日記

湘南あおぞらの施設長・課長日記

第53回『言葉はコミュニケーションにとって万能の道具か?』

湘南あおぞら

孫引きになるが、生物学者のマーク・パーゲルによれば「世界中で最も多くの言語を抱える地域は、人口密度の高い地域」と言うことである。

 「パプアニューギニアに行くと、一つの島の中で八〇〇から一〇〇〇という数の異なる自然言語を見つけることができます。~中略~どうやら言語の使用目的は、協力だけにとどまらず、集団の輪を作り出したり、アイデンティティの確立と自分たちの情報・知枝・技術の盗用保護をしたりと多岐にわたります。」とも言っている。

 人口密度が高くなると言語の数が増えるというのは、単一言語圏に暮らす我々にとっては矛盾することのように感じる。どうやら言葉というものは情報の伝達に役立っているだけではないと言うことがわかる。

外国人と仲良くなりたいと思ってその国の言葉を学ぶ気持ちと、一つの共同体(集団)が形成されると逆に村八分と言う排除の論理が働いて、そこから言葉が細分化するように働くと言うのは、よく考えてみれば言語の方には罪はなくて人の心の方に問題があるのだろう。

そう言えば、専門用語や業界用語というのもその特定の業種でしか通じないし、若者の言葉などは今の私には聞いていてもさっぱりわからない。言葉はコミュニケーションを良くする手段だけに使われるのではなくそれを阻害する働きもあると言うことらしい。

 人間というものが、相当、厄介な生き物に思えて来た。

「星に願いを」 (湘南セシリア・みらい社 施設長 石塚 和美)

みらい社
湘南あおぞら

2020年、コロナ禍で生活が一変しました。休校、外出の自粛。いつもと違う日常にとまどう1年でした。その中で、コロナ対策をしながら何ができるか。仕事でも、日常の生活でも「できない」ことより、「今この環境でできること」を考えて行動した一年だったと思います。

 職場では、感染対策を徹底し、支援の中で利用者が楽しめる企画や、従来どおりの活動をどのようにしたらおこなえるか、工夫とアイデアを凝らし実行してきました。

 私生活でも、大好きな音楽をいかに楽しむか。月に一度はライブへ行っていたあの頃。コロナの中で、イベントやライブ・演奏会が次々と中止となる中、演者もライブを楽しみにしていた人たちも不安な中で過ごしました。そして、「時間が過ぎるのを待つ」のではなく、「今、何ができるのか」。たくさんの演者が配信という方法で発信してくれました。あたり前だった音楽を聴くということが、新鮮で感謝の気持ちで聴く日々。音楽だけではなく、絵本の読み聞かせや詩の朗読なども、そこにはいないけれど同じ時間を共有している人たちがいることを感じる時間がもてました。

 昨年から、自転車通勤となり、風や季節を感じることも多くなりました。この頃は、満月が時期により「スーパームーン」と呼ばれ、季節により呼び名も変わるくらい注目されています。流星群もよく報道されるようになりました。仕事の帰り道は、夜空を見ながら今日一日の反省や楽しかったころを思う時間でもあります。

 この原稿を書いているのは7月7日。七夕。我が家には七夕飾りは飾っていませんが、空を見上げて願いを唱えました。七夕の日、あなたは何を願いましたか。

「気配り・心配り・感謝」(湘南あおぞら 課長 石川大助)

湘南あおぞら

「日本文化のすばらしいところ10選」という言葉をクリックした。

・礼儀正しい

・きちんと列を作って並ぶ

・電車の地下鉄が時間どおりにくる

・おもてなしの文化が隅々まで行き届いている

・チップの習慣がない

・治安が抜群に良い

・自動販売機がいたるところにある

・ウオシュレット付きの清潔なトイレ

・学校は生徒たち自身で掃除する

・落とし物・忘れものをしても後日みつかることがある

現代日本で生活している中ではごく当たり前に感じる事ばかりだ。

また、別な言葉をみつけクリックした。

「海外で不思議がられる、日本人ぽい仕草や考え方8選」

・いろんな場面で軽く会釈

・何かと小さく拍手

・横断歩道で車が譲ってくれたら小走り

・食べる前に小声で「いただきます」

・電車やバスでのスマホはメッセージのみ

・駅で乗車順の列を探す

・小雨でも傘をさす

・すぐにノーと言いづらい

思わず『へえ~』となるほど自然にしている行動だ。

育った環境が違えば考え方も違うし行動も違う。ごく当たり前のことだ。

場所や相手によって見え方や感じ方も異なる。自分にとっては当たり前な事も、相手にとっては当たり前ではない事もある。

コロナ渦の今だからこそ大事にしたいのは、相手、周りへの「気配りや心配り、感謝」だ。言うは易く行うは難し、まだまだ途中な事ばかりだ、、、。

気配りとは全く話が違うが、この季節に楽しみにしている事がある。

田植え直前の水のはった田んぼに夜の空模様が映り込む景色だ。風も穏やかで月が映り込むと最高だが、空が映るだけでもとなんとも言えない幻想的な風景になる。余計なのは蛙の大合唱も漏れなくついてくる事だ。

