日記
アートスペースわかくさの施設長・課長日記
「なんくるないさ~」 (よし介工芸館・アートスペースわかくさ / 課長 儀保 治男)
新年度を迎えるにあたって、皆さんいろいろな準備で忙しくしているかと思います。忙しくなると、人はどうしても「ゆとり」がなくなり、声や表情に出てしまいがちです。
私はそんなときに自分に言い聞かせる言葉があります。
「なんくるないさ~」です。
知っている方もいるかと思いますが、沖縄の言葉で、「きっと、何とかなるよ!」という意味合いをもっています。
なんだか、適当な感じを受けますが、この言葉は、「まくとぅ そーけー なんくるないさ」という定型文からきた言葉だそうです。「まくとぅ」とは、「真(まこと)」の意味です。
「真(まくとぅ)そーけーなんくるないさ」="(人として)正しい行いをしていれば、自然と(あるべきように)なるものだ。"
つまり、"正しい道を歩む努力すれば、いつかきっと報われて良い日がやってくる。"という意味です。
物事は、上手くいくときと、上手くいかないときの繰り返しです。でも、しっかりと自分を信じて前に進んで行くことが大切です。
年度末で慌ただしい中で、ゆとりを失いかけた自分に、時には周囲の仲間に伝えてみてはいかがでしょうか。
"2023年度も、なんくるないさ~!"
「今帰仁城址の桜」
「本部町フクギのトンネル」
「瀬底島の海」
『あっと!』 (よし介工芸館・アートスペースわかくさ 課長/儀保 治男)
藤沢育成会の機関紙『moderato(モデラート)』の表紙は、『あっと!』という企画で毎回利用者の感性で表紙を飾っています。
『あっと!』は、2012年4月発刊の52号からスタートしました。"日常の中で見つけたアート"という視点で、法人内事業所で発見したことやモノを"見方を変えてみる"ことで、"アート"に変わる、また"あっ!"とするようなモノに変わるということを伝えたく企画しました。
『あっと!』もスタートして約10年。これまで様々な『あっと!』を紹介してきました。段ボールをちぎっただけの作品?が作業場の一角に普通に置かれていたり、何気なくちぎった紙を細長く丸めてみたり、ハンドタオルを手で無造作にまとめたものがペンギンに見えたりと、多くの『あっと!』に出会えました。
これからも感性豊かに、利用者の日常にアンテナを張って、あっと!驚くアートを発信していきたいと思います。
ワイン祭①
ワイン祭②
(ワイン祭①・②写真)
昨年11月に3年ぶりに開催された"ココ・ファーム・ワイナリー収穫祭2022"に行ってきました。
「ジャンプ」 (よし介工芸館・アートスペースわかくさ・湘南あおぞら /施設長 伏見 康一)
11月半ばより湘南あおぞらの共同施設長を兼務することとなりました。遅くなりましたがこの場を借りてご報告させて頂きます。よろしくお願い致します。
「忙しくなって大変ですね」などお気遣いの声をかけて頂くこともありとてもこころ強く感じております。お心づかいに感謝致します。仕事の量や移動時間は増えておりますが、負担感はありません。ようやく自分の身の丈をわきまえてきたのだと自負する一方で慢心だけはすまいと自省していきます。
どこかで、「スキーのジャンプ競技では追い風だけではなく適度な向かい風がある方が遠くまで飛べる」との説を聞いたことがあります。しなやかで力強く微動だにしないあの滑空姿勢を少しでも参考にしたいと思い描いています。
いよいよ年末となりました。本年中は大変お世話になりました。来年も引き続きよろしくお願い致します。
「ナビゲーターVS野生の勘」(よし介工芸館・アートスペースわかくさ/施設長 伏見康一)
お盆を過ぎ猛暑もようやく峠を越えてきた。今年から山歩きを始めたが猛暑の時期はさすがに断念。その代わりにドライブに行った。ただ山道運転は苦手なのでドライブの行先は海。自然に帰る喜びを体で感じている。いよいよ山や海、自然から受けるエネルギーにはずっと縋っていこうと思う。
車の運転、今はアプリが最新経路で行先案内してくれる。ついつい重宝してしまい、行き進むと凄く狭い道になったり、信号なし交差点を右折、などと案内され戸惑うこともあり、気持ちの余裕と事前の備えの必要性は常々痛感している。
ナビゲーションは参考程度、自分の感覚と野生の勘を鈍麻させないようと意識していきたい。
先日、自宅からわかくさまでの道のりを検索してみたら東名高速利用を案内された。これもまた時代の流れなのだと感じた。
(写真)先日ドライブで行った三浦半島の「剣崎灯台」
