日記

施設長・課長日記

今年の夏は!( サービスセンターぱる・湘南ジョイフル / 課長 大澤 健二 )

サービスセンターぱる
湘南ジョイフル

こんにちは。サービスセンターぱるの大澤です。

前年度まで、みらい社でしたが、今年4月より、サービスセンターぱると、湘南ジョイフルの支援課長として働いています。

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さて、梅雨も早々に明け暑い日々が続いていますが、体調変わりないですか。

私は、暑いのが苦手ですが、なぜか今年は、今のところ耐えられています。

それは何故だろう・・。前々回の日記に、『健康第一は本当に大事だった』と、健康について触れた内容を書いたのですが、きっと、その効果の一つなのも知れないと思っています。

昨年の夏、仕事も休日も色々できなかった事がありました。今年の夏は、色々やれた!と、感じられる夏にしたいと思います。

皆さんは、どんな夏を描きますか?まずは、資本となるお身体ご自愛下さい。

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「帰省」 ( 湘南セシリア・みらい社 / 課長 鈴木 保志 )

みらい社
湘南セシリア

先日、父の葬儀で帰省をした。久しぶりに会った兄弟で、懐かしむように田舎道を歩いていたところ、弟が「あ、カミキリムシ。」と道端の死骸に気づき、すかさず兄が「20円か。」とつぶやく。地域限定の会話に思わず皆が笑う。

かみきり虫にもさまざま種類はあるだろうが、いつも目にしていたのは黒を基調として白い斑点の身体に、黒と白のカラフルで長い触覚、カミキリムシの由縁であろう口など、今考えるととてもグロテスクな、いわゆる害虫である。子どもの頃は「キーキー虫」と呼んでいたが、おそらくキーキーと鳴いているからだと思う。ミカン畑農家には悩みの種となる虫であるが、思い出深い虫でもある。

子どもの頃、一定期間だったと記憶しているが、その虫の両羽を駄菓子屋にもっていくと、20円と交換してくれる仕組みがあった。みかん畑に囲まれた環境で過ごしているため、探す手間もない。クワガタやカブトムシのようなありがたみはないが、学校が終わると一目散に宝の虫を目指したものである。近隣のおじさんは袋に羽をためこみ、シャカシャカと振って見せ嬉しそうに手渡してくれたものだ。農家にも子どもにもありがたい、地域性に富んだ仕組みである。

いつの間にか進学のため上京していなくなった姪や甥、そして父の死、否が応にも時間の経過を感じざるを得ない帰省となった。

毎年欠かさなかった「父の日」、最後のプレゼントを送ろうと思った。

『秘密基地はもう作れない・・・!?』   ( サービスセンターぱる・湘南ジョイフル / 副所長 宗像 喜孝 )

サービスセンターぱる
湘南ジョイフル

6月のジメジメとした梅雨時期の天候がどうしても好きになれない。気圧の関係か偏頭痛が続く日が多い、湿気で肌がべとついて一日不快感がある、悪天候の日が多いので外出が億劫になる・・・。天気に争っても仕方のないことだが、自分はやはりすっきりとした秋晴れを感じる季節が心地よいと感じる。コロナ禍における、いわゆる「おうち時間」の過ごし方について、この数年工夫を重ねてきたので、悪天候の日にはそういった経験をぜひ生かしていきたい。

さて、小学生の頃、近くに住む友人を集めて、よく周辺の空き地に「秘密基地」という名の集いの場を作るのが楽しかった。家の近くの裏山、工事現場、マンホールの下の空いたスペース等、その時々に流行る遊びに合わせて、コンセプトの違う秘密基地を作っていった。実家はマンションだったこともあり、ペットを家で飼うことが出来ず、野良猫やカメ、ザリガニ、モグラ(?)などを秘密基地に持ち込んでは、友人と持ち回りでエサを調達しながら、そこでこっそりペットとして飼うこともあった。また、秘密基地内のレイアウトにもこだわりがあり、粗大ごみ置き場に捨ててあったテレビや小さい冷蔵庫、ソファーやデスク、照明などを友人とせかせかと運び出し、もちろん電気は通っていないので使えることはできないが、運び出したものを並べながら、秘密基地の雰囲気を楽しんでいた。

自分の息子や娘の話を聞く限りでは、今の子どもたちはそんなことをしている子はいないらしい。そもそも秘密基地を作れるような空き地が見当たらないという。先日、息子から友人とバトミントンをしたいがやれる場所がない旨の話を聞いた。近くの駐車場やその辺の空き地でやれば良いではないかと言ったが、駐車場は車を止める場所なのでやってはいけない、そして「空き地」とはそもそもどこの場所を言うのか、という返答だった。子どもにとっての安全性や不法侵入や器物破損などの法的な問題など、起こり得る事故やケガ等のトラブルを想定して、大人も子どもも場所の意味を明確にしておくことは必要だが、遊び場のない現代の子どもにとっては窮屈に見え、杓子定規の効率的な考え方ではなく、もう少しゆるやかな認識があっても良いのではないかと思ってしまう。意味と意味の間には、グレーな部分が必ずあり、時にお互いの齟齬や摩擦を生んでしまうことがある。

今年度法人の目標にも掲げている『日常を"社会的スケール"で見つめ直す』にもつながる、「折り合い」のつけ方について考えさせられることがあった。

(写真)20209月愛甲郡清川村にて。早く気兼ねなくキャンプを楽しみたい・・・。

【波多江式インディアン的福祉論!? ⑲】 ( サービスセンターぱる・湘南ジョイフル / 所長 波多江 努 )

