日記
湘南ゆうき村の施設長・課長日記
骨髄提供体験記④ (湘南ゆうき村・法人事務局 高橋宏明)
前回までの体験記はこちら
8月上旬【入院初日】
真夏の晴れた朝。
次女を保育園、夏休み中の長女を学童へ送り届け、病院へ。
10時30分、骨髄バンクのコーディネーターが付き添い、入院手続きを開始。
受付は10分ほどで完了し、
骨髄バンクから「入院支度金」として5,000円を受け取る。
ここからは単独で病棟へ移動。
案内されたのは、トイレとシャワー室付きの個室。
初日は術前入院のため、手術説明がある以外は自由時間。
持参した積読本をこの機会に一気に読み終え、
必要もないのに施設長全員のGoogleカレンダーをチェック。
これもすぐに終了。
テレビカードを購入して、開幕したての甲子園を観戦。
やることがなくなったので病院内を散策することにした。
がん専門の総合病院で「暗い雰囲気」を勝手に想像していたが、
院内は明るく整理されており、そうしたイメージは感じない。
看護師たちは、移動可能なカート式のパソコンで立ちながら業務をこなす。
見ていてとてもかっこいい。
初めての入院。しかも「元気だからこそ」の入院。
どう過ごせば良いのか分からず、
ベッドの背もたれを上げたり下げたりして、なんとなく時間を過ごした。
12時過ぎ、昼食が配膳される。
昨日から同姓の入院患者が3人もいるらしく、
採血や食事のたびにフルネームで確認される。
少し面倒だが、この徹底ぶりには安心感があった。
食事は温かいおかずと冷たいデザートがしっかり分けて提供される。
思わず「これ、加算ついてるんだろうな」と、
職業病的な目線でチェックしてしまう。
18時30分、夕食を済ませ、翌日の手術に向けて3つの制限が課される。
①間食は禁止
②飲み物はOS-1のみ可(3本支給)
③翌朝6時以降は絶食
「OS-1を飲んでおくと、麻酔の効きが良くなるんですよ」
と看護師さんが教えてくれる。
22時、「手術に備えて早めに眠りたい」
そう思えば思うほど、逆に寝付けない。
病院の個室とはいえ、入口に鍵はなく、定期的に看護師が見回りに来る。
0時、看護師さんに相談したところ、睡眠導入剤を処方してくれる。
服用後、すぐに眠りについた。
次回は、入院2日目骨髄摂取手術についてお伝えいたします。
9月23日(火)、湘南ゆうき村の30周年感謝祭を開催しました!
たくさんの方にご来場いただき、本当にありがとうございました。
そして本日、2025年10月1日で湘南ゆうき村は30歳を迎えました。
ここまで歩んでこられたのは、支えてくださった皆様のおかげです。
これからの湘南ゆうき村も、どうぞあたたかく見守り、
一緒に歩んでいただければ嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
「今年もお祭り、やります!」 (湘南ゆうき村・湘南だいち 施設長 妹尾 貢)
今年もお祭りシーズンで、湘南ゆうき村は9月23日(火)、湘南だいちでは10月11日(土)に、それぞれお祭りを企画しています。
利用者さんやご家族、地域の皆さんに日ごろの感謝を伝えたいという想いで、スタッフ一同準備を進めています。
最近好きな曲の「まつり まつり 毎日愛しき何かのまつり まつり」という歌詞に、なるほどそうか、その通りだ!とも思いますが、やはりお祭りは、非日常的な体験であるからこその楽しみ、でもあります。
特に俣野囃子保存会の演奏は大迫力ですので、是非観に来てください。
西俣野は引地川沿いでお米を作っている農家がたくさんいて、この時期は稲刈りで大忙しですが、自治会の方もお祭りに協力してくださっています。
お米といえば、今年は価格の高騰もあって、減反政策からの転換の方向性が示され、見た目にも作付面積が増えたように感じます。季節が進むにつれ、田んぼや稲の状態も、例年以上に期待をもって見てしまいます。
