日記

『こども達から学ぶ』 (みらい社 課長 大澤 健二)

職場に着くまでには、4つの小学校の通学路を通ります。コロナ禍のためか、登校班で行動するのではなく、それぞれが友達や一人で登校している様子を見ながら通勤しています。

今回、何かを感じてもらいたいと思い二つの出来事を紹介します。

エピソード①

小学2年生くらいの女の子が、歩道橋を下り終わった付近で転んでしまいました。

信号が赤で停まっていた私は、その場面をハラハラしながら見ていました。むしろ、見ている事しかできなかったのだと思います。

少し前を歩いていた56年生くらいの生徒3名が女の子の傍に戻り、なにやら声をかけながら女の子が立ち上がるのを待っていました。

女の子が立ち上がると、1人の子はしゃがみ、膝に付いたのであろう石を払ってあげ、もう2人の子は、怪我をしてないか体の様子を確認していました。

転んだ女の子は泣いていたのですが、上級生の生徒と一緒に歩いているうちに涙も止まったようです。

私は、「下級生に寄り添った生徒さんが分かれば、良いことをしたと伝えて欲しい」と、その様子を学校へ伝えさせていただきました。

エピソード②

春。

小学1年生が自分の体と同じ程のランドセルを背負い登校している様子は、私には嬉しい季節です。

ある日、靴紐を結いなおしているのか、それとも違うのか。男の子が背を曲げていたところ、ランドセルから教科書やら筆箱やらが歩道へ。

すぐ後ろを歩いていた上級生が、落ちた教科書や筆箱を拾いランドセルへ戻していました。もちろん、ランドセルのロックもしてくれたのでしょう。

その後、男の子は友達のもとへ走っていきました。

(皆がそうでないかもしれませんが)こども達は、仲間や自分より弱い存在、困っているであろう人を助けたり、気にかけたりすることが自然とできてしまう。 とても大切なことだと私は思います。

つい先日、酔って自転車と一緒に歩道へ寝転がる成人男性に出会った時、近くを歩いていた人(数名の大人)は立ち止まる事はありませんでした。

なぜだろう?

「大人は子どもの見本(手本)となるべき」と聞く事が多いが、見本にも手本にもなっていない事が多いと私は感じています。コロナ禍での過ごし方でも、よく「もう、我慢の限界」などと、タガの外れた様子で大人がテレビのインタビューに答えているが、こども達は、多くのイベント(運動会、今まで通りの卒業式、遠足、修学旅行など)や楽しみを諦めたり我慢しています。大人の言うことも良く聞いていると思います。時に間違った判断であっても、大人であれば、それを違うと従わない行動もできます。しかし、こども達はそれに従い行動することが在ります。

だからこそ、私も襟を正し行動せねばと地域のこども達を見て思いました。

この記事を書いた人

大澤 健二(支援課長) 支援課長
大澤 健二

北の国からの黒板五郎にあこがれて20年。外見はクールに見えて、実は熱すぎる情熱の持ち主。障害福祉にとどまらず、児童養護施設や重心施設、そして八百屋さんまでと異色の経歴の持ち主。