サービスセンターぱる
湘南ジョイフル

作者不詳のインディアンの言葉に

「分かち合うことが出来れば、悲しみは半分に、喜びは2倍になります。」

というものがあります。

この言葉は、人に寄り添うことの本質が表現されていると思います。

皆さんにも悲しみや悩みや苦しみを半分にしてもらえる人がいますよね。

嬉しいことや楽しいことを倍にしてもらえる人がいますよね。

それは、家族や友人、仕事の仲間かもしれません。

また、利用者と支援者という関係かもしれません。

できごとによって、分かち合いたい人が異なる場合もあります。

知っておいてほしいのは、

あなたの悲しみを半分にするために

あなたの喜びを倍にするために

私たちが存在しているのです。

ちょっと、カッコつけてしまったので、

「(私の将来の夢)インディアンになる」ための修行も倍になったかもしれません...(笑)

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「故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知る」 ( 湘南セシリア・みらい社 / 施設長 三嶌 悟 )

みらい社
湘南セシリア

4月に湘南セシリアとみらい社に異動して、2か月が経過しました。当初よりかは勝手がわかるようになり、ようやく地に足がついてきたかのように感じます。法人創業の地に、着任できたことは光栄です。

そんな湘南セシリアも34年目、みらい社も31年目を迎えます。「平成」を駆け抜けてきた中身を各所に感じます。ついこの間と思っていた「平成」も、いつの間にか「平成レトロ」なんて言葉も出てきました。

長年の積み重ねを糧に、先人たちと現代の人たちの思いを胸に、これからの未来に尽力していく所存です。

最後に、梅雨が近づいてきました。今年は、大きな被害が起こらないことを祈るばかりです。

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「命どぅ宝」(ぬちどぅたから) ( よし介工芸館・アートスペースわかくさ / 課長 儀保 治男 )

よし介工芸館
アートスペースわかくさ

最近、ネットやテレビで「沖縄」の話を数多く目にしたり、耳にしたりします。2022515日は、沖縄が本土復帰をしてから50年という節目を迎えるからです。

沖縄生れの私は、戦争を知らない世代で、復帰の2年前に生まれました。本土復帰してからの私が記憶に残っている事柄は、いろいろとあります。

① 1975年(昭和50年)沖縄国際海洋博覧会:海の上に浮かぶ「アクアポリス」がとても印象的で、良く家族で出かけて様々なパビリオンに行き、ワクワクしていたことを今でも覚えています。

② 1978年(昭和53年)730(ナナサンマル):この年の7月までは、沖縄の車は、右側通行でした。しかし、日本も加盟する「道路交通に関する国際条約」の「一国一交通方法」に伴い、自動車の通行方法の変更が行われました。当時、小学生だった私は、学校に「車は左、人は右 730(ナナサンマル)」というキャッチフレーズのポスターが校内や町中に貼られていたことを思い出します。

③ 1992年(平成4年)首里城正殿復元、首里城公園開園:沖縄に住んでいた頃、なかなか足を運びませんでしたが、10年程経ってから1度訪れた記憶があります。この首里城正殿復元で翌年(1993年)にNHK大河ドラマ「琉球の風」が放映されました。私は、首里城ではなく、沖縄の中部にある読谷村に出来たオープンセットにたまたま仕事で招待を受け、出演者の方と一緒に敷地内を歩き、近くに芸能人の東山紀之さんが居て、少しだけ話しかけられ、とても緊張をした思い出があります。

2000年(平成12年)九州・沖縄サミット開催:この時に、「2千円札」の発行がありました。時々沖縄に帰ると買い物の際、お釣りで2千円札を頂くこともありました。

2002年(平成14年)沖縄美ら海水族館開園:沖縄国際海洋博覧会跡地の海洋博公園にオープンした水族館。何度も足を運び、巨大な水槽に佇むジンベイザメはとても圧巻でした。

⑥2003年(平成15年)沖縄都市モノレール開通:通称「ゆいレール」。鉄道の無い沖縄にこの年、モノレールが開通しました。当時、那覇空港までのアクセスは、車しかなかったので、とても便利になりました。

その他、小さな県ですが、本当にいろいろなことがありました。

小さな島国の「沖縄」。戦争による苦しい体験もありますが、県民の皆さんは常に前を向き、「沖縄」を盛り上げて来ました。辛い過去を背負いながらも「生きる」ために沖縄の発展のために苦労をしてきた先代の方々に敬意を表し、自分が出来ることは何かを考えています。

私は、戦争を体験していませんが、小学生の頃から学校の授業で「平和学習」があり、当時の写真や映像を視て「平和」について学び、時には「ガマ」といわれる自然の防空壕に見学に行き、戦争を体験した方々からの話を聞く機会もありました。そういう間接的な関りからも、やはりどんな理由があっても「戦争」はいけないと思いました。

終戦から77年が経ちます。

ある人が言ってました。「戦争で得るものは、勝っても負けても大切な人(命)が亡くなったという悲しみしか残らない・・・」と。

タイトルにある「命どぅ宝」(ぬちどぅたから)は、「人の命は何ものにも代えられない大切なものである。」という意味のウチナーグチ(沖縄の方言)です。

大切なものは何か。大切なものは「命」である。その「命」は、失うと二度と戻ってこない。今を生きる私は、沖縄の復帰50年の節目で、改めて「命」の尊さについて考えていきたいと思います。

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我が家の愛猫の「ワガ」(左)と「コデ」(右)です。