「命どぅ宝」(ぬちどぅたから) ( よし介工芸館・アートスペースわかくさ / 課長 儀保 治男 )
最近、ネットやテレビで「沖縄」の話を数多く目にしたり、耳にしたりします。2022年5月15日は、沖縄が本土復帰をしてから50年という節目を迎えるからです。
沖縄生れの私は、戦争を知らない世代で、復帰の2年前に生まれました。本土復帰してからの私が記憶に残っている事柄は、いろいろとあります。
① 1975年(昭和50年)沖縄国際海洋博覧会:海の上に浮かぶ「アクアポリス」がとても印象的で、良く家族で出かけて様々なパビリオンに行き、ワクワクしていたことを今でも覚えています。
② 1978年(昭和53年)730(ナナサンマル):この年の7月までは、沖縄の車は、右側通行でした。しかし、日本も加盟する「道路交通に関する国際条約」の「一国一交通方法」に伴い、自動車の通行方法の変更が行われました。当時、小学生だった私は、学校に「車は左、人は右 730(ナナサンマル)」というキャッチフレーズのポスターが校内や町中に貼られていたことを思い出します。
③ 1992年(平成4年)首里城正殿復元、首里城公園開園:沖縄に住んでいた頃、なかなか足を運びませんでしたが、10年程経ってから1度訪れた記憶があります。この首里城正殿復元で翌年(1993年)にNHK大河ドラマ「琉球の風」が放映されました。私は、首里城ではなく、沖縄の中部にある読谷村に出来たオープンセットにたまたま仕事で招待を受け、出演者の方と一緒に敷地内を歩き、近くに芸能人の東山紀之さんが居て、少しだけ話しかけられ、とても緊張をした思い出があります。
④2000年(平成12年)九州・沖縄サミット開催:この時に、「2千円札」の発行がありました。時々沖縄に帰ると買い物の際、お釣りで2千円札を頂くこともありました。
⑤2002年(平成14年)沖縄美ら海水族館開園:沖縄国際海洋博覧会跡地の海洋博公園にオープンした水族館。何度も足を運び、巨大な水槽に佇むジンベイザメはとても圧巻でした。
⑥2003年(平成15年)沖縄都市モノレール開通:通称「ゆいレール」。鉄道の無い沖縄にこの年、モノレールが開通しました。当時、那覇空港までのアクセスは、車しかなかったので、とても便利になりました。
その他、小さな県ですが、本当にいろいろなことがありました。
小さな島国の「沖縄」。戦争による苦しい体験もありますが、県民の皆さんは常に前を向き、「沖縄」を盛り上げて来ました。辛い過去を背負いながらも「生きる」ために沖縄の発展のために苦労をしてきた先代の方々に敬意を表し、自分が出来ることは何かを考えています。
私は、戦争を体験していませんが、小学生の頃から学校の授業で「平和学習」があり、当時の写真や映像を視て「平和」について学び、時には「ガマ」といわれる自然の防空壕に見学に行き、戦争を体験した方々からの話を聞く機会もありました。そういう間接的な関りからも、やはりどんな理由があっても「戦争」はいけないと思いました。
終戦から77年が経ちます。
ある人が言ってました。「戦争で得るものは、勝っても負けても大切な人(命)が亡くなったという悲しみしか残らない・・・」と。
タイトルにある「命どぅ宝」(ぬちどぅたから)は、「人の命は何ものにも代えられない大切なものである。」という意味のウチナーグチ(沖縄の方言)です。
大切なものは何か。大切なものは「命」である。その「命」は、失うと二度と戻ってこない。今を生きる私は、沖縄の復帰50年の節目で、改めて「命」の尊さについて考えていきたいと思います。
我が家の愛猫の「ワガ」(左)と「コデ」(右)です。
「心身を大切にする」(よし介工芸館・アートスペースわかくさ / 施設長 伏見康一)
今年度からよし介工芸館とアートスペースわかくさに着任することとなりました。久しぶりに戻って参りました。あらためてよろしくお願い致します。
最近は、年度の変わり目でも配属の変わり目でも、やることの中に常にコロナ対策があります。この3年、目先の取り組みに専念せざるを得ない事もある一方でずっと先を見据えるフォーカスの合わせ方を自問してきました。同時に時の流れを感じる事もできました。コロナ前、そしてもっと前。時の移ろいやうねりとともに、時は経っても変わらないものを見つめ直すこともできました。
今年度の私的なテーマは「心身を大切にする」。年を重ねいよいよ生活習慣を自制しなくていけなくなりました。せめて楽しく健康維持に取り組もうと思い、山歩きにチャレンジしようと思っています。ただ形から入るタチなので道具ばかりが揃ってしまいますが。
写真:近くの公園で練習中です