日記
相談支援プラザの施設長・課長日記
まちのいんくるひろば(相談支援プラザ・よし介工芸館・アートスペースわかくさ 施設長 小野田智司)
ここ数年、健康診断の結果をきっかけに、
退勤後のジョギングを続けています。
夏の夕方、まだ日が高く、
まちはやわらかな光に包まれています。
コースもだいたい決まってきて、
同じ時間に、同じ場所を、同じ格好で、
タッタカタッタカと走っています。
そうしているうちに、
すれ違う同じジョギングする人、
犬の散歩をするグループ、
おしゃべりしながら歩く人たちなど、
"いつもの顔ぶれ"が見られるようになりました。
自然と「こんにちは~」と挨拶を交わすことも増えていきます。
そんなある日、お休みの日に散歩をしていて、
公園のベンチで休んでいると、
「こんにちは~」と声をかけられました。
一瞬どなたかな?と思いましたが、
いつもの"おしゃべり散歩"の女性のおひとりでした。
少しの時間、ベンチでおしゃべりをして過ごしました。
ふと、『ひろばって、いいな』と思いました。
誰かが計画したわけでも、誰かの持ち物でもない。
ただ、人がそこに集い、関わり、また離れていく......
その繰り返しのなかに、まちの"息づかい"のようなものを感じました。
藤沢育成会が今取り組んでいる「まちのいんくるひろば」も、
そんな"まちの呼吸"を感じられる場所にしたいと思っています。
福祉のイベントというよりも、
誰もが自分らしくいられる「まちのなかの居場所」に。
声をかける人、
話を聴く人、
ボール遊びをする子どもたち、
空を見上げて写真を撮る人、
楽器を練習している人、
ただ通りすぎる人。
すべての人が、ひろばを形づくる大切な"主人公"です。
福祉の世界では、
「支援する人」「支援を受ける人」と区分して語られがちですが、
「ひろば」には、そうした境界がありません。
立ち止まった人が誰であっても、
そこに"関係"が生まれる。
そんな場を、まちのなかに少しずつ増やしていけたらと思います。
いま開催中の「まちのいんくるひろば」にも、
この公園のように、
たくさんの笑い声と笑顔が交わる時間が
生まれたらうれしいです。
~あのね~(相談支援プラザ 課長 一戸香織)
先日、実家に帰省した際のことです。
ふと引き出しの中を整理していたら、懐かしいノートが見つかりました。
表紙には「あのね」と書かれていました。
それは、小学2年生の頃に担任の先生と続けていた交換日記でした。
ページをめくると、当時の自分が毎日の出来事を一生懸命に言葉にしている姿が蘇ってきました。
学校であった楽しいことや少し悲しかったこと、家族とのちょっとした会話まで素直な気持ちで綴られていました。
思い出してみると、毎朝先生が教室に来ると、私は「あのね先生」と声をかけていました。クラスのみんなも話したいことがたくさんあり、自然と先生の周りには人だかりができていました。
そんなある日、先生が「話したいことがあれば、ノートに書いてごらん」と言ってくれたことをきっかけに、交換日記が始まりました。
私だけでなく、クラスのみんなも先生と日記を交わすようになり、それぞれが思い思いのことを書いていました。
日記には、「おばあちゃんがお菓子をもらってきて、あゆみと食べました」といった内容もありました。おばあちゃんは、老人会などの集まりに出かけると、お菓子を食べずに家に持ち帰り、私や妹たちに分けてくれました。
明治時代に生まれたおばあちゃんの優しさと心遣いは、今でも私の心に深く残っています。
おばあちゃんが忘れ物を持ってきてくれたときのことも書かれていました。
「おばあちゃんが忘れ物を持ってきてくれました。うれしかったです」と記されていました。
足が悪いのに一生懸命に歩いて、そっと下駄箱に入れてくれてありました。
おばあちゃんの歩く姿は今でも鮮明に心に残っています。
言葉にするのが難しかったことも、ノートには素直に書けたように思います。
先生は、どんな日も返事を書いてくれていました。
たとえ短い言葉でも「ちゃんと読んでくれている」と伝わる温かいひとことが書いてありました。
今、大人になって振り返ると、あの頃の自分はとても正直でした。
感じたことをそのまま言葉にして、飾り気のない素直な気持ちを書いていたのです。
しかし、大人になると、言いたいことをそのまま伝えることが難しくなってきました。空気を読んだり、言葉を選んだり、本音を飲み込むことも増えました。
誰でも「聞いてほしい」と思う気持ちを持ち続けているのかもしれません。
「聞いてもらえた」と感じられるだけで、心が少し軽くなることもあります。
あの頃の素直さを思い出させてくれた日記。
日記は、私にとって大切な宝物となりました。
50年(相談支援プラザ・よし介工芸館・アートスペースわかくさ 施設長 小野田智司)
先日、両親の金婚式のお祝いを
家族が集まり行いました。
50年......
80代の父と70代の母
結婚当初は
30代の父と20代の母
50年.
月で云えば「600か月」
日で云えば「18,262日」
そんな長い年月の中で
きっと"喜怒哀楽"様々なことがあったのだと思います。
子どもを育てるながら
単身赴任があったり
大きな病気や怪我をしたり
祖父母の介護に向き合い
今では孫の世話もしてくれています。
父と母、それぞれにとっての
"主人公"となるエピソードがいくつもありました。
そのエピソードを皆できいて
大笑いしたり、ちょっとセンチメンタルになったり...