今回は騒動になりましたが、お米やそれ以外の食べ物についても、政策や価格など、生産者や流通、消費者にとって適正か否か、考える良い機会になったのではないかと思います。食べ物がいつも当たり前にあるありがたさに、我々は鈍感になっていたのではないかと。
お米の値段を下げるとか、給付金がどうとか、目先の人気取りの動きもありますが、いま考えなければいけないのは、将来も安心して生活できる国や社会にするために何をするべきか、ということなのではないかと思います。
われわれの仕事についても、「毎日愛しきなにかのまつり」でありながらも、同時に将来の安心を提供できているか、永続性のある仕組みになっているかどうか、を考えていかなければ、と思います。
先日、法人の研修でご講義いただいた、国立のぞみの園の田中理事長から紹介いただきました「みてわかる 知的・発達障害者のしあわせな高齢期~50代になったら知っておきたいこと~」という本です。具体的なエピソードやイラストも多く、タイトルの通り「みてわかる」のでお勧めです。
※書店等では取り扱っていないようなので、ご所望の方は「独立行政法人 国立重度知的障害者総合施設 のぞみの園」のホームページ「調査・研究」のフォームからお申込みください。
骨髄提供体験記③(湘南ゆうき村・法人事務局 課長 高橋宏明)
骨髄提供体験記の続きです。
これまでの体験記①②は下記をご覧ください。
体験記① 【通知~確認検査】
社会福祉法人藤沢育成会 | 骨髄提供体験記①(湘南ゆうき村・法人事務局 課長 高橋宏明) | 施設長・課長日記
体験記② 【最終同意~採取前健康診断】
社会福祉法人藤沢育成会 | 骨髄提供体験記②(湘南ゆうき村・法人事務局 課長 高橋宏明) | 施設長・課長日記
採取前健康診断にて、
麻酔科医の「呼吸が3時間止まる」という説明について確認したところ、
厳密には『自力呼吸が止まる』という意味であるとのこと。
呼吸を管理するために『人工呼吸器』を使用する必要があり、
その際には気管にチューブを挿入する『挿管』を行う必要があるとのこと。
なお、挿管の際には、喉を傷める可能性があることについても説明を受けた。
3時間程度で無事、移植前健康診断を終えた。
7月中旬【骨髄提供決定】
移植前健康診断を受けた数日後、結果が届いた。
『骨髄採取可能な健康状態』とのこと。
これで、正式に骨髄提供が決まった。
候補者の間は『提供しない可能性』もあるので上司以外には伏せていたが、
決定したタイミングで湘南ゆうき村の職員にも伝え、
今後の通院や入院について報告した。
7月下旬【自己血採血】
自分の血液を採るために病院へ。
骨髄を採る=体内の血液量が減る
その為、事前(手術の1~2週間前)に
自己血を採って保存し、手術中に戻す必要がある。
私は1回400mlの採取だったが、
2回に分けて800mlほど採るケースもあるとのこと。
採血中、看護師さんから
「患者さんの体重等によって、骨髄採取する量が決まるんですよ」
と教えてもらい、
「ということは、子どもなのかな?それとも女性?」
なんて勝手に想像しながら、30分程度で自己血が採れた。
自分の血を自分に戻す準備・・とても不思議な感じ。
この時期、自身の体調管理にはこれまで以上に敏感になっていた。
というのも、患者さんはすでに前処置(抗がん剤治療など)に入っており、
もし私が体調を崩してしまえば、骨髄提供そのものが中止になる可能性がある。
「自分の健康が、誰かの命に直結する」
そう考えると、ちょっとした喉の違和感や倦怠感にも神経質になる毎日。
振り返ってみると
骨髄提供までのプロセスで、いちばん辛かったのは、
身体的な負担よりも、「ちゃんと提供できるだろうか」という
そのプレッシャーだったのかもしれない。
今回はここまでにさせていただきます。
次回は入院の様子をお伝えできればと思います。
写真は、『花よりだんご虫』の娘たち。
公園で散歩中、色とりどりの花が咲く中で、
「せっかくだから、花を背景に笑顔の写真を撮ろう!」
と、親として期待がふくらみます。
ところが娘たちはというと......
