日記
サービスセンターぱるの施設長・課長日記
【波多江式インディアン的福祉論!? ⑲】 ( サービスセンターぱる・湘南ジョイフル / 所長 波多江 努 )
作者不詳のインディアンの言葉に
「分かち合うことが出来れば、悲しみは半分に、喜びは2倍になります。」
というものがあります。
この言葉は、人に寄り添うことの本質が表現されていると思います。
皆さんにも悲しみや悩みや苦しみを半分にしてもらえる人がいますよね。
嬉しいことや楽しいことを倍にしてもらえる人がいますよね。
それは、家族や友人、仕事の仲間かもしれません。
また、利用者と支援者という関係かもしれません。
できごとによって、分かち合いたい人が異なる場合もあります。
知っておいてほしいのは、
あなたの悲しみを半分にするために
あなたの喜びを倍にするために
私たちが存在しているのです。
ちょっと、カッコつけてしまったので、
「(私の将来の夢)インディアンになる」ための修行も倍になったかもしれません...(笑)
「小人の靴屋」 (サービスセンターぱる / 所長・事務局長 石川 歩 )
オミクロン株の流行が収まりません。法人内でも多くの事業所がクラスターとなり、利用者、ご家族のみなさま、関係者の方々にご心配をおかけしております。可能な限り感染拡大を防ぎ、一日でも早く終息を迎えられるよう、事業所間でも連携を図りながら努力してまいりたく存じます。
さて、話は変わりますが、今年度藤沢育成会事務局では、パソコン操作に明るい職員が中心となり、試行的にRPAの導入を行っています。
RPAとは、ロボティック・プロセス・オートメーション(Robotic Process Automation)の略になります。人の手で行っていた業務や工程について、ロボットに業務をやってもらうことをいいます。まるでグリム兄弟の童話にある「小人の靴屋」が実現したかのような技術です。
現在、会計業務の一部をこのRPAを活用して自動化しています。まだまだ試行段階ではありますが、実際に自動で動いているパソコン画面を見ていると、感心すると同時にいつかコンピューターに仕事を取られてしまうのではという焦りを覚えます。
実際に使ってみた感覚では、RPAはデータを別のシートに書き写したり、単純な作業を繰り返したりするのが得意なようです。反対にパターンや条件付けが複雑で変化するものはまだまだ人間の手が必要に感じます。
上手く最新技術を生かしつつ、職員の働き方改革に繋げていき、結果として支援の充実に繋げていきたいと考えています。
写真は文章とは全く関連がありませんが、2022年2月22日は鎌倉時代以来800年ぶりに2が6つも付く日、とのことで今までも時々登場している我が家のネコの写真になります。
「2022年の抱負」 ( サービスセンターぱる / 課長 鈴木 保志 )
新年あけましておめでとうございます。
さて、12月に受けた健康診断の結果が、新年早々に事業所に届き思わずため息をつく。私にとっては日々の生活における通信簿のようなものだ。苦手な科目がありいつも成績が悪い。いつものことだからと毎年放置をし、いざとなれば控えめにすればよい、そのくらいに考えていた。
しかしながら本当に「酒」が好きだ・・
健康診断での受診時、医師が昨年の検査結果に対し、悪化した場合の経過を事務的に説明していた。淡々と感情のこもっていない口調に何とも不安を覚える。
考えてみると、休日の過ごし方や平日の帰宅後の余暇、あらゆる場面を「酒」に牛耳られている。この機会をプラスにとらえ、通院し考えを改めたいと思うきっかけとしたい。
10年程前にも同様に内科通院したことがあり「あなたのような人は100か0しかない。」と言われたことがある。100も0も嫌なので、今回は相談して折り合いがつけられる病院に行きたいと思う。そして、今年こそお酒と上手く付き合っていきたい。
波多江式インディアン的福祉論!? ⑰ (サービスセンターぱる ・ 湘南ゆうき村 / 副所長 波多江 努)
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去って行った。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちあふれている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
私がインディアンを好きになったきっかけの詩です。初めて読んだときは、特に心の動きはなく、「死ぬのにもってこいの日」という言葉に引っ掛かりを感じていただけでした。(また、私の余命が残り少ないとか、人生の岐路に立たされているとか、そういうことは一切ありません。)
自然と共に生き、自分も環境の一部であることや周囲のものに敬いを持ち、今日の自分は周りのおかげと感謝することの大切さを理解しました。
そして亡き父や兄、特別な友人、仕事を通じて知り合った方々、その人たちの「生きざま」から「死ぬことは相手の心に生きること」ということも教わりました。
多くの出来事から学ませてもらった今だからこそ、この詩の魅力が何となくわかる気がするのです。
繰り返しになりますが、また、私の余命が残り少ないとか、人生の岐路に立たされているとか、そういうことは一切ありません。
友人からの注文を受け、久々に長財布を作りました。
踏み出す勇気 ( サービスセンターぱる 所長 / 事務局長 石川 歩 )
新型コロナウイルスもだいぶ落ち着いてきましたが、まだまだ自粛が必要な状況ですね。
自粛で増えた「おうち時間」を楽しむ意味もあり、先日、自分の誕生日に電気圧力鍋を購入してもらい、週末の食事作りに活用しています。
これがとても便利で、基本的には食材を切って入れてスイッチを押すだけ。火加減の調節も時間の管理も不要になり、家事の負担軽減につながりました。
事務局長を務めておりパソコン等機械関係の扱いを担当していることから、先進技術好きな印象を持たれがちですが、実は私は頭が固く楽をすることを後ろめたく感じるところもあり、こういった便利家電のようなものを避けていました。
いざ使ってみると多くが便利で心地よく、私に足りなかったのは一歩を踏み出す勇気だったのだなと実感しています。最近ではドラム式洗濯機やBluetooth機器など、コロナ下で過ごす時間が増えた室内の充実を図っています。
福祉事業所でもPC関連の技術導入のみならず、ロボットの活用やICT化なども推奨されるようになってきました。
新しい試みを怖がらず、必要なものを必要な場所で活用出来るよう、頭を柔らかくして検討していきたいものです。
「課長日記」 (サービスセンターぱる 支援課長 鈴木 保志)
法人広報委員会から課長日記の掲載依頼案内があり、もうそんな時期?と驚く。いつもそうだ、他の業務同様に仕事の意識、段取りに問題があることは言うまでもない。
さて、何を書こうかと毎回部屋の中を眺め、視界に入るものからイメージを膨らませている。これも意識、段取りに問題ありか。「さて書くぞ、何を書くか・・」と酒の肴に考え始めると、もうどうでもよくなってくる。
文章がとても苦手だった小学生の頃(今もそうだが・・)、父親が私の読書感想文を読み「あらすじ」は感想文ではないことを指摘していたことを覚えている。何を言っているのか当時は分からなかったが、確かにあらすじを書いていた。「感想」ではなく「あらすじ」の為、読むと本の内容が大方理解できる。指定の文字数に到達出来そうにない時、終盤は詳細が記されたあらすじとなる。
日記、作文、論文、感想文・・さまざまあるが、そもそもこの文章は日記として成立しているのか?この機会に整理しておこうと思う。