とてもあたたかいすてきなお祝いの場となりました。
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そして......
藤沢育成会も50年に向かって歩んでいます。
法人の前身である
地域作業所「星の村共同作業所」を開設されたのは、1978年。
今年で47年が経ちました。
もう少しですね。
今では「当たり前」と思える日常も、
制度の変遷の中で本当に様変わりしました。
特に印象的なのは、
障害のある方が
"福祉の対象"から"権利の主体"へと
変化したことです。
昭和の終わり頃でも「保護されるべき存在」として見られており、
福祉は"受けるもの"という印象が強かったと思います。
令和の今、障害のある方は"一人の市民"として
「権利を主張する主体」として位置づけられ、
差別の禁止、合理的配慮の義務化、意思決定支援の推進など
法整備も進んでいます。
次の50年。
60か月、18,262日のその先に......
私たちの今の「当たり前」と思える日常も
どのように変化していくのでしょうか。
とても楽しみです。
■表紙の写真■
金婚式を行った父母の家
孫にあたる世代に飾り付けを
頑張ってもらいました。
半径5m(相談支援プラザ・よし介工芸館・アートスペースわかくさ 施設長 小野田智司)
2025年になりました。
本年もよろしくどうぞお願いいたします。
2024年度母校で開催された
公開講座に複数回参加しました。
卒業生だけでなく、一般の方も含めての講座です。
教授より、問題提起がなされたのちに
参加者がそれぞれ今の自分のことを話し、
参加者の皆で応じるように意見交換し
深く考える場となりました。
私は「半径5m」の話をしました。
いろいろな支援計画書や
いろいろな会議は大事だけれども
やはり大事なのは、その「人」の日常の様子です。
「半径5m」
触れられそうで触れられない距離。
少し広そうですが、その方の様子はよくわかる距離。
ちょっとした雑談、
ちょっとした行動、
その範囲のなかの職員さんや環境、
その「ちょっとした」ことが
半径5mをみることで見えてきます。
ほかの参加者からは
能登半島地震および豪雨災害への対応について
ただボランティアとして泥をかき出したり
物を運んだりするのではなく、
住まう人の想いに寄り添いつつ
何気ないお話をすることのほうが求められている
けれど、ずっとはいられない...
など苦悩していることを共有がありました。
ほかにも
津久井やまゆり事件の話、
成長に心配する子育ての話、
とある施設での話、
様々な話の共有がありましたが
多くの共有点は
やはりその人の想いを基本に考えるということでした。
「半径5m」
皆様もちょっと意識してみてください。
■表紙の写真■
実践報告会
テーマ「利用者本人が活躍できる居場所作り」
~社会モデルを意識した支援の実践~
今年も盛りだくさんの内容で
写真や映像資料を示しながらの報告もあり
書面では気づけないことを
たくさん学ぶことができました。
日常から地域の方々との
継続的なつながりが
いかに大事か。
基本的な挨拶を継続します(^^♪
~5年日記~ (相談支援プラザ 課長 一戸香織)
朝晩の涼しさとともに、秋の夜長が感じられる季節になってきました。
先日、86歳の利用者様のお宅を訪問した時のお話です。
「膝が痛かったので病院で手術したけど、正確な日付を思い出せないからちょっと確認しますね」
そう言ってリビングから"5年日記"と書かれた辞書みたいに厚いノートを持って来られました。
「こんなの見たことある」それは5年分の日記を1冊に書くことのできるノートでした。
32歳の時に次男が生まれ、生死をさまよう程の出来事があり、そのことがきっかけとなり日記を書き始めたそうです。
毎日書くことを心がけたそうですが、どうしても書けなかった時は、走り書きしたメモを見て思い出しながら日記をうめていったそうです。
テレビを観た感想、お金のやりくりが大変だったこと、自宅の庭に花が咲いていてとても嬉しかったこと、子どもの日々の成長が感じられたこと、その時の思い出や感情を記憶として残してきたものでした。
嬉しかった日には赤丸を付け、辛かった時に見返して頑張ってきたそうです。
誰にもその人の歴史があります。そしてこれからの未来もあります。
前向きに生活し、生きていくための糧として54年間、書き続けてきた日記。
私の生きてきた年月と同じくらい長く書き続けられた日記。
その方の歴史の長さを感じることが出来た時間でした。
心に残る手紙(相談支援プラザ・よし介工芸館・アートスペースわかくさ 所長 小野田智司)
先日とあるポッドキャストを聞いていると
思い出に残る手紙をテーマにした番組がありました。
その時に真っ先に思い出したのが
私、小野田の名前を知らないにも関わらず
サービスセンターぱるに届けてくださった手紙のことです。
当時、私はサービスセンターぱるで
現在の放課後等デイサービスを担当していました。
ご家族で市外へ転居されるとのことで...
「いつも元気に学校にお迎えに来ている
サンバイザーを付けたお兄さんに元気をもらっています。」
といった内容のお手紙でした。
私の名前もわからないのに
送ってくださったことには
ただただうれしい気持ちになりました。
そして
今もふとした時に思い出し
多少美化されているかなと思いますが
それも含め私の力の源になっているものです。
きっと皆さんにも思い出に残っている
お手紙やメールがあるかと思います。
そして皆さんが送った手紙やメールを
今も大事にしている人がいるはずです。
今日はちょっとだけ時間をつくり
思い出してみてはいかがでしょうか。
きっと今日の日が素敵な日になりますよ。
■表紙の写真■
近所の田んぼのお米です
新米のおいしい季節になりました。