咲き誇る花には目もくれず、
しゃがみこんで夢中になっているのは地面。
視線の先には、1匹のだんご虫。
「見てー!丸くなったー!かわいいー!」
花なんて目に入っていません。
2人の関心は完全に『花よりだんご虫』。
何度呼びかけてもこちらを見てくれず、
花をバックにした笑顔の写真なんて、撮れるはずもありません。
でもふと、「いや、これでいいんだな」と思いました。
咲いている花の美しさよりも、足元の小さな命を見つけて心を躍らせる姿。
その自由さと感性こそが、今しかない子どもの瞬間なのかもしれません。
思い通りの写真は撮れなかったけれど、
花よりだんご虫に心奪われるその好奇心と自由さに、
なんだか嬉しくなってしまいました。
大人の「こうあってほしい」を
軽やかに裏切ってくれる子どもたちの姿に、
学ぶことは多いなと感じた春の一日でした。
深緑・深呼吸(湘南ゆうき村・湘南だいち 施設長 妹尾貢)
5月に入り、新緑だった木々の緑がどんどん濃くなっていく季節です。気温が上がるにしたがって、空気に含まれる香りが豊かになり、ふとした瞬間に古い記憶が呼び覚まされることがあります。それを確かめようと、もう一回大きく空気を吸うと、次の瞬間にはもう空気が変わってしまい、記憶も遠くなっていつのどこのことか、はっきりと認識できないけれど、でも確実にその時の気持ちがよみがえります。
世の中が便利になって、身体を使う必要が少なくなっているためか、それとも年齢のせいか、大きく息を吸うようなことが減っているように思います。
近所の市民プールの改装が終わり、一時休止していた水泳を半年ぶりに再開しました。といってもいつまで続くかわからないマイブームです。
中高生の全盛期の水面を滑るような感覚を身体が覚えているので、現在の沈み加減に歯がゆい思いをしますが、それでも、呼吸法を思い出せば、循環器系は結構戻るものだということを発見しました。
深呼吸というとラジオ体操のように「大きく息を吸って~、吐いて~」という順番に思いがちですが、呼吸が浅くなっている人が、いきなり息をたくさん吸おうと思ってもうまくいきません。まず、吐く必要があります。もうこれ以上吐き出せない、というところまで空気を吐き、さらに絞り出します。これが出来れば、吸うほうは自然にできます(苦しいですから)。
吐いて吸う、帰って行く、暮れて明ける、止んで降る、捨てて手に入れる、死んで生まれる...
繰り返し起きる事象の時系列を入れ替えてみると、ものごとの本質が見えてくるような気がして、これもマイブームです。
すべては、太陽と地球と月のバランスによる、回転運動でできあがっているからでしょうか。
写真は、通っている管理釣り場の風景です。水温や時間帯、昆虫の羽化の状況によって魚の活性も変わりますが、ふとした時に見上げる山の景色の移り変わりも楽しいです。
骨髄提供体験記②(湘南ゆうき村・法人事務局 課長 高橋宏明)
骨髄提供体験記②です。
(①は下記リンクをご覧ください)
社会福祉法人藤沢育成会 | 骨髄提供体験記①(湘南ゆうき村・法人事務局 課長 高橋宏明) | 施設長・課長日記
6月下旬に骨髄提供最終候補者の連絡があった。
骨髄バンクコーディネーターに今後の予定を確認すると、
最終同意
採取前健康診断
自己採血
入院
骨髄採取
退院後健康診断
の流れ
まず「最終同意」があり、
提供日も8月某日と決められていた為、急ぎ日程調整。
当たり前だが、移植日はドナーの都合よりも患者さんの状態を優先し決定される。
最終同意は、「本当に提供しますか?」と家族同席で行う面談。
妻と自身の仕事の調整をしながら、
その後のスケジュールを考慮して、
最終候補者決定通知から1週間後に最終同意の面談となった。
最終候補者は1名なので、採取前健康診断で問題なければそのまま採取となる。
その為、このタイミングで上司に報告し、上記の動きを説明し、業務の調整を急いだ。
6月末【最終同意】
最終同意当日は、採取する病院にて、
血液内科医師、骨髄バンクコーディネーター、弁護士、
妻、私の5者で面談が行われた。
面談では、骨髄提供の流れやリスクについて説明を受ける。
