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施設長・課長日記
「通勤途中の顔見知り」(湘南ゆうき村・アポロ 課長 高橋羽苗)
もうずいぶん前ですが、ラーメン屋さんの店員さんを見て、知り合いだと思い「あ」と声をかけました。でも誰だったかな...相手は怪訝な顔。なんとなくあやふやにしてラーメンを食べて店を出たのですが、いつもと雰囲気も違ったなぁなどと考えていると、相手は毎日同じ電車に乗る女子高生で、相手の反応ももっともだなと後から苦笑いをしたことがあります。
毎日の通勤で、いつも同じ場所で会う人や、すれ違う人がいて、なんとなく顔見知りになってきます。いつもと違う場所で会うと今日はちょっと遅い...?と目安にしたり、相手が遅いと勝手に心配したりと、その人たちの生活や背景を想像しながら通勤しています。相手が、いつもと違う格好だったり、いつもと違う人といたりすると、妄想は広がるばかり...
そんな中でいつもだいたい同じ場所で私を抜き去る高校生がいます。端に寄るとなんとなく会釈をしてくれていたのですが、最近は小声で「ありがとうございまーす」と追い抜いていきます。
顔見知りとのちょっとした重なりを嬉しく感じました。
さて、最近通勤ルートを変えてみました。
「最近あの人いないな~」と思っている人がいるのか...?ちょっと気になるところです。
※写真は、湘南ゆうき村の屋上から通勤ルート越しに見える富士山。
「父からのエール」 (サービスセンターぱる 課長 鈴木保志)
この4月から中学生になった長女から「剣道部に入った。」との報告があった。普段、暇があればイラストやアニメのキャラクター等を描いており、文科系の部活に入部するのかと思っていた。剣道?・・「鬼滅の刃」の影響か?と話を聞いてみたところ、幕末の武士「新選組」の影響を受けたようだ。
小さいころから歴史に興味を示し、図書館で借りた本を読んでいるのは知っていた。クラスに何人かは歴史を好む、とりわけ「新選組」や「三国志」等に詳しい同級生はいたものだ。自分が学生時代に一貫して興味が持てなかった教科は日本史や世界史であり、過去を知る意味や楽しさを全く理解しようともしなかった。ましてや考古学などは意味不明としか言いようのない領域・・。当然、過去があり現在、未来があるので意味がないわけがないが、当時は興味など皆無であった。偉業を成した人物が存在していなかったら、今の世の中がどうなっていたかという視点を長女に投げかけられ「そうね・・」と少し恥ずかしいおもいで共感する父親。
何にせよ新選組の思想に感銘を受けたようだが、最終的には「刀がかっこいい!」でまとめていた。確かに格好いいが、練習は格好いいとはかけ離れ地味な体力づくりに終始しているようだ。
それにしても子どもの成長は著しく、目をそらすと変化に気づくこともできない。立てかけた竹刀からは誇らしい成長と、青春そのものが放たれている。
「がんばれ!」
『こども達から学ぶ』 (みらい社 課長 大澤 健二)
職場に着くまでには、4つの小学校の通学路を通ります。コロナ禍のためか、登校班で行動するのではなく、それぞれが友達や一人で登校している様子を見ながら通勤しています。
今回、何かを感じてもらいたいと思い二つの出来事を紹介します。
エピソード①
小学2年生くらいの女の子が、歩道橋を下り終わった付近で転んでしまいました。
信号が赤で停まっていた私は、その場面をハラハラしながら見ていました。むしろ、見ている事しかできなかったのだと思います。
少し前を歩いていた5、6年生くらいの生徒3名が女の子の傍に戻り、なにやら声をかけながら女の子が立ち上がるのを待っていました。
女の子が立ち上がると、1人の子はしゃがみ、膝に付いたのであろう石を払ってあげ、もう2人の子は、怪我をしてないか体の様子を確認していました。
転んだ女の子は泣いていたのですが、上級生の生徒と一緒に歩いているうちに涙も止まったようです。
私は、「下級生に寄り添った生徒さんが分かれば、良いことをしたと伝えて欲しい」と、その様子を学校へ伝えさせていただきました。
エピソード②
春。
小学1年生が自分の体と同じ程のランドセルを背負い登校している様子は、私には嬉しい季節です。
ある日、靴紐を結いなおしているのか、それとも違うのか。男の子が背を曲げていたところ、ランドセルから教科書やら筆箱やらが歩道へ。
すぐ後ろを歩いていた上級生が、落ちた教科書や筆箱を拾いランドセルへ戻していました。もちろん、ランドセルのロックもしてくれたのでしょう。
その後、男の子は友達のもとへ走っていきました。
(皆がそうでないかもしれませんが)こども達は、仲間や自分より弱い存在、困っているであろう人を助けたり、気にかけたりすることが自然とできてしまう。 とても大切なことだと私は思います。
つい先日、酔って自転車と一緒に歩道へ寝転がる成人男性に出会った時、近くを歩いていた人(数名の大人)は立ち止まる事はありませんでした。
なぜだろう?