「パン工房 あゔにーる」はじまります(湘南セシリア、みらい社 /施設長 石塚 和美)

みらい社
湘南あおぞら

暖かな春の陽を感じながら、今年は例年よりも早い桜の開花となりました。

2020年度は、新型コロナウイルス感染予防対策を行いながら日常生活を送り、今年1月からの緊急事態宣言もようやく解除となり、ほっとした気持ちと同時に引き締まった思いで桜の花を見上げています。

藤沢育成会で唯一の就労支援事業所の「みらい社」。主に軽作業や施設外就労をおこなってきましたが、新しい作業としてパンの製造販売を始めることとなりました。一昨年度より計画していたパン工房。工賃アップや地域との繋がりを目的として、昨年よりパン製造販売事業を行うための具体的な販売計画をたててきました。1月よりみらい社の第2工場をパン工房にするための改修工事が始まり、3月中旬にオーブンなど機材の搬入も終わりました。4月のパン工房オープンにむけて、利用者・職員ともにパン作りの練習を行ってきました。

パン袋詰め.jpg

お店の名前は「パン工房 あゔにーる」。フランス語で「みらい」という意味です。新しい作業としてのパンづくりに取り組む利用者の真剣な顔、パンの焼きあがった時のうれしそうな顔。焼きたてのパンをたくさんの人に食べていただけるように、利用者・職員一丸となって取り組んでいきます。販売先は、みらい社、藤沢市役所分庁舎などです(詳しくはHP参照ください)。是非みなさんも焼きたてパンを買いに来てください。

「第51回 東日本大震災から10年」(湘南あおぞら 施設長 倉重 達也)

湘南あおぞら

先週の木曜日、311日は東日本大震災から10年の節目の日でした。二万人以上の死者・行方不明者を出したこの災害は、震源地からは遠い藤沢で経験した私にとっても、走行中の道路が大きく揺れるなど、記憶にはまだ生々しいものがあります。テレビで見た津波に飲み込まれる街の映像はこれが現実のものなのかと疑ったりもしました。

 それから10年経った2021年は、新型コロナウイルス感染症の影響かあるいは未だに傷の癒えない被災地の状況を配慮してからなのか、報道の内容に表現を抑えたというか、重厚な感じを与えるものが多かった気がします。

 

 当然のことながら震災直後は津波の映像や倒壊した建物などの被害状況に関する報道が次々とされましたが、この10年の間に、被災者の忘れてはいけないと言う思いと、忘れたいと言う気持ちの二つの葛藤が、地道に取材を重ねている報道する側にも微妙な影響を与え、その伝える内容に変化をもたらしたのかも知れません。

 あるいは、この10年間に他にも熊本地震や広島の土砂災害、御岳山の噴火などの様々な自然災害があり、東日本大震災の被災者が当事者から第三者、あるいは支援者へと変わったり、また当事者に戻ったりと時の流れの中で他者との関係性が様々に変化し、地層のようにその想いが堆積して来たことが表れたのかも知れません。より被災者の気持ちに寄り添った、そして年輪を重ねてきた一人ひとりの気持ちの変化が報道に深さと広がりを持たせたのだと思います。

 交通インフラがほぼ震災前の水準に戻り、防波堤、護岸整備も7割が完成したと言っても、子どもや親、兄弟を亡くした人の悲しみは癒えることがありません。

 大勢の人が少しずつ、その人のできる範囲で被災者に寄り添い、時を積み重ねながら、それも何十年、何百年単位で関わりながら、やっとあたりまえの日常に戻るのでしょう。

以上

私にとっての栄養ドリンク的な一曲(湘南あおぞら 課長 石川 大助)

湘南あおぞら

先日見ていたテレビ番組で、年代別 に「あなたにとって〇〇の曲は?」といくつかテーマを挙げて街頭インタビューをしてランキングを付けていく番組があった。

すぐ思いついたのが、秦基博の「グッバイ・アイザック」だ。

2013年にリリースされた曲で、テレビアニメのエンディング曲にも使用されていた。

テンポよいリズムにのって前向きな歌詞が流れて、覚えやすい言葉が耳に残り聴いているうちに口ずさんでしまう。

『描いているほど現実はうまくいかなくても そう 

誰だって がんばっているから もどかしくなる』

1回きりだろって 奮い立たせ 突き抜けろ 今』

『積み上げた昨日に きっと 嘘はないから』

この曲を聴いていると、今は明日へ、明日は次へ、その次へとつながって、今が自分自身をつくっているのだと思わせてくれる。今この時の失敗も自分の成長で、いつか役に立つと踏ん張らせてくれる。

詰まった心にちょっとしたゆとりの隙間が空くと、私の中の「ほっこりアンテナ」が立ち、小さな事柄にもほっこりできる自分を取り戻せる、私にとっての栄養ドリンク的な一曲。

このほっこりアンテナが利用者のなにげないいつもの行動に、ちょっと違った気づきを加えてくれる役に立つことも、、、。

いつものあいさつも今日もできたと思わせてくれたり、すれ違う姿に安堵したりと当たり前に見える事は、当たり前ではなく大切な事だと思わせてくれる。

今、社会全体を見渡せば一層大事さを感じますね。