リスクについては、死亡例や後遺症の症例について、こと細かく説明される。
近年、日本でも死亡例等はないようだが、しっかりと説明され、
ドナー側が充分理解、同意した上で提供するか判断できるようになっている。
死亡例等も紹介されるので、自分自身が安心しようと
「最近、骨髄提供での医療事故はないんですよね?」と主治医に聞いてみた。
(「医療事故はないですので安心して」との返答を期待)
主治医からは「確率論で言うと0ではありません」とピシャリ。
移植日も確定し、それに向けて患者さんも前処置をするとの話もあり、
前処置とは、抗がん剤や全身放射線照射をすることで
患者さんの体内に残存するがん細胞をできるだけ壊滅させること、
ドナーの細胞を拒絶せず受け入れられることが目的で
治療されるが非常に辛い処置らしい。
仕事を休むことも、
入院し子どもたちを妻に任せることも、
患者さんの前処置が始まることも、
いよいよ自分だけのことだけではなくなってきたと実感。
7月上旬【移植前健康診断】
問診、診察、血液検査、尿検査、胸部レントゲン検査、心電図など
一般的な健康診断の内容を行う。
肺機能検査は、吹き方の指示があり、フィットネスジムのように
「吸って~吸って~もっと吸って吸って~吐くーー!」と繰り返され、指示通り行う。
全身麻酔をする上で、肺機能検査も重要との事。
麻酔科の受診もあり、手術前の麻酔について説明を受ける。
部分的な麻酔ではなく、全身麻酔をするとの説明。
「寝ている間に手術されるんだろう」と思っていたが、
そうではなく、採取している3時間程度呼吸が止まるとのこと。(怖すぎる)
またまた長くなったので次回に続きます。
写真は年始にひいた大吉です。
仕事・・自信をもって能力発揮します。
「里帰り」(湘南ゆうき村・湘南だいち 施設長 妹尾 貢)
お正月は実家のある練馬に帰省しました。
実家は団地なのですが、この5年ほどの間に建て替えがあり、実家の場所も数年ごとに変わりました。今回は元の場所の新しい建物への帰省でしたが、自分が子ども時代を過ごした時の様子とは似ても似つかない、おニューな感じのマンション風になっていました。
それでも場所が同じなので、帰った感じがするのは不思議です。
障害福祉の世界では「地域の生活」「地域移行」など、地域という言葉をよく使います。地域って何だろうとよく考えます。すぐに思いつくのは「施設の反対語」なのですが、では「施設」の生活と「地域」の生活の質的な違いとは、なんだろうかと考えます。
自分が実家にいたころ、地域の活動を意識することは、あまりありませんでした。今思えば、団地の自治会で、階段掃除の日があったり、夏のお祭りがあったりしました。目の前が学校だったので、学校のイベントはよく行きました。
働き始めてからは藤沢に住みましたが、仕事ばかりで、地域の活動に参加することはほとんどありませんでした。一度、たまたま夏に帰省した時に夏まつりがあって、屋台で焼き鳥を焼いたことがあったくらいです。
ITの発展で、人と人をつなぐ仕組みは加速度的に変化して、端末さえあれば、足を運んだり人を介したりせずに、世界中の人とつながったり、いろいろなことが出来るようになりました。地元に帰らなくても、あちこちに散らばって住んでいる高校の同級生たちと、LINEで無駄話をすることもできます。
そうやって空間を超えてつながるようになっても、同じ土地にすむ「地縁」の関係もまた、続いていきます。
最近は、職場がある西俣野上町内会の住民活動におじゃますることがあります。自分の生まれ育った地域ではありませんが、住んでいる人たちのいろいろな課題を見聞きすると、なにか自分たちにできることはないか、と考えます。
そんな経験を通して、「人が役割をもって、直接にやり取りする距離感」それが地域かと考えました。施設に住んでいても、住民としての役割があれば、それは地域の暮らし、なのかもしれません。
その場所で暮らしたり働いたりする人として、役割をもつこと、役割があると実感すること、それを支援することが我々の仕事なのではないか、とあらためて思いました。
※写真は、子どものころ遊んだ近所の公園