「大人は子どもの見本(手本)となるべき」と聞く事が多いが、見本にも手本にもなっていない事が多いと私は感じています。コロナ禍での過ごし方でも、よく「もう、我慢の限界」などと、タガの外れた様子で大人がテレビのインタビューに答えているが、こども達は、多くのイベント(運動会、今まで通りの卒業式、遠足、修学旅行など)や楽しみを諦めたり我慢しています。大人の言うことも良く聞いていると思います。時に間違った判断であっても、大人であれば、それを違うと従わない行動もできます。しかし、こども達はそれに従い行動することが在ります。
だからこそ、私も襟を正し行動せねばと地域のこども達を見て思いました。
「気配り・心配り・感謝」(湘南あおぞら 課長 石川大助)
「日本文化のすばらしいところ10選」という言葉をクリックした。
・礼儀正しい
・きちんと列を作って並ぶ
・電車の地下鉄が時間どおりにくる
・おもてなしの文化が隅々まで行き届いている
・チップの習慣がない
・治安が抜群に良い
・自動販売機がいたるところにある
・ウオシュレット付きの清潔なトイレ
・学校は生徒たち自身で掃除する
・落とし物・忘れものをしても後日みつかることがある
現代日本で生活している中ではごく当たり前に感じる事ばかりだ。
また、別な言葉をみつけクリックした。
「海外で不思議がられる、日本人ぽい仕草や考え方8選」
・いろんな場面で軽く会釈
・何かと小さく拍手
・横断歩道で車が譲ってくれたら小走り
・食べる前に小声で「いただきます」
・電車やバスでのスマホはメッセージのみ
・駅で乗車順の列を探す
・小雨でも傘をさす
・すぐにノーと言いづらい
思わず『へえ~』となるほど自然にしている行動だ。
育った環境が違えば考え方も違うし行動も違う。ごく当たり前のことだ。
場所や相手によって見え方や感じ方も異なる。自分にとっては当たり前な事も、相手にとっては当たり前ではない事もある。
コロナ渦の今だからこそ大事にしたいのは、相手、周りへの「気配りや心配り、感謝」だ。言うは易く行うは難し、まだまだ途中な事ばかりだ、、、。
気配りとは全く話が違うが、この季節に楽しみにしている事がある。
田植え直前の水のはった田んぼに夜の空模様が映り込む景色だ。風も穏やかで月が映り込むと最高だが、空が映るだけでもとなんとも言えない幻想的な風景になる。余計なのは蛙の大合唱も漏れなくついてくる事だ。
〜山菜採り〜 (相談支援プラザ 課長 一戸香織)
新緑を迎えるこの初夏の季節、毎年楽しみにしている事があります。
それは、
実家の裏山をスタートし、
山々を巡りながら山菜採りをする事です。
ジャージに着替え、
ポケットにビニール袋を数枚入れ、
小さな鎌を腰に掛け、
長靴を履いたら、
私の山菜採りのスタートです。
蕨に薇、ウドに タラの芽、あけびの芽など を採ります。
小さな茎は来年の為に、
無理に採らずに、見極めながら大切に採っていきます。
無心になれる時間です。
雪解けを待ち、一斉に芽吹いた自然の強さを感じ、
残雪の冷たい風を感じながら歩く山々は、
昔から変わらない風景と時間です。
しかし、
県をまたぐ移動も含めた自粛生活の継続により、
山菜採りに行く機会が無くなってしまいました。
「 今年も無理だなぁ 」
そんな思いを感じていた時に、
宅急便で山菜が届きました。
自分で採りに行く事は叶いませんでしたが、
目で見て食べて味わう事が出来ました。
ご近所さんにもお裾分けできて、
日中は仕事で不在でも、山菜をきっかけに会話も弾みました。
実家の山々を思い出しながら、
高齢になりつつある両親の健在を感じ、
季節の山菜の美味しさとありがたさを感じた今年の初夏となりました。
過ぎゆく季節を意識したり、思い出したり、人との繋がりを感じたり、
そんなひとときのきっかけにもなりました。
# 今を感じる事の大切さを思った季節の山菜たち #
『今年は「窮すれば通ず」の精神で・・・』(湘南だいち/法人本部事務局 課長 宗像喜孝)
新年度を迎え、春から心機一転、社会人として新生活をスタートした人や異動があり新たな職場で働くことになった人など、気分を新たにされた人も多いではないでしょうか?自分自身、今年度は、昨年度に引き続き、湘南だいちの支援課長としての役割を任されたほか、新たに事務局の企画担当課長、さらに今年の10月に開所予定である新規生活介護事業の立ち上げを任されることになりました。4月より、法人の様々な事業について、横断的に携わる機会が増え、会議、打ち合わせ等々にせかせかと動きまわっています。
そんな最中、昔、自称(?):ハイパーメディアクリエイターこと高城氏がテレビのインタビューを受けていて、人間の「発想力」と「移動距離」の関係について、話をしている内容をふと思い出しました。「人は移動をすることで無意識に音や光の刺激等を受けていて、それが神経回路に影響していつもとは違う発想が生まれる。」「同じ場所にとどまっていては同じ発想しか生まれず、発想が変わらなければ行動も変わることはない。逆に言えば、意識的に移動して発想を広げられることができれば、行動が自然に変わってくる」といった内容だったと記憶しています。
若い時分、好きで海外に定期的に旅行に行っていた時の方が、確かに柔軟で発想力があって外界の見え方が違って見え、自分自身が面白い人間だったなと思い返しつつ、今はコロナ禍の状況もありますが、藤沢周辺しか行動せず行動範囲が狭いせいか、自分の思考が凝り固まりつつあるのかなと自覚することがあります。
ひとつのことを丁寧にコツコツと、石橋を叩いて渡るタイプの自分にとっては、4月から目まぐるしく仕事が舞い込んでくる状況にすでに四苦八苦していますが、今年は『窮すれば通ず』の精神で、倒れない程度に精力的に動き、広げた発想力を生かしながら仕事に取り組んでいきたいと思います。
(写真)「ステイホーム」の取り組みが奨励される中、ささやかですが家で家族に誕生日を祝ってもらいました。
