死ぬのにもってこいの日だ。

わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。

わたしの畑は、もう耕されることはない。

わたしの家は、笑い声に満ちあふれている。

子どもたちは、うちに帰ってきた。

そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。

私がインディアンを好きになったきっかけの詩です。初めて読んだときは、特に心の動きはなく、「死ぬのにもってこいの日」という言葉に引っ掛かりを感じていただけでした。(また、私の余命が残り少ないとか、人生の岐路に立たされているとか、そういうことは一切ありません。)

自然と共に生き、自分も環境の一部であることや周囲のものに敬いを持ち、今日の自分は周りのおかげと感謝することの大切さを理解しました。

そして亡き父や兄、特別な友人、仕事を通じて知り合った方々、その人たちの「生きざま」から「死ぬことは相手の心に生きること」ということも教わりました。

多くの出来事から学ませてもらった今だからこそ、この詩の魅力が何となくわかる気がするのです。

繰り返しになりますが、また、私の余命が残り少ないとか、人生の岐路に立たされているとか、そういうことは一切ありません。

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友人からの注文を受け、久々に長財布を作りました。

「旬を感じる」 ( 湘南ゆうき村 ・ 湘南だいち ・ 湘南ジョイフル / 施設長 三嶌 悟 )

湘南だいち
湘南ゆうき村
湘南ジョイフル

秋の気配がより一層深まり、緊急事態宣言解除から1か月以上が経過しました。

先日、季節感を感じたいと思い、三浦半島の方へ「みかん狩り」に行ってきました。

 三浦と言えば、「三浦大根」を代表するように野菜のイメージが強いですが、みかんやスイカの生産も盛んです。11月30日までの期間限定だったので、久しぶりに外出をしました。

 渋滞もなく、広いみかん園でしたので、人はいるもののまばらでした。枝からハサミで切ってみかんを刈り食べたときには、外出した喜びとふと以前湘南ゆうき村で行っていた1泊旅行時の「みかん狩り」を思い出しました。ほんの数時間の出来事でしたが、秋を満喫しました。甘いみかんで美味しかったです!!

 食欲の秋や紅葉シーズンなど、世の中や仕事においても、「旬」があるかと思います。10月には、「湘南ジョイフル」という新しい施設がオープンするなど、私の中では色々なことが「旬」になっています。この「旬」を取りこぼさないように努力していきたいものです。

 2021年もあと少し、体調にも気をつけながら進み続けます。

「2つの違い」( 湘南だいち・湘南ゆうき村・アポロ  / 施設長 三嶌 悟)

アポロ
湘南だいち
湘南ゆうき村

先月の父の日に、「甚兵衛」を家族からプレゼントされました。妻や子どもたちから、「作務衣と甚兵衛と迷ったけど、甚兵衛にしたよ」と言われました。

 その時、私は「作務衣と甚兵衛という言葉は知っているけど、実際のところ作務衣と甚兵衛の違いって何だろう」と疑問がわきました。皆さんは、「作務衣と甚兵衛の違い」をご存知でしょうか?

 調べてみると一般的に「作務衣」は、禅僧が労働(作務)のために着用していた作業着とのこと。特徴は、長袖・長ズボンで、袖口と足首を縛れる紐が付いているものが多く、素材によってオールシーズン着用できるようです。ちなみに、「作務衣」は「さむえ」の表現が多いみたいです。

 一方「甚兵衛(じんべえ)」は、「甚兵衛羽織」を日常衣服として着物仕立てにしたもの。特徴は、半袖・半ズボンで、肩部をタコ糸で手縫いしてあり、夏に涼しく過ごせるように素材や作りに工夫がしてあるようです。

 この時期で暑がりの私にとっては、やはり「甚兵衛」ということになります。私の「特徴」を知っているからこそのセレクトかなとも思いました。日本語には、似ているようで似ていないもの、類義語や同義語と同意語なんかもありますね。「特徴」にしても、「特長、特性、個性」の使い分けがあるように、日本語には意味と奥深さがあることを実感した一幕でした。

 最後に、家族に感謝です。

 

 写真は、10月オープンに向けて、湘南ジョイフルとスマフル高倉建築中です

「2021年 春」(湘南ゆうき村・湘南だいち・アポロ 施設長/三嶌 悟)

アポロ
湘南だいち
湘南ゆうき村

コロナ禍において1年が経過しました。昨年の今頃は、史上初の「緊急事態宣言」が発出され、「新しい生活様式」に右往左往していたことを思い出します。最近では終息どころか、変異株の感染拡大が危惧されています。

 こうした中で、「2021年 春」を迎えました。先日、報道で「北の国から」に出演していた田中邦衛さんが亡くなられたことを知りました。この訃報を聞いたとき、子どもの頃から見ていた「北の国」からの場面が思い起こされました。そして、追悼番組の放送を観て、懐かしさと北海道の大自然の迫力と魅力に、子どもながらに北海道への憧れを思い出しました。

今回の表題は、田中さんを偲び、「北の国から」のサブタイトルをイメージしてみました。

 自然と言えば、先日仕事で長後駅付近を散策していると、住宅地の中に「地下道!?」を見つけました。その時は時間がなく、行くのは断念しましたが好奇心にかられました。ふとした日常の中に、地域や自然に触れた一時でした。

写真は、湘南ゆうき村の畑です。大根やキャベツ等、今年度も楽しみです。

マスクでの生活(湘南ゆうき村 アポロ 課長 高橋 羽苗)

湘南ゆうき村

マスクでの生活がすっかり日常となりました。

マスク映えメイク、マスク映えメガネ、マスク映えヘアスタイルから、マスクたるみを予防する顔のストレッチなどマスク生活の中でいろいろなものが考えられて発信されて、おもしろく見たりそんなビジネスに驚いたりしています。

マスクでの生活では、声が聞き取りにくい・表情が伝わりにくいなどいろいろなコミュニケーションのとりにくさが挙げられていて、声がこもったり口の動きが見えなかったり、リモート会議では誰が話しているのかさえわからず、反応しにくいことも多いです。

そんな中、いつも以上に目線や態度が大切になるかと思いますが、自分自身を振り返るとなかなかできていないことが多いように思います。言語そのもので伝わる情報と、言語と非言語コミュニケーションを合わせた伝わり方では、伝えたいことの本質の伝わり方に差が出てくると言われます。

職員同士のやりとりで「伝わっている」と感じられる時や、話が伝わってくる人はやっぱり言葉だけではなく、反応をしっかりしてくれる人だったり、その時その時に目が合う、姿勢がちゃんと向いているなど。

言葉だけではなく姿勢や相槌、目線、声のトーンも大切に、普段以上に丁寧に伝えられるようにありたいなと思います。

話は少し変わりますが、マスクをしている顔でしか会ったことがない人がマスクを外すと、驚くことがありませんか。見えない部分を補完して理想化する脳の働きだそうですが、私はその違いになかなか慣れず認識するのにもとっても時間がかかります。何かいい方法はないものなのでしょうか。

ゆうき村の畑に出ていたふきのとう。収穫して春を皆さんと